お中元には蜂印|1920(大正9)年7月21日(水)|
📗 1920年、旧制中学校を卒業して代用教員として働き始めた18歳の祖父が書いた日記を、孫である私が、106年後の2026年、同じ日付で紹介しています。
小学校の教員を目指して受験した師範学校は、不合格でした。
翌年の師範学校再受験を見据え、田舎の親戚の家に下宿しながら、非正規の代用教員として小学校の教壇に立っていた時期の記録です。
🧭 この日のあらすじ
(勤務先の小学校は夏休み。実家滞在中)
夜、郡視学(役所の教育担当のトップ)の家へ夏の挨拶(お中元)に行く。
蜂印の酒と菓子を持参。
その後、小学校時代の恩師、河内先生のお宅にも寄ったが留守だった。
📅 日記本文
夜、郡視学の所へ夏中見舞に行く。
(ハチビールとボロを持ちて)
後、河内屋へ行きたれども留守であった。
📌 背景メモ
祖父は「ハチビール」と書いていますが、これはたぶん誤記、というか勘違いです。
正体はビールではなく、蜂印葡萄酒。要するに甘口のワインです。
明治の実業家・神谷傳兵衛が1881年に売り出した商品で、輸入ワインに蜂蜜や薬草を混ぜて日本人好みに寄せたところ大ヒット。
あの牛久シャトー(今の牛久市にあるワイナリー)も、このヒットの儲けで建ったという、なかなかの出世作です。
一緒に持たせた「ボロ」は、今でいう「ボーロ」。ポルトガル語で「お菓子」を意味するbolo由来で、明治〜大正期は焼菓子・砂糖菓子全般を指す言葉として使われていました。ハイカラだったんでしょうね。
つまりこの日のお中元は、
甘口ワイン(高級路線)+ ボーロ(安定の焼菓子)
という、当時としてはそつのない組み合わせ。
品揃えのセンスからして、母親の差し金としか考えられない。
でも「甘×甘」で、ちょっと塩昆布でもつまみたくなりますね。
そして18歳男子、ビールとワインの区別がついてないの可愛い。

郡視学
郡役所の教育担当トップ。今でいう教育委員会のお偉いさんポジションです。
河内屋
歌舞伎の掛け声っぽい呼び方ですが、祖父の小学校時代の恩師、河内先生のお宅のことです。
ご近所さんでもありました。
師範学校に落ちた翌朝、真っ先に相談に行った相手がこの先生です。
「悲観しなくていい、体を鍛えて代用教員をしながら来年また挑戦すればいい」
と声をかけてくれた、いわば祖父のメンター。(その日の記事はこちら)
💭 孫のつぶやき
実は祖父、丹生川小学校にすんなり採用されたわけじゃありません。
最初は「新人の採用予定なし」で普通に断られています。
そこで出てきたのが祖父の母。
郡視学に直談判でアポを取り、祖父を直接会わせるという力技に出ました。
結果、郡視学が祖父を気に入り(または、断ったら面倒くさそうだった説)、無事採用。
つまりこの日のお中元、ただの季節の挨拶じゃなくて
「あんたを拾ってくれた恩人よ」
案件です。
蜂印ワインとボーロを持たされて送り出された18歳、これはもう「行ってきます」以外の選択肢はありません。
祖父の人生、節目節目で母のプロデュース力が炸裂してます。
シゴデキ母が直談判した日の日記はこちら

