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リスクを知ること

歳を重ねて社会を知っていくと、自分の行動が引き起こす可能性のあるリスクが解像度高く見えるようになり、身動きが取りにくくなります。
ここ数年はリスクを避けて行動するようにしていましたが、それは自分で自分の行動を狭めることになり、今のつらい気持ちに繋がっていると思います。

避けてきたリスクを考えてみると、ひとつは言葉をあまり発しないことです。SNSはもちろん、日々の生活であっても、それぞれが事情を抱えている中不用意なことを言って傷つけることも、誰かを傷つけた結果ブーメランのように自分に返ってくることも怖く、年々言葉に慎重になりました。その結果、言葉を発しないことが増え、言葉を発することに苦手意識ができます。気づいたときには自分の考えていることが何一つ伝わらず、絶望しています。

仕事の内容もリスクヘッジの観点から行う業務が多く、仕事でリスクを知ることが、日常生活の選択肢を狭めているようにも思います。

コロナ禍も行動制限に拍車をかけたと思います。余計な会話をしない、誰かのものが落ちたときに勝手に拾わない、そのような「しないこと」が親切なような気がしてそうするものの、そのような態度をとる自分は優しい気持ちを失っていっているようでもあります。
コロナ禍の始まりから数年が経った今、感染症に対する考えにはグラデーションがあり、自分がどの立場でどのような行動を取りたいのか、わからないまま日々を過ごしています。このわからなさも、つらい気持ちの一部のように思います。

子どものためにはいろんなリスクを回避してあげたい気持ちが強くなりますが、それは子どもがリスクに直面してそれを避けたり乗り越えたりする機会を奪っていることも感じます。このことは、別の記事にしました。


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