今、手放すと心が軽くなりそうなことは何ですか?
こんにちは、ぱんだごろごろです。
義母を見送った関係で、この2週間、ハッピーライティングマラソンから離れておりましたが、また戻って参りました。
本田健さんの、「ハッピーライティングマラソン」第40回目のお題は、
『今、手放すと心が軽くなりそうなことは何ですか?』
です。
「手放す」と言えば、定番は『執着』ですよね。
日本では国民の主な宗教は仏教のため、普段よく使う言葉の中にも、仏教用語がしばしば出て来ますが、この『執着』もそのひとつ。
仏教における「執着(しゅうじゃく)」とは、人、物、地位、考えなどに固執し、心がとらわれて離れない状態を指す、苦しみの根本原因(煩悩)です。すべては変化する(諸行無常)という真理に反し、永遠や思い通りを求めてしがみつく心であり、自由や智慧を妨げる障害とされます。
ざっくり考えれば、私たちは何とも知れぬ力により、この世に生み出され、時が来れば、死ぬことで、この世を去るようにできている生き物です。
最終的には死ぬのですから、物や人にこだわってしがみついたところで、あの世に持っていくことも、連れていくこともできません。
第一、いずれ死ぬということは、生きている間こそ、「自分は◯◯だ!」と名乗って、さも自分を実体のあるもののように思っていても、その身体を滅びから救う力もない存在なのです。
むしろ、この身体も意識も、この世にいる間だけ、誰かから借りている借り物だと考えた方が、すっきりするのではないでしょうか。
つまり、私は、ある日誰かから、
『〈地球〉という星の〈日本〉という国に生まれるように設定しておいたから、せいぜい楽しんでおいで』
と言われて、今生かされているだけの存在なのですね。
ということは、私を地球に派遣した存在は、私にそんなにたいした期待なんてしていないのではないでしょうか。
私が一日中パズルゲームをやっていようが、
一日中、次の食事には何を食べようかとばかり考えていようが、
読んだところで、人格形成に何の足しにもならないような、連続猟奇殺人鬼が跋扈するようなミステリー小説ばかり読んでいようが、
何にも気にはしていないのではないか。
つまり、私が社会に何の貢献もしていないような、ズボラなご隠居生活を送っていても、
『だから、なに?』
ってことですよね。
だって、私は借り物なんです。
期限付きでこの世に送り込まれた存在で、何かミッションを与えられているわけでもない。
その他大勢、舞台で言えば通行人、ラノベで言えばモブと呼ばれる存在なんですよ。
ああ、なんて気楽なんでしょう。
実は、私はですね、何かきっかけがあると、過去にやってしまった、自分の恥ずかしい行状を思い出し、身悶えして自分を責める、という、何の生産性もない行為をしてしまうのが常でした。
あー、どうしてあの時、あんな馬鹿なことをやってしまったんだろう、あれは私の最大の黒歴史だわ。
まだ若かったとは言え、ひと様にあんな不義理なことをしてしまうなんて、私ってなんて情けない存在なのかしら…。
かさぶたをわざと剥がすようなものですよね。
たまにしか思い出さないということは、半分忘れかかっているのだから、そのまま忘れきっておけばいいものを、何かのきっかけがあると思い出してしまう。
そして、反省して今に活かそう、というだけで済ませればいいのに、過去の自分を責めてしまう。
これって、過去の負の思い出に〈執着している〉ということなのでしょうね。
この〈執着〉をポイッと捨ててしまえば、とっても心が軽くなるのではないかな?
そうです、どちらにしろ、私はお釈迦様の手のひらの上で、借り物の人生を生きているだけのちっぽけな存在。
〈執着〉を捨てて、身も心も軽く、生きていきたいなと思います。
この世を去る日まで、ね。

今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
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