あなたが、高校生から22歳ごろに読んだ本で、よかった本は何ですか?
こんにちは、ぱんだごろごろです。
本田健さんの「ハッピーライティングマラソン」第6回目のお題は、
「あなたが、高校生から22歳ごろに読んだ本で、よかった本は何ですか?」
です。
高校に入学してから、大学卒業くらいまでの間に読んで、良かった本。
高校3年間、大学4年間。
この7年の間には、大学受験というものが横たわっていました。
ちょうど私たちが大学受験に臨む年、「共通一次試験」というものが、日本ではじめて実施されたのです。
高校1年の終わり頃から、大学受験が終了するまで。
その間は、読書よりも、受験勉強に励まねばならなかったので、さほどの量の本を読んでいた訳ではなかったと思います。
では、勉強の息抜きという名目で私が読んでいたのは、どんな本だったのか。
今、私の手許に、一冊の文庫本があります。
表題は、
「世界文学をどう読むか」

作者は、ドイツの文学者、ヘルマン・ヘッセです。
私の若い頃には、ヘッセの小説は、少年・少女は『必読!』と言われたくらい、人気のあるものでした。
読書感想文の課題図書に選ばれることも多かったし、図書館に行けば、必ず彼の主要な作品が置いてありました。
「車輪の下」
「知と愛」
「春の嵐」
「ガラス玉演戯」
「デミアン」・・・等々
懐かしいですね。
昔読んでいた本の題名を聞いただけで、あの頃の思い出がよみがえります。
(高校生という、中学生に続いて自意識過剰な年頃ですから、半分以上は、思い出したくもない黒歴史なのですが)
ヘルマン・ヘッセの小説は、面白かったんですよ。
あの頃、好きだった作家には、トーマス・マンやアンドレ・ジッドなど、ヨーロッパの作家が多かったですね。
大学に入ると、入った先が、「日本文学科」ですから、日本の小説も随分読むようになるのですが、高校時代は欧州の作家の作品を好んで読んでいたように思います。
あれですよね、海外への憧れと言うか、子どもの頃から、「小公女」のセーラ・クルーによって、ヨーロッパの王侯貴族への憧れを植え付けられていますから、そういった歴史、文化、ライフスタイルへの憧れが根底にあったのだと思われます。
先に言及した、ヘルマン・ヘッセ著の
「世界文学をどう読むか」
この文庫本は、新潮社から刊行されたもので、初版は昭和26年ですが、私が持っているものは、昭和49年発行のもの。
つまり、高校に入る前の、中学生の時に買った本なのです。
小学校高学年から中学1、2年の頃までは、まだ児童文学(少年・少女文学)を愛読していた私ですが、高校に上がるのを前に、いわゆる大人の読む小説、「世界文学」に興味が広がってきていたのでしょう。
この本は四つの章からできていて、それぞれ表題は以下の通りです。
「世界文学をどう読むか」
「書物の魔力」
「わが愛読書」
「世界文学書目表」
このうち、最後の
「世界文学書目表」
には、
「聖書の翻訳」から始まり、マイスター・エックハルトの「ドイツ語の説教と論文」に至るまで、おびただしい数の書物の名と作者名とが挙げられています。
高校生から大学生にかけての時代、私はこの本の、世界文学のリストをもとに、図書館で本を探しては、借りて読み、リストの書名の上にチェック☑️を入れていました。
「聖書」から始まり、「ギリシャ悲劇」、「聖アウグスティヌスの告白」、ダンテの「神曲」、ボッカチオの「デカメロン」、チェリーニの「自叙伝」、「ニーベルンゲンの歌」に、シュトラースブルクの「トリスタンとイゾルデ」、モンテーニュの「エッセー」。
これらの本を読んでは、世界文学の扉を開こうとしていたのでしょうね。
もう児童文学ではない、大人が読むような世界文学を読んでいるのよ。
すごいでしょ、私。
・・・・・・。
自意識過剰な青春時代ですから、そんな風に妄想を膨らませていたのではなかったでしょうか。

ところで、今回、結論を書くのが最後になってしまいました。
なぜかと言うと、この記事を書き始める前に、昔の記録ノートをひっくり返して探しものをしていたのですが、その時には見つからなかったページが、ついさっき、見つかったからなのです。
それは、〈高校時代〉と書かれたページの中の、〈愛読書〉と題した項目でした。
▼トーマス・マン「ヴェニスに死す」
▼ジャン・コクトー「恐るべき子供たち」
〈今の自分からの感想〉
この二冊を並べちゃうんだ。

今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
今回、高校入学から大学卒業までの時代の振り返りは、甘酸っぱいを通り越して、自意識過剰の黒歴史を掘り起こす、汗にまみれた作業でした(笑)
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