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つながっているように思う

倭姫命物語 第八話 元伊勢・近江編


はじめに

 倭姫命やまとひめのみことは鈴鹿を越えて伊勢に向かわず、淡海おうみ(滋賀県)へ向かいました。その理由の一つとして、前回記事で悪神あらぶるかみが道を遮ったのではないかと書きました。しかし、それだけでは湖北の坂田宮さかたのみやまで大きく迂回する理由とは言えません。それで今回は別の理由を考えてみました。


甲可日雲宮

 甲可日雲宮こうかひくものみやは、『皇大神宮儀式帳こうたいじんぐうぎしきちょう』には記載が無く、『倭姫命世紀やまとひめのみことせいき』に「淡海あふみ国造くにのみやつこ、御田を進上した」と記されています。伝承地は甲賀市や湖南市に、8カ所ほどあります。

垂水頓宮跡

 その中の一つ、甲賀市土山町の垂水頓宮跡たるみとんぐうあとに行って来ました。こちらは、都が奈良から京都へ移った後、京都から伊勢へ斎王群行が行われていた時代の宿泊地です。378年間に31人の斎王が宿泊されたといいます。伝説の斎王・倭姫命はそれよりずっと昔の話ですので、その中には含まれていません。



つながる1 野洲川


 物語を再現していきます。倭姫命一行は、甲可日雲宮こうかひくものみやから湖北の坂田宮さかたのみやへ向かうのですが、私は琵琶湖を舟で北上したと考えます。垂水頓宮のそばを流れる野洲川を下ると、現在の滋賀県野洲市や守山市の琵琶湖畔に出ることができます。

Googleマップ 倭姫命の足どり
 GoogleMAP 垂水頓宮から野洲川を下って琵琶湖へ出た場合


 『倭姫命世紀』には経路は記されていませんので、これらの内容はあくまで私の想像です。想像を膨らませていきますよ(笑)

野洲川下流には近江富士と呼ばれる三上山があります。また、三上山から南西約5キロの場所には、卑弥呼の祭祀遺跡とも言われる「伊勢遺跡」があります。ちょっと寄り道をして、三上山と伊勢遺跡、そして倭姫命とのつながりについて考えてみたいと思います。


つながる2 息長水依比売


 第九代・開化天皇の皇子、日子坐王ひこいますのみこ(彦坐王)は、『古事記』によると、息長水依比売おきながのみずよりひめと結婚し、丹波の比古多々湏美知能宇斯王ひこたたすみちのうしのみこ(丹波道主)を生みます。その比古多々湏美知能宇斯王(丹波道主)の娘が比婆湏比売命ひばすひめのみこと(日葉酢媛命)です。比婆湏比売命は垂仁天皇の皇后となり、倭比売命(倭姫命)を生みます。物語の主人公倭姫命からすれば、息長水依比売は母方の曽祖母にあたります。

この息長水依比売は、天之御影神あめのみかげのかみを奉斎する近淡江ちかつあふみ御上祝みかみのはふりの娘です。天之御影神を祀る神社が御上みかみ神社であり、そのご神体が三上山みかみやまというわけです。

※この項目は『古事記』に記されている内容のため、その表記に従っています。( )内は『日本書紀』の記述です。

 こうして、息長水依比売を通じて、野洲川下流の三上山や御上神社と倭姫命はつながっていることがわかります。

御上神社
由緒書
楼門
本殿
三上山



つながる3 三上山と伊勢遺跡


 三上山の麓にある大岩山からは、日本一の大きさのものを含む24個の銅鐸が出土しています。一方、祭祀遺跡とされる伊勢遺跡には、直径220メートルの円周上に等間隔で祭殿が配列されていたことがわかっています。すべてが確認されたわけではありませんが、建物と建物の間隔から推測すると、24棟の祭殿があった可能性があり、その中には大岩山で出土した銅鐸が納められていたのではないかという説もあります。

 伊勢遺跡は、人々が生活していた遺跡ではなく、弥生時代後期の祭祀遺跡と考えられています。御上神社の由緒書には、「孝霊天皇の御代に天之御影神あめのみかげのかみが三上山に降臨され、御上祝みかみのはふりが奉斎した」と記されています。「欠史八代シリーズ」で述べてきた通り、私の想定する孝霊天皇の御代は、2世紀初めから中頃です。

【関連する過去記事】


 このような観点で考えると、伊勢遺跡と天之御影神あめのみかげのかみを奉斎した御上祝みかみのはふり、そして銅鐸が密接に関連していると思えるのです。

 前回記事でも触れましたが、「記紀」が「◯◯の娘を娶る」と記すのは、裏返せば、その娘を嫁がせた豪族が大和朝廷に服従したと解釈できます。開化天皇の皇子、彦坐王ひこいますのみこ御上祝みかみのはふりの娘である息長水依比売おきながのみずよりひめを娶ったのは、私の想定では2世紀末頃となります。奇しくもその頃に伊勢遺跡も銅鐸も姿を消します。

 琵琶湖南部を治めるクニ(国)があり、その祭祀を行っていたのが御上祝一族で、息長水依比売は一族の御巫みかんなぎだったとも考えられます。そして伊勢遺跡はその祭祀場であったのかも知れません。

卑弥呼云々と言いますが、そもそも伊勢遺跡は1世紀末から2世紀末に栄えたと資料にあります。『魏志倭人伝』によると卑弥呼が死んだのは3世紀中頃(248年)ですから、年代的にズレがありませんか? 

冊子の表紙 背後に見えるのが三上山



つながる4 和珥氏と息長氏



 彦坐王ひこいますのみこ(『古事記』は日子坐王)は、九代開化天皇の皇子で、母は和珥氏わにうじ意祁都比売おけつひめです(『日本書紀』では姥津姫ははつひめと記されています)。彦坐王自身も、妃の一人として母の妹である袁祁津比売おけつひめ(表記は異なりますが、同じ読み)を迎えます。子には山代之大筒木真若王やましろのおおつつきのまわかのみこがおり、その子孫が息長宿禰王おきながのすくねのみこ神功皇后じんぐうこうごうです。

もう一度繰り返しますと、彦坐王の母と妃の一人は和珥氏の娘です。このつながりから派生して、息長おきなが氏へとつながっていきます。そして、息長氏の本拠地は現在の滋賀県米原市です。

息長宿禰王、応神天皇、少彦名神を祀る日撫ひなで神社 米原市顔戸77
山津照神社 米原市能登瀬390 境内には息長古墳群の前方後円墳(山津照神社古墳)があります
神功皇后が卒業した米原市立息長小学校(冗談ですよ ^_^ ;)


 和珥氏わにうじについてもう少し詳しく述べると、滋賀県の米原市、長浜市。彦根市の一部、岐阜県揖斐郡池田町あたりの地域は、かつて額田国ぬかたのくにと呼ばれていました。『先代旧事本紀せんだいくじほんぎ』「国造本紀」には、成務せいむ天皇の御代に、和邇臣わにのおみ(和珥臣)の先祖である彦国服ひこくにぶく(彦国葺)の孫・大直侶宇おおただろう額田国国造ぬかたのくにのくにのみやつこに定めたと記されています。和珥氏の祖である彦国葺ひこくにぶくは、『日本書紀』垂仁天皇紀に大夫まえつきみの一人として登場し、『皇太神宮儀式帳』では、倭姫命の御送駅使はまゆつかい(付き添う使者)の一人として記されています。

ここまでの内容から、和珥氏と息長氏、そして倭姫命とのつながり、さらに米原市との関係をご理解いただけたかと思います。



つながる5 息長氏と坂田公


 『倭姫命世紀』には、「(垂仁天皇の)8年、坂田宮に遷り、そこで2年間(天照大神を)お祀りした。その時、坂田君さかたのきみ(公)らは稲田を進上した。」と記されています。

この坂田公とは、皇親政治(天皇を中心とした政治体制)を志向した天武天皇の御代に定められた「八色の姓やくさのかばね」で、息長公・酒田公らと共に最上位の「真人まひと」のかばねを授けられた氏族です。

「真人」の姓は、応神天皇または継体天皇に直結する王家の分家のような系譜の氏族に与えられたと考えられています。息長公も坂田公も、応神天皇に由来し、継体天皇とも深く関わる氏族です。詳細について今回は省略しますが、息長公と坂田公はルーツは基本的に同じだと考えてよいと思います。

坂田氏も息長氏も、現在の滋賀県米原市が本拠地です。米原は東海道新幹線の駅があり、名神高速道路と北陸自動車道が分岐する場所です。一見辺ぴな場所に思われるかも知れませんが、古代には非常に重要な場所でした。中国・朝鮮半島とつながる海の玄関口・敦賀に近く、大和や東国・北国の諸国に通じる街道の要所だったのです。

近世に入ると、隣町で関ヶ原の戦いが行われた場所と言えば、遠方の方でもなんとなく地理的な重要性がイメージできるのではないでしょうか。


 淡海国 坂田宮

 この記事もだいぶ寄り道してしまいましたが、いよいよ元伊勢伝承地、坂田宮さかたのみやへとたどりつきました。倭姫命やまとひめのみことと、和珥氏わにうじ彦坐王ひこいますのみこ息長氏おきながうじ坂田公さかたのきみとの系譜上のつながりや、地理的な考察を加えてきましたが、いかがだったでしょうか。

坂田神明宮

  坂田宮については、比定地はここだけだと思います。ここは、坂田公の本拠である米原市の北部に位置し、伊勢神宮の御厨みくりや(神饌を調達する荘園)であった坂田御厨が置かれた場所です。

JR 北陸本線が境内を二分しています
拝殿
神額
由緒書
本殿
真名井池


岡神社の社号標もありました

 御厨みくりやの神明社ですから、伊勢信仰が盛んになる平安末期から鎌倉時代に創建されたのかなと思っていたら、『延喜式』「神名帳」に岡神社として載っていました。『特選神名帳』では、御祭神は豊受昆賣命とようけびめのみことになっています。ここでも倭姫命とつながりましたね。「点」と「点」をつないで、「線」にしていくと見え方が違ってきますね。

 最後までご覧いただきありがとうございました。


おまけ

坂田神明宮近くのカフェでランチ。今回はばえる写真を撮ろうと、店を選びました(笑)

 BELLMO coffee  滋賀県米原市宇賀野239‐8



【参考文献】

日本書紀Ⅰ 井上光貞監訳 中公クラシックス
全現代語訳 日本書紀 上 宇治谷孟 講談社学術文庫
新版古事記 中村啓信 角川ソフィア文庫
先代旧事本紀 現代語訳 安本美典・志村裕子 批評社
特選神名牒 八幡書店
倭姫命の御巡幸 岡田登監修 アイブレーン
ナレッジジャパン検索『日本地名地理体系』 『国史大辞典』『日本大百科全書』ほか。

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