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南ドイツの隠れた名スポット「エスリンゲン」


エスリンゲン(Esslingen)は、Stuttgart中央駅から電車で約10分のところに位置する。移動はとても楽である。

自分が持っている7年前の地球の歩き方には、エスリンゲンが掲載されていない。もしかしたら、今の地球の歩き方には載っているかも…

個人的には、クリスマスマーケットの時に、エスリンゲンを訪れたことがある。その時は、クリスマスマーケットの方に目がいって、街並みをじっくりと体験することはできなかった。

今回初めて普通にエスリンゲンを訪れたのだが、とても良い場所だった!個人的には、ローテンブルクの縮小版って感じだったけど、こんなに綺麗な町が近くにあるのは、良いことだと思う。

旅の記録として残しておきたい👇




・インフォメーションセンター

エスリンゲン駅から降りて、商店街的な場所を抜けると、中世の街並みが残った素敵な場所に着く。

そこで最初にすべきなのは、インフォメーションセンターに行って、地図をもらうことである👇

この地図があることによって、観光地をしっかりと把握することができた!
ネットでは見つけられない情報も、この地図には載ってある!
アナログも捨てたもんじゃない!


・エスリンゲンの大聖堂


最初に、エスリンゲン大聖堂(Münster St. Paul)へ行った👇

一般的に、西洋の中世期は、西暦476年~1453年の間の、約1000年間を指します(※)。」とのこと。ちょうど中世の時に建てられている。

宗教改革の影響16世紀の宗教改革の際、エスリンゲン市はプロテスタント化しました。しかし、この教会はカトリックの中心として残され、市内でカトリック信仰を守る重要な拠点となりました。そのため、現在もエスリンゲンで最も重要なカトリック教会です。

赤ちゃんを洗礼する時に使うやつ…?
パイプオルガン
内部には美しいゴシック様式のリブ・ヴォールト天井
物語を示しているステンドグラス


横の壁に、キリストの物語が示されていた👇

十字架を背負わされる
張り付けにされる

張り付けにされているキリストの像には、必ずわき腹に切り傷があるらしい


キリスト像(磔刑像/Crucifix)に必ず脇腹の傷が描かれているのには、聖書(ヨハネによる福音書)に由来する深い意味があります。

✝️ 聖書の由来

脇腹の傷は、次の聖書の一節に基づいています:
ヨハネによる福音書 19章33–34節「しかし彼らがイエスのところに来て見ると、すでに死んでおられたので、その足を折らなかった。しかし、兵士のひとりが槍でそのわき腹を突き刺した。すると、ただちに血と水が流れ出た。」

⚔️ 歴史的・宗教的な意味

1. イエスが確かに死んだことの証明
ローマ兵がわき腹を槍で刺したのは、イエスが本当に死んでいるか確認するためでした。血と水が出た描写は、イエスがすでに死んでいたことを象徴的に示しています。

3. イエスの愛の究極の証

わき腹から流れた血と水は、キリストが人類のために心の奥深く(心臓の位置)まで傷つけられた愛の象徴でもあります。そのため、後のキリスト教芸術では**「開かれた心(Sacred Heart)」**のモチーフとして発展しました。

道中で見かけた、木で支えている家👇


・婦人教会(Frauenkirche)

「Frauenkirche(聖母教会)」の起源は、聖母マリアへの信仰(Maria – „Unsere liebe Frau“) に基づいています。

南ドイツ地方で最も美しい高ゴシック建築の一つ。
特徴は、精巧な塔、繊細な石細工、そして高い窓

「Münster St. Paul(カトリック)」が古く修道院的で内面的な宗教空間なのに対し、「Frauenkirche(プロテスタント)」は市民信仰と芸術の象徴です。

そのため、両者はエスリンゲンの宗教史と文化史を対で語る存在となっています。

ステンドグラスの絵の説明
画質があまりよろしくない…

天井が綺麗だった!


・エスリンゲン城塞(Esslinger Burg)

13世紀ごろ、当時のエスリンゲンは自由帝国都市(Freie Reichsstadt)として繁栄していました。

都市を防衛するため、旧市街を囲む**城壁(Stadtmauer)が築かれ、その延長線上に丘の上の要塞(Burg)**が建てられました。

つまり、いわゆる「王侯の城」ではなく、市民による防衛拠点(Wehranlage) だったのです。

17〜18世紀には軍事的役割を失い、廃墟化。
19世紀以降、市民が修復し、散策道や展望台、公園として整備。
今では市民の憩いの場、観光スポット、文化イベントの会場になっています。

301段の階段を登っていく!

「自己責任で入れ!」って書かれてある…笑

新しい木と古い木の共存
望遠鏡がカッコいいんだよな…


景色は最高だった!

右端に見える旧市庁舎が可愛い!
中心地方面
斜面がワイン畑になっている
城壁内へ
Dicker Turm
扉は閉まっていた

とくに**「Dicker Turm(太い塔)」**は防御の中心で、現在もエスリンゲンの象徴的な建築です。

坂を下るのはかなりきつかった!しかも石が飛び出ているので、下るとなると、こけそうで危険だった!登る時にここを使って、下る時は階段を使った方がラクかも!


降りたら、日時計を発見!

合ってるのかどうかよくわからん…
扉の上に「1528」と書かれてあって、古いのがよく分かる
降りたところに説明書きの看板を発見


・旧市庁舎

Burgの後は、再び中心地へ。

外観がとても素敵!


・Kielmeyerhaus

赤い家

この建物は1582年頃、裕福なエスリンゲン市民によって建てられました。
当時のエスリンゲンは自由帝国都市として繁栄しており、ワイン貿易や職人ギルドの活動で経済が活発でした。

建物の名前「Kielmeyerhaus」は、18〜19世紀にここを所有した名家 Kielmeyer(キールマイヤー家) に由来します。

上階が下階より少し張り出す「Überhang(オーバーハング)」構造があり、雨よけとともに装飾的効果を持っています。


・エスリンゲン市教会(Stadtkirche St. Dionys)

扉探しの為に、教会の周囲を1周
兵隊さんを祀っている
カバンを枕にしているし、帽子をかぶっている
父の国(=ドイツ)の為に亡くなったもの達へ
1870年から71年
Soldat=兵士


2つの塔を繋ぐ橋

特に特徴的なのが**二つの塔(Westtürme)で、その間をつなぐ「橋のような回廊(Brücke zwischen den Türmen)」**が15世紀に建設されました。→ この「塔を結ぶ橋」は、ドイツの教会建築でも非常に珍しい構造です。

二つの塔を結ぶ橋は、神と人、人と人をつなぐ「和解と信頼の象徴」とも言われています。


装飾が凄いと思った!



この扉は厳かだった!バベルの塔とかノアの箱舟が描かれている!

よく見ると、この扉はNo.6で、入り口の扉はNo.4とのこと!

No.4の扉👇たしかに、広告が近くに貼られてるから、入り口っぽい感じがするけども、もう少し分かりやすくしても良いと思う、というか、分かりやすくできるだろ!

書体が凄い👇

ChatGPTによる解説👇

Georg Friderich
Wagner U.I.D.
der Weitl:
Reichs Statt
Eslinger
Syndicus


古いドイツ語の書体(フラクトゥール体)で書かれており、文中の略語や表記は17〜18世紀頃の公文書風です。

内容を現代ドイツ語に直すと次のようになります:
Georg Friedrich Wagner, Ulmischer Doktor, der Weitl(ich)en Reichsstadt Esslingen Syndicus.

つまり意味としては:
ゲオルク・フリードリヒ・ヴァグナー博士、神聖ローマ帝国自由都市エスリンゲンの法律顧問(シンディクス)。

「Syndicus(シンディクス)」とは、当時の都市の法務官・顧問弁護士のような公職です。「Reichs Statt Eslingen」は「帝国自由都市エスリンゲン」を意味します。

この銘板はおそらく教会や市庁舎の記念板(寄進者や役職者を記したもの)と思われます。




出た!笑

教会の10の理由!ウルム大聖堂でも見つけたし…笑


パンフレットで日本語訳を発見!だけど、50セントかかる!


パイプオルガンがめちゃくちゃ奇麗だった!!!装飾されてるのは、初めて見た!!!

真ん中の部分も良い味出してた


・水車

「Klein Wenedig(小さなヴェネツィア)」と呼ばれる一角があり、そこで水車を発見!かなり大きかった!

水車が回ってる姿を動画で撮影👇


・Innere Brücke(内橋)

Innere Brücke は、町の主要な橋のひとつとして建設され、旧市街と川向こうの商業地区を結ぶ重要な交通路でした。

橋の上にはすでに中世の頃から家屋や商店が建ち並んでおり、文字通り「橋の上の通り」として機能していました。

→ これは、ドイツでは非常に珍しい構造です(ロンドン橋やレーゲンスブルクの橋に似ています)。

芝生のMaille公園


・ニコラウス礼拝堂(Nikolaus-Kapelle)


1933から1945と書かれているので、第二次世界大戦に該当する


・世界一可愛いタバコ屋(勝手に命名…笑)

Innere Brücke(内橋)で見つけた可愛いタバコ屋さん👇


・ミヒャエル郵便職員の噴水(Postmichaelbrunnen)


こんな背景があったとは…👇

ポストミヒェル伝説の概要

舞台は17世紀、三十年戦争(1618–1648)の時代。

ミヒャエル(通称:Postmichel)という若者がエスリンゲンで**郵便配達人(Postbote)**として働いていました。

ある晩、彼は殺人事件の現場を偶然目撃してしまいます。しかし、恐怖のあまり警察や当局に報告しませんでした。

ところが後に、自分が犯人と疑われてしまい, 無実を証明できずに処刑されてしまいます。

その後、夜になるとエスリンゲンの通りにPostmichelの幽霊が手紙を持って現れると噂されました。


・地方裁判所


・ドイツで一番古いFachwerkhaus(Ältestes Fachwerkhaus Deutschlands)


看板は無かったけど、たぶんこれである👇(地図の19番)

所在地:Webergasse 8, 73728 Esslingen am Neckar, バーデン=ヴュルテンベルク州、ドイツ
建築年:1266~1267年頃
特徴:現存するドイツ最古級の木骨造建築の一つ。


・Alte Zimmerei

「Alte Zimmerei(アルテ・ツィマライ)」は、ネッカー川とその支流に挟まれた島状の地形の先端に位置しています。

所在地は Abt‑Fulrad‑Straße 2, 73728 Esslingen am Neckar です。

元々は、1858年頃に木造の作業倉庫・マガジン(材木倉庫)として、地域の大工(Zimmerer)業者によって建てられた建物とされています。

建物の所在地が「島の先端」で、ネッカー川の本流と支流に囲まれたロケーションのため、非常にフォトジェニックな風景として観光でもよく紹介されています。

なんか日本食とベトナムのレストラン(Alte Zimmerei · Fujisapa)が入っているらしい👇いつか行きたい!


ここから見える景色は観光名所を一度に見れるので最高である👇

左から、「婦人教会」、「エスリンゲン城塞」、「エスリンゲン市教会」、「Alte Zimmerei」


エスリンゲンの観光サイトが思ったよりも充実していた👇






<過去旅行記のまとめ>

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