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買い物のことを書くと、躁だと思われそうで書けなかった






前回の診察で双極性障害の可能性について説明を受け、買い物のことを書くのが怖くなった。

その後、診断は現時点では確定せず、いったんうつ病として治療を続けることになった。

それでも私は、一度そう説明を受けたことで、「買い物」という行動を必要以上に疑うようになってしまった。

古着屋に行ったこと。
気に入った服を買ったこと。
少し遠くまで出かけたこと。

そういうことを書けば、

「それは躁なのではないか」
「また買い物をしている」
「元気すぎるのではないか」

と思われる気がした。

だから、あまり書けなかった。

でも実際の私は、何でも勢いで買っているわけではない。

安くても着ないと思えば買わない。
サイズが合わなければ諦める。
似たものを持っていれば戻す。
迷ったものは、「次に来た時にも残っていたら」と棚に返す。

シャンプーも、値下げシールのついたものや、商品入れ替えで安くなったものを選ぶ。

ティッシュやトイレットペーパーは、これまではふるさと納税で受け取っていた。

買い物には、私なりの基準があった。

一方で、食べ物は買えなくなった。

私は食べることが好きだ。
料理も嫌いではない。

作ろうと思って、野菜や肉を買う。
けれど体調が落ちると、台所に立てなくなる。

気づいた時には傷んでいる。

捨てるたびに、ひどく落ち込んだ。

食べ物を無駄にしたことだけではない。

「また作れなかった」
「主婦として失格だ」
「女として失格だ」

そんなふうに、自分で自分に烙印を押していた。

誰かに、はっきりそう言われたわけではない。

それでも、家の中の沈黙や空気まで、責める言葉のように感じることがあった。

だから、食材を買うのが怖くなった。

買えば傷ませるかもしれない。
買わなければ、食べるものがない。

作ることが好きだったはずなのに、料理はいつの間にか、自分の価値を測る試験のようになっていた。

服を買えば、躁かもしれないと疑う。
食材を買えば、また無駄にするかもしれないと怯える。
日用品を買う時も、できるだけ安いものを探す。

買い物は、ただ物を選ぶ行為ではなくなった。

症状なのか。
浪費なのか。
生活に必要なものなのか。
自分を少しだけ外へ連れ出すものなのか。

一つひとつ、自分を取り調べるように考えるようになった。

もちろん、双極性障害では、お金の使い方を振り返ることも必要なのだと思う。

でも、買い物をしたという事実だけで、すべてを躁の証拠にしたくはない。

服を選ぶことが楽しい日もある。
安く日用品を買えて、少し得をしたと思う日もある。
料理をしようと食材を買える日もある。

それらは症状かもしれないと警戒する対象である前に、私の暮らしの一部でもある。

病気を知ることは、自分を監視し続けることではないはずだ。

必要な振り返りはしながらも、
好きなものまで、すべて病気のせいにはしたくない。

私の暮らしは、病気だけでできているわけではない。



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構造を言語化し、現場と制度をつなぐ

現在は療養中のため、無理のない範囲で地域活動やボランティアに関わりながら、日々感じたことを発信しています。

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