なぜか、よく声をかけられる。
私は、わりとよく人に声をかけられる。
道を聞かれる。
商品の場所を聞かれる。
「これとこれ、どっちがいいと思う?」と聞かれる。
最初は、店員さんっぽさが出ているのか。
それとも、レジ周りにいそうな顔をしているのか。

でも、よく考えると服に限った話ではない。
外へ出ていると、何かしらある。
先日もセカストで、近くにいたお姉サマに声をかけられた。
「このバッグと、このバッグ、どっちがいいと思う?」

見せてもらうと、どちらも黒いショルダーバッグだった。
大きさもほぼ同じ。
値段もそんなに変わらない。
お姉サマは、それぞれのバッグについてプレゼンしてくれた。
こっちは金具がこうで。
こっちは形がこうで。
肩にかけるとこんな感じで。
私は、ふむふむと聞いていた。
すると、お姉サマがぽつりと言った。
「この金具がね、ちょっと安っぽいと思うのよー」
……それはもう、答え出てませんか🤣
と思いながら、私はこう言った。
「こちらの飾りも可愛いですけどねぇ。服に合わせるなら、シンプルな方が使いやすいかもしれないですね」

するとお姉サマは、
「そう?じゃあこっちにするわ♪」
と、すごく嬉しそうに笑った。
「お姉さん、どうもありがとう。突然声かけちゃってごめんなさいね〜」
そう言われて、私もなんだか嬉しくなった。
たぶん、あのお姉サマの中では、もう答えは出ていた。

でも、人は時々、自分の中にある答えを、誰かに一回だけ受け止めてもらいたい時がある。
「それでいいと思うよ」
「そこが気になるなら、やめた方がいいかもね」
「あなたはもう、こっちが好きなんじゃない?」
そんなふうに、軽く背中を押してもらいたい時がある。

それは、バッグ選びでも起きる。
服選びでも起きる。

そしてたぶん、人生の少し面倒な場面でも起きる。
私は英語が得意なわけではない。
むしろ、かなり怪しい。
それなのに、お外国の方にも声をかけられることがある。

昔、幼かった娘を連れている時に、台湾から来たらしいお兄さんに声をかけられた。
どうやら、路線バスに間違えて乗ってしまい、宿泊先とは全然違う場所に来てしまったらしい。
私は英語が話せない。
「アイドントノーイングリッシュ〜」
と言いたいところだったけど、よりによって
「リトル……🤏💦」
みたいなことを言ってしまった。
要するに英語が少しできる人みたいな雰囲気を出してしまったが、実態はほぼ日本語とジェスチャーだった。

それでも、聞き取れる単語と地図と雰囲気で、なんとなく状況は分かった。
宿泊先に戻りたい。
でも、どのバスに乗ればいいか分からない。
仕方ないので、バス停まで案内した。

そして、メモを書いた。
「この旅行者さんは台湾からの方です。こちらのホテルへ行きたいそうです。近くのバス停で停めてあげてください。よろしくお願いします」
日本語で。

さほど待たずにタイミングよく目的地方面へ行くバスが来たので、
「このバス!乗って!」
と、たぶん日本語で言った。
念のため、運転手さんにも事情を伝えた。

台湾から来たお兄さんは無事にバスへ乗った。
横にいた幼い娘は、私を羨望の眼差しで見ていた。
「ママ、英語話せるの?すごい〜✨」

…娘よ、ごめん。
マジでごめん。
ほぼ日本語とジェスチャーです。

でも、どうにかなった。
この時も、私は何か特別なことをしたわけではない。
完璧な英語で案内したわけでもない。
観光ガイドのように説明できたわけでもない。
交通機関に詳しいわけでもない。
ただ、目の前で困っている人がいて、
「たぶん、ここで放っておいたら困るだろうな」
と思っただけだった。

最近、私は「相談前の相談」ということをよく考える。
公的な窓口や専門機関は、もちろん大事だ。
でも、そこにたどり着くまでが、すでに大変なことがある。
こんなことで相談していいのかな。
忙しいところに電話して迷惑じゃないかな。
ちゃんと説明できなかったらどうしよう。
怒られたらどうしよう。
自分が悪いと言われたらどうしよう。
そう考えているうちに、相談そのものが遠くなる。
でも、日常の中では、もっと小さな相談がたくさんある。
バッグ、どっちがいいと思う?
このバスで合ってる?
どこに聞けばいいの?
誰に言えばいいの?
これって、相談してもいいこと?
そういう小さな迷いを、いったん受け止める人がいるだけで、少し動けることがある。

私は、専門家として何かを裁く人になりたいわけではない。
正解を上から渡す人にもなりたいわけではない。
たぶん私がやりたいのは、
「それ、もう少し整理してみようか」
と言うこと。
「たぶん、ここに聞いてみるといいかも」
と橋をかけること。
「それはあなたが悪いという話ではなく、仕組みの問題かもしれないよ」
と一緒に見ること。
セカストでバッグを選ぶお姉サマの背中をそっと押したことも、
台湾のお兄さんをバス停まで案内したことも、
私の中では、どこか同じ線でつながっている。
人は、いきなり大きな支援にたどり着けるわけではない。
その前に、ちょっと聞ける人が必要な時がある。
ちょっと一緒に考えてくれる人が必要な時がある。

私は、なぜかよく声をかけられる。
それはもしかしたら、
「この人なら、ちょっと聞いても大丈夫そう」
と思われているのかもしれない。
だとしたら、それは悪くない。
身体は重くなったけど、
その日は少し、気持ちが軽くなって帰宅した。
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#CoinBridge (コインブリッジ)
構造を言語化し、現場と制度をつなぐ
#構造を言語化する人
#相談前の相談
#40代
#人と支援をつなぐ
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