見出し画像

ヤングケアラーくらみ(前編) 【陽キャになれる島・第三話】

 生きているというよりは、ただ死んでいないだけ。そんな漠然とした虚無にも近い感情を、僕は小学4年生の頃には既に持ち合わせていた。

 友達なんて居なかった。公園に週に一度現れる紙芝居屋のおねえさんだけが心の救いだった。パステルカラーの水彩画をめくり、穏やかな語り口で紡ぐ物語。中でも月に閉じ込められたウサギを助けようと奮闘する黒猫のお話は特に幻想的だった。

 おねえさんの作る優しい世界。そこに住みたいと思った世界。ずっと聞き続けたかった世界。それは初雪の日に突然終焉を迎えた。紙芝居屋を辞めてしまったのだ。一ヶ月後におねえさんの姿を再び拝むことは叶ったが、

「友達がタピオカ吸えなくなって酸っぱい顔していたの超ウケた」

 僕の知っているおねえさんでは無かった。素敵な人と出会い、現実世界が満たされた代償として、幻想的な物語を紡げなくなってしまったのだ。おねえさんは幸せになったが、僕は生きる理由をまた一つ失った。雪は雨に変わり、頬を伝う涙を上書きした。


◎連続小説(第三話:6102字)

◎各話リンク
第一話第二話→第三話(ココ)→第四話第五話


 学校の屋上の、防水加工によって少し弾力のある床が嫌いだ。嫌いは過言かもしれないが、踏んだ感触を気持ち悪く感じるのは確かだ。そして今、その気持ち悪い床を一時間も踏み続けている。

『昼休み、屋上に来て下さい』

 中学3年の1月。おねえさんの件は序の口だったと思えるほど、この5年間で僕から希望という希望を奪っていく出来事はたくさん起きていた。この日もそうだった。下駄箱に入っていた手紙はどう見ても女子の筆跡だった。しかし昼休み、気温3℃の屋上で空きっ腹と空っ風に耐えながら待ち続けても誰一人現れなかった。否、

「あいつマジで待ってやんの」「おもしれー」「その顔で惚れる女子いるわけねえだろ」

 正確には3人の男子が塔屋の中から覗いており、ヒソヒソ話が聞こえてきた。この頃の僕は数多のトラウマによって既に達観、静観、俯瞰、冷徹、淡泊の境地に達していたので、それほどのショックを受けず、怒りも悲しみも沸かず「そりゃそうだよね」程度で済んだ。強いて言うなら自分の容姿に更なるコンプレックスを抱くきっかけにはなった。嘘の手紙を書いた共犯者の女子を探そうとも思わなかった。そもそも『屋上に来て』としか書かれておらず、その先については何の保証も無いのだから嘘とは言えないし、裏切りにも該当しない。僕が勝手に勘違いしただけなのだ。

 予鈴が鳴り響く。3人の男子は笑いながら階段を下りる。僕は立ち尽くしたまま。本鈴が鳴っても教室に戻る気になれない。なれるわけが無い。塔屋横の梯子を登る。へりに腰を下ろす。屋上よりも更に少しだけ高いここから一人……独りで街を眺める。雨や雪でも降らない限り、それが昼休みの日課だった。今日は少し遅くなっただけだ。カラフルな屋根の家々。高くそびえ立つマンション。きぬた歯科の看板。駐車場に整列された車。鉄塔と送電線。すずめとカラス。森林。墓石。見渡しても希望なんてどこにも無い。それでも学校という閉塞、社会という喧騒から解放されるこの時間だけは、まだ生きていようと思える。それに今日は太陽のお陰で川がキラキラ光っている。そして川に架かる橋には少女が……。

「飛び降りるんじゃないの?」

 思わず声が出てしまった。セーラー服を着た少女が防護柵の上に立って川を見下ろしている。僕は迷わず梯子を下り、駆け足で学校を飛び出した。遠目でも今や珍しいセーラー服の時点で同じ学校だと推察できたから焦ってしまったのだ。止めなければならない。生きる希望を見出せない僕ですら死にたいと思ったことは一度も無い。彼女の気持ちを全く理解できないが、今は息を切らしながら橋に向かう事だけを考えていた。

「あの……」

 橋の袂で少女を発見し、声を掛けようとしたが言葉を詰まらせた。裸足で柵の上に直立、首から上だけは斜め下を向き、そのまましばらく止まっている彼女は、目から溢れる涙さえも美しかった。煌々と照らす西日、キラキラの小川とのマリアージュによって神秘的にすら思えた。永遠に眺めていたい光景だった。

「あっち行って!」

 少女のほうから僕を睨み、叫んだ。誰にも見られずに飛び降りたかったのか、僕を邪魔者扱いするような目だった。しかし、僕が走っている数分の間も踏み出さなかったということは、まだ心のどこかに迷いがあると信じたい。

「早まらないで下さい! まず一回降りましょう」

「あなたに何が分かるの!?」

「死んだら終わりですよ、何もかも」

「終わりたいの! 楽になりたいの!」

 あ、もう無理だ、と思った。僕等の死生観は根本的に異なり、相容れることは無いのだと悟った。かくなる上は――。

「今日だけ僕に付き合ってくれませんか?」

 簡単には人の心を変えられないと分かっていても、最後に少女に見せたい世界があった。

 ***

 100平米の暗闇に詰め込まれた300人。その比較的前方、5列目と8列目に運良く入れた僕等は、右手にブレード、左手に600円の水を握り締め、その時を待つ。事前にチケットを購入していた僕は、どのみち来るつもりだった。少女を強引に誘ったのは勢いでしか無い。ただ、何もしなければ彼女はあの場で命を落としていたのかもしれないのだから、この判断は間違っていなかったと信じたい。

 後ろの列に居る少女を見やる。受付で急遽当日券を購入し、予備のブレードと共に彼女に渡していた。憶測だがカッターなど自傷の道具が入っているかもしれない彼女の通学鞄は念の為最寄り駅のコインロッカーに預けてある。セーラー服どころか女性客自体が少ないこともあり、所在確認は造作も無かったが、暗さ故に表情や気分までは読み取れなかった。今は居てくれるだけで良い。彼女の命を繋ぎ留めることが僕の使命。あとは倒れたり勝手に居なくならないことを祈るばかりだ。時々振り返って監視しよう。

 周囲のオタクたちのガヤを聞きながら開演を待つ、期待と高揚に満ちたこのひとときが好きだ。嘘。好きだったのは数年前の話。多い時は週一で通っていた地下アイドルの現場も、最近は2~3ヶ月に一回に留まるほど冷めていた。過去に恋愛スキャンダルや素行不良で3名もの脱退者を出しているこのグループに、かつての熱量を向けるのは難しい。ファンに夢を見せるはずのアイドル業界にすら、希望は残っていないのだ。ただ、アイドルどころかライブ自体が初めてという少女は裏事情を一切知らないので、新鮮かつクリーンな状態でインプットして何かを感じ取ってくれるだろうと信じている。それがプラスになるかはさておき。

「みなさんこんばんはー、Vamos!バモスでーす!」

 天井のサスペンションライトが一斉に点灯し、大音量のバンドサウンドに明里あかりの元気な声が重なる。そして彼女を含むメンバー5人がステージに登場。298人がブレードを振り回し大声でコールする中、少女はもちろん僕も微動だにしない。これは“地蔵”と呼ばれる応援スタイルで、少数派ではあるが間違ってはいない。久しぶりに来ても結局こうだ。やはり僕は沼にハマっていた頃の情熱を注げずにいる。

「さあ本日は対バンライブということで、1組目の私たちは次で最後の曲となってしまいました!」「えええええ」「やだあああ」

 あっという間に3曲歌い終わり、残すは1曲。その前に最後のMCパートに入る。

「赤担当の東村ひがしむら明里です。今日もメンバーの皆と歌って踊れて楽しかったです。本日はありがとうございました!」

 リーダーの明里に始まり、里美さとみ貴子たかこ夏希なつきの順に一言ずつ感想を述べていく。そして、

「ハイ、緑担当の西山影里かげりです。本日はありがとうございました」

 ラストはアイドルらしからぬ暗い性格故に目立たないメンバー、影里だ。

「私事ではありますが、一昨日、二十歳の誕生日を迎えました」「おめでとおおおおお」

 あ、そうだったのか。僕はもうメンバーの誕生日すら忘れてしまっていた。というか、二日遅れでも生誕祭くらい開いてあげれば良いのに。

「成人の日でもあったので、成人式には行かなかったんですけど、緑の振袖を着てパパとママと写真屋さんへ行って撮ってもらいました。で、夜に初めて居酒屋に連れて行ってもらって、子どもの頃から憧れていた赤ワインを飲んで、それだけで少しほろ酔い状態になって、その勢いというか、両親の前で思わず『売れなくてごめん』って謝っちゃったんです……」

 口数が少なく、いつも簡潔で当たり障りの無いコメントに終始していた影里が、突然重い話を始めたので流石に驚いた。いつしか観客のざわめきも聞こえなくなり、メンバーやスタッフも含めた全員が彼女の話に耳を傾けている。

「Vamos!はこうやって他のアイドルたちとの合同ライブに出させてもらう機会も増えてきて、お客さんも300人も来てくれるようになったのはとてもありがたいし凄く嬉しいことなんですけど、本当はもっと大きくなりたいとメンバー皆で思っていて、いずれは単独でZeppとか、ゆくゆくは武道館も夢見ています。でも、私はまだまだメンバーの足を引っ張っていると痛感していて、今日も、緑のブレードは少なくて……」

「ちょっとどうしたの?」

 影里が泣いている。僕を含む客席の全員がそれに気付いた時には既に明里がそばに駆け付け、声を掛けていた。

「私は歌手になりたくて、一人でギターを弾きながら歌うのが夢だから、こんなところで止まっている場合じゃないのに……」

「うん、大丈夫。影里は頑張っているよ」「そうそう自主練たくさんしているし」「歌も上手いし」「可愛いし」

 明里に続き、残りの3人も影里に身を寄せ、励ましの言葉を掛け合った。現在の5人体制になって2年弱、最近は惰性なのか円陣すら組まなくなったと言われているVamos!に、今でもこんな絆が残っていることにただただ驚き、感銘を受けた。影里は夢の為に純粋かつ我武者羅に頑張る素敵な女の子だ。僕の探し求めていた希望がそこにあった。

 ***

 二人並ぶのがやっとの幅の階段を上り、外に出る。辺りはすっかり暗くなっており、夜風が火照った身体を急激に冷やす。非日常から日常に戻るこの瞬間はいつも喪失と寂寥を感じるのだが、今日はむしろ高揚感に満ちていた。

「どうでした?」

 駅に向かう道を歩きながら、少女にライブの感想を尋ねた。

「……影里さんは、どうしてアイドルを続けているんだろう」

 素直に凄かった、感動したと言って欲しかったが、それはオタクのエゴなのだろう。僕は口を挟まず、彼女の話を最後まで聞いてみる。

「ちょっと性格が暗いだけで、顔は私なんかより何倍も可愛いし、アイドルとか歌手とか大きな夢を持たずに無難に生きれば幸せになれるかもしれないのに……」

 客観的には正論だ。でも僕は違う気がする。

「影里ちゃんは“輝きたい”からアイドルをやっているのだと思います。彼女にとっては輝くことがイコール“生きる”ことなんです。普通の会社に就職して平凡な毎日を送るだけでは輝けない。それは生きているというよりは、ただ死んでいないだけ。そうはなりたくないのでしょう」

 自分で言いながら改めて気付く。限られた時間の中で精一杯輝くのがアイドルの魅力だと。ステージ上の5人は今を“生きている”感じがするし、そんな彼女たちを全力で応援するファンもしっかり“生きている”のだ。

「もうちょっとだけでも、生きてみようと思いませんか?」

 少しばかりの沈黙を経て、少女は首をゆっくり縦に振った。

 ***

 原宿はちょっと苦手。でも二人なら歩けるかもしれない。その考えは甘かった。少女……北原倉美くらみは僕以上に歩きづらそうだった。人波を掻き分けるだけで精一杯で、少し目を離すとすぐ距離が遠くなってしまう。僕はスマホのGoogle Mapと睨めっこしながら進みつつ、時折後ろを振り返り、黒ワンピースに黒コート、黒ニット帽に黒スニーカーの倉美の存在を確認する。

「あ、ここだ。着きましたよ」

 目的の店は繁華街から少し離れた、名も無き路地に建っていた。真っ赤な玄関マットを踏み、全面ガラス張りの扉を開ける。およそ20坪の店内にあらゆる学校の制服がズラリと陳列されている。コスプレ衣装ではなく、全国の学校で使われている本物の制服が集められた店なのだ。

「売り場が……輝いている」

 倉美のキラキラした目を見て、心が躍っているのは想像できた。我ながらナイスな提案をしたと思う。彼女は通信制高校に通う3年生。実は僕より3つも年上だった。指定の制服は無く私服通学も可能なのだが、コーデを考えるのが面倒、そもそも服をあまり持っていないとの理由から中学時代の制服を着て登校していた。おしゃれへの興味喪失も希死念慮のサインらしい。危機感を覚えた僕は、自ら選んだ制服で登校してみてはどうかと提案したのだ。

「これ着てみたい。試着もできるの?」「もちろんです」

 試着がスムーズになる為、ワンピースを着て来ることを事前に勧めていた。倉美は様々な学校の制服に着替えては僕に見せてくれた。定番のブレザー、古き良きセーラー服、デザイン重視のジャンスカやワンピース。色も多彩なら柄も単色からチェックまで様々。真っ黒だった彼女は魔法にかけられたかのように可愛くなり、表情も柔らかくなる。

「ジャーン。これはどう?」

 7着目、それは奇跡の瞬間だった。ピーチベージュのブレザーに、スカートはローズピンクとライトグレーのチェック柄。リボンをあえて地味な茶色にすることで濃淡のメリハリも付いている。ここまでガーリーに全振りした制服も珍しいが、店員曰く品川区の女子高で実際に採用されていたのだという。

「アイドルみたいで可愛いです」

 ありのままの感想を言うと、倉美はこれまでに無い最高の笑顔を見せてくれた。彼女は3年間貯め続けたお年玉を躊躇なく注ぎ込んだ。帰り道は大きめの紙袋を大切そうに両手で持ち、ウサギのように跳ねながら歩いていたが、誰ともぶつかることは無かった。

 ***

 至る所で桜吹雪が舞う。今年は記録的な早さでソメイヨシノが開花・満開を迎えており、既にピークを過ぎているのだ。公園の一本桜も例外では無く、ところどころ緑葉を見せていた。門出に相応しくない光景に切なさを覚えつつ、ここを通るといつも紙芝居屋のおねえさんを思い出し、想いを馳せる。名前は確か……角川春奈かどかわ はるなさん、だったっけ。その名前で何度も検索しても消息は掴めなかった。あなたは今、どこで何をしていますか?

「おはよう」

 倉美の声が聞こえた。今日から僕は彼女と同じ高校に通う。彼女はもう4年生で、被るのは一年限りなのだが、それでも嬉しい。限られた時間の中で青春を謳歌したい。期待に胸を膨らませつつ後ろを振り向くと……。

「え、その服……」

 青天の霹靂。ピーチベージュのブレザーでは無かった。第2ボタンまで外したワイシャツに緩く結んだネクタイ、ベージュのカーディガンを腰に巻き、スカートは超が付くほどのミニ丈、そして極め付きは120センチのルーズソックス。倉美はギャルになっていた。もっと具体的に言うなら平成ギャルだ。

「どうしたんですか?」「んー、ちょっとね」

 倉美が祖母の介護をしていると知ったのは、それから一週間後のことだった。

(つづく)

◎各話リンク
第一話第二話→第三話(ココ)→第四話第五話

(関連作品)


いいなと思ったら応援しよう!