ヤングケアラーくらみ(後編) 【陽キャになれる島・第四話】
『おばあちゃんの思い出』 二年三組 北原倉美
私のおばあちゃんは絵がとても上手だ。特に水彩画を得意としており、パステルカラーしか使わないという拘りも持っている。
先日、おばあちゃんと二人で夕方の海を見に行った。とても寒かった。気温が低いと雲が水平線に付くくらい低くなることを初めて知った。
夕日が沈む。一面オレンジだった空に青や紫が加わり、グラデーションに染まる。マジックアワーである。おばあちゃんは見たままの色を使わず、ピンクとラベンダー、水色の3色でマジックアワーの絵を描いた。本物よりも柔らかい空に見えた。おばあちゃんの優しさを感じた。私はおばあちゃんの絵が大好きだと、改めて思ったその時だった。
「上を向いて歩こう 涙がこぼれないように」
近くの路上で若い女性がギターを弾き、歌っていた。坂本九の『上を向いて歩こう』。母が良く聴いていた、その影響で私も好きになった曲。しかし、おばあちゃんはそれを聴くや否や無言で立ち去った。一瞬だけ浮かべた悲しそうな表情を、私は見逃さなかった。
***
原稿用紙2枚目の7行目で文章は終わっていた。暗い話になりそうだからボツにしたのだという。倉美が当時中学2年ということは、今から5年前の話だ。
「この4年後……昨年、おばあちゃんの足腰の痛みが悪化して、ベッドで寝たきり状態になったの」
倉美は母子家庭。母親は平日に働いており、朝から夕方まで倉美が祖母・和子さんの介護をせざるを得なくなった。
介護の内容は10代の少女が抱えるには壮絶すぎた。朝7時に起きて呼吸や体温、オムツの交換、体位の変換、朝食作りに食事介助、歯磨き、着替え。ここまでで長い時は3時間も費やす。昼前に2度目の体位変換、12時に昼食介助、その後2度目のオムツ交換。15時におやつと水分補給、その後3度目の体位変換。16時に母親が帰宅し介護交代となる。学校は夕方から通う日もあれば自宅でオンライン授業の日も。レポート課題や諸々の家事などは介護の合間に処理しなければならない。
「中学時代の3分の2は学校に行けていなくて、それもあって高校は通信制にしていたの。だからたまたまだけど、通学を減らしてオンライン授業を増やすとかの融通は結構利いたし、介護をしている間は余計なことを考えずに済んだから、それ自体を苦に思うことはあまりなかった」
そう言う割には、川に身を投げようとしていた。希死念慮どころか本当に死のうとしていた。3ヶ月前、僕と倉美が出会ったあの日、彼女の身に何が起きていたのか。
「私のことをすっかり忘れてしまっていたの」
あの日の朝、倉美はいつものように朝食を作り、和子さんに食べさせようとしていた。和子さんの第一声は「あなた誰?」だった。不審者でも見るかのような目をしていたという。前日までは予兆すら無く、本当に突然の出来事だった。午前中で仕事を終えた母親が12時半に帰宅。倉美は玄関口で「どうして私ばかりこんな目に遭わなければならないの?」と吐き捨て、そのまま家を飛び出し、あの橋に向かったというわけである。
「憂太君がVamos!のライブに連れて行ってくれて、あれを見てちょっとだけ生きる希望を持てたから、死ぬのを踏み止まった。可愛い制服を買って、人生が楽しくなるかもって思えた。でも、3ヶ月経ってもおばあちゃんは何も変わっていない」
和子さんがこのまま倉美のことも、一緒に見た綺麗なマジックアワーも思い出せないままだったら、いっそのこと別人になってしまえ。血縁も絆も思い出さえも捨て、赤の他人として祖母に接するほうが悲しみも絶望も感じず、虚無でいられる。だから倉美はギャルになった。介護を始めてちょうど一年が過ぎた日のことだった。
「もう来年二十歳だよ。周りの子は皆キラキラしているのに、私は……大事な10代を棒に振った」
僕はずっと言葉を失っていた。ヤングケアラーや認知症はここ数年でメディアに取り上げられる機会も増え、深刻な社会問題として世間に浸透してきたが、いざ当事者から具体的な話を直に聞いても実感が湧かない。返す言葉が見つからない。
すると倉美は、右手で少しずり落ちたルーズソックスを引っ張りながら、左手を握り締め、手首をじっと見つめた。
「切っちゃった」
それを聞いた僕の表情は一変した。眉を吊り上げ、目と口を大きく開いた。すぐに眉は下がり、唇を噛み締めた。驚きからの困惑。倉美は長袖のブラウスを着ており傷口は見えないのだが、僕にそんな嘘をつく必要性もメリットも無いだろう。
「生きてよ! 死のうとしないでよ!」
僕は無意識のうちにタメ口になっていた。まだ倉美の脳内には死の選択肢が残っていることへのショック、倉美を失うかもしれない恐怖と不安、でも絶対に失いたくない執着から来る怒りが込み上げてしまったのだ。
「何だよ希死念慮って。世の中には生きたくても生きられない人がたくさんいるんだよ。病気はもちろん事故や災害、殺人、あと戦争。命を理不尽に奪われた人がどれだけいると思っているんだよ。生きられるなら辛くても生きろよ。簡単に死にたいなんて思うなよ。親は悲しむし、おばあちゃんだってきっと……てか僕も泣くからな」
こういう人の心はそう簡単に動かない。どんなに怒っても伝わらない。分かっている。分かっていても言いたかった。
「ごめん……そうだよね……ありがとう、話を聞いてくれて」
倉美は涙声で「もう帰らなきゃ」と言い残して立ち去った。母親との介護の交代の時間が迫っているらしい。
一人になった公園で僕は空を見上げた。アイドルのライブを観て、制服を買いに行き、登下校も共にした。少しは仲良くなれたと思っていたが、結局僕等は何も分かり合えていなかった。人生に希望を見出せないのは同じはずなのに、死生観は真逆で、僕は倉美の気持ちを未だに理解できない。
程なくして倉美に謝罪のLINEを送ったが、既読になることは無かった。
***
「白と黒のその間に 無限の色が広がってる」
Mr.Children『GIFT』の歌詞だ。幼少期の僕は捻くれていて、本当に色は無限なのかと疑ったことがある。調べるとカラーコードという概念に辿り着いた。最大値は「#FFFFFF」で白、最小値は「#000000」で黒。理論上は白と黒の間に1677万もの色が存在することを知った。確かに無限と言って差し支えなかった。
8月。島根県江津市の、今でも古民家の建ち並ぶ都野津という街で、赤一面の瓦屋根を見ながらそんなことを思い出した。良く見ると屋根によって色は微妙に異なっており、艶のある赤色から色褪せた茶褐色まで多彩であることに気付くからだ。
「長ーい年月を経て、赤から茶になる間に無数の変色をしているとも言えるんだわね。だから赤色、茶色だけでも何百色もあるのお」
僕の横で杖を突きながらゆっくり歩く曾祖母はそう言った。もう100歳になるというのに、こうして自宅の周辺を普通に散歩している。毎年帰省する度に健康的な姿を見ては驚かされる。
「同じ学校に、死にたいと思っている女子が居るんだけど、彼女を救う方法はあると思う?」
強い生命力を感じる曾祖母に、倉美のことを相談してみた。最後に会った日からもう4ヶ月が経とうとしている。あれから倉美は全ての授業をオンラインに切り替えたらしく、学校や通学路で会うことも無くなった。LINEも未読のままだ。それでも僕は諦めきれず、彼女を救う方法をずっと探し続けていた。
「生きるか死ぬかって、結果論だと思うんだわね。死んだら死ぬし、生きたら生きる。だから、生きているうちは深く考えないようにしているのお」
突然意味深なことを言い出す。僕が何も返せないまま戸惑っていると、曾祖母は再び口を開いた。
「戦争で友達みーんな失った。そっからの80年は余生だと思っているのお」
広島生まれの曾祖母は戦時中、運良く島根に疎開できた。しかし、広島に残らざるを得なかった学校の友人たちは――。この80年で家族がひ孫まで増えても、戦争の憎しみ、友を失った悲しみを埋められるほどでは無かった。その全てを集約した「80年は余生」の一言があまりにも重すぎる。それは果たして生きていると言えるのか。ただ死んでいないだけなのではないか。「生きるか死ぬかは結果論」の意味が、少しだけ分かったような気がする。
「少女を救えるのは、わしじゃなくてあんただと思うのお」
ふと空を見上げる。島根の空はどこまでも青く澄み渡っていた。一方で、あれだけ美しく見えていたはずの東京の空が実は白っぽいことにも気付いてしまった。空の色も無数にあるのかもしれない、と思った。
***
新車特有の化学物質の匂いがする。無言で運転する父の煙草臭を感じながら、助手席の僕は首を左に向け、真っ暗で変化の少ない景色を眺めていた。父は度々、自室のベッドでうなだれる僕を見兼ねては夜のドライブに連れて行ってくれる。この日もそうだった。3センチだけ窓を開ける。入って来る風が少し冷たく感じる。もうすっかり秋だ。
「今日もキンモクセイルート?」「ああ」
16号線、246号線を経由し、西湘バイパスで小田原へ。父はキンモクセイの『車線変更25時』で通ったとされる推定ルートを辿るのが好きだ。
「着いたぞ」
どうやら15分ほど寝落ちしていたらしい僕は、父の声で目を覚まし、車を降りる。もう何度訪れたか分からない御幸の浜。誰も居ない22時、波の音だけが聞こえる……いつもはそうだが、この日は違った。
「上を向いて歩こう 涙がこぼれないように」
満月に照らされた海を眺めながら、誰かがギターを弾きながら歌っている。ずっと探し続けていた優しい声色。もしやと思いながら恐る恐る近づいてみる。
「もしかして、角川春奈さんですか?」
勇気を出して声を掛けた。顔を見て、彼女がかつての紙芝居屋のおねえさんである確信を持てたからだ。
「えっ、どうして名前を……」
当然だが戸惑っている。彼女にとって僕は紙芝居の客の一人でしか無かった。しかも6年前の話だ。それでも思い出して欲しい。藁をもすがる思いで財布から50円玉を取り出し、ハンカチで拭いてから彼女に差し向けた。
「水あめ、下さい」
「……あ! あの時の男の子?」
当時、毎回欠かさず水あめを買っていたのは僕だけだった。止まっていた時がようやく動き出す。
「あなたの紙芝居が好きでした。やっと会えて嬉しいです」
「ありがとう。でも私、もう角川じゃないんだ」
おねえさんの今の名前は大月春奈。既に結婚していた。その予感は何となくあった。6年前、居酒屋で彼氏と談笑している姿も見ているからだ。あの時は僕の知らないおねえさんにショックを受けたが、今は違う。非リアからリア充、陰キャから陽キャになるのは良い変化だ。その代償として幻想的な物語を紡げなくなり、紙芝居屋を辞めざるを得なかったとしても、その後の人生を楽しく生きる為には必要な変化だった。だから今なら素直に、面と向かって心から言える。
「ご結婚、おめでとうございます」
その後は父の許可を貰い、僕とおねえさんの二人だけで近くのガストへ行った。たくさん話した。閉店の0時まで、6年間の空白を埋める会話を。
「月に閉じ込められたウサギを助けようと奮闘する黒猫の話が特に好きでした」
「あああれか、懐かしい。あのウサギの絵、自分でもお気に入りなんだ」
「そうそう、ウサギ! 顔はリアルなのに耳が大きいのが可愛くて、今でも覚えています」
「私、紙芝居を描く為に絵の教室に通っていたの。パステルカラーの水彩画に特化した有名な先生が居て、ウサギの描き方も丁寧に教えてくれたんだ」
点と点が線で繋がる。パステルカラー。水彩画。まさか。
「もしかして、先生の名前は北原和子さんですか?」
おねえさんは驚きつつも首を縦に振った。絵の先生は倉美の祖母だったのだ。認知症で倉美のことを忘れてしまった和子さん。そのトリガーは何か。それが倉美を救うヒントになるのではないか。和子さんを良く知るおねえさんなら解決に導いてくれるかもしれない。僕は迷わず、おねえさんに倉美のことを話した。
「え? 北原倉美って『陽キャになれる島』の候補者じゃない?」
突然もう一つの事実が明らかになった。BIOS TVで来春放送予定の無人島企画があり、おねえさんは出演者を歌で激励する特別ゲストとして出演依頼が来ていた。まだ半年も先の話だが、既に一人だけ、北原倉美という名の少女の出演は内定しているのだという。
「でも、倉美さんは和子さんの介護が忙しくて、番組に出演する余裕なんて無いはずでは?」
「倉美さんの話はプロデューサーから少し聞いたけど、彼女、介護うつになっちゃったのよ。それでも数ヶ月は介護を頑張っていたんだけど、結果的に和子さんはデイサービスに入居することになったの」
うつ病――僕は愚かだった。何故その可能性を考えなかったのか。そんなことも知らず、あの時酷いことを言ってしまった。
「どうしても倉美さんを救いたいです。協力してくれませんか?」
***
春一番の朝だった。緊張の面持ちで歩く僕とおねえさん。彼女の前髪は強風であっさり崩れ、ミモレ丈のスカートが捲れる度に「きゃあ」と叫びつつ両手で押さえる。
「じゃあ、頑張って」
途中の駐車場でおねえさんは僕を見送り、停められているロケバスに乗り込んだ。彼女は彼女で準備をしなければならない。一人になった僕は一本桜のそびえ立ついつもの公園へ。
「あ……久しぶり」
ベンチには倉美が座っていた。実に一年弱ぶりの再会。おねえさんが番組プロデューサーと交渉し、僕等が会話を交わす場を用意してくれたのだ。スタッフは居ないが、ゴープロが3台ほど設置されている。
「今日は来てくれてありがとう。和子さんも足腰の悪い中わざわざありがとうございます」
倉美の隣には、車椅子に座る和子さんの姿もあった。
「今日は二人に、紙芝居を見て欲しくて来てもらいました。せっかくなので、紙芝居屋さんに読んでもらいます。どうぞ」
チリンチリン。自転車のベルの音。ここでおねえさんの登場である。
「さあ、今日のお話、はじめるよー。タイトルは『上を向いて歩こう』」
小太鼓の音と共に、おねえさんが語り始める。
「1962年、日本のとある中学校に北原昭夫さんという男子学生が居ました。昭夫さんは、角川久美子さんという女子学生に恋をしていました」
昭夫さんは倉美の祖父、久美子さんはおねえさんの祖母だ。
「昭夫さんはギター、久美子さんは歌が上手でした。二人で『上を向いて歩こう』のセッションもしました。でも、中学卒業と同時に二人は離れ離れになってしまいます」
昭夫さんは11年後、26歳で和子さんとお見合い結婚を果たすも、久美子さんへの未練を残したまま長い年月だけが過ぎていった。そして昨年、2023年の1月。
「76歳の昭夫さんに転機が訪れます。3歳年上のお兄さんが天国へ旅立ってしまったのです。昭夫さんはとうとう、自分が生きる意味を見失い、死にたいと何度も思いました。でも、今死ねば絶対に後悔する。そうならない為にも、生きているうちにすべきことは何かを真剣に考えました」
昭夫さんはギター片手に久美子さんの家に押し掛けた。もう一度『上を向いて歩こう』をセッションしたい。久美子さんは最初こそ驚いたが、願いはその場で叶った。
「昭夫さんはおぼつかない手つきで弦を弾きました。チューニングも滅茶苦茶だったでしょう。久美子さんもソプラノとアルトを織り交ぜ、キーも音程も何度も外しました。でも、お互い気持ちは一つでした。人生で最高のセッションだったと二人は思いました。めでたしめでたし」
このことはすぐに和子さんにバレた。倉美の作文によると、そもそも和子さんは6年前の時点で『上を向いて歩こう』が嫌いな曲だった。昭夫さんは家でもその曲を頻繁に弾いていたらしく、その頃から色々と察していたのだろう。やはり自分は愛されていなかったのだろうか。そのショックから認知症を発症してしまった。かもしれない。
昭夫さんは昔も今も、愛していたのは一貫して久美子さんだった。無慈悲だが、それだけは揺るがない事実だ。結婚なんて結果論でしかないのかもしれない。それでも和子さんには、現実を全て受け入れた上で前を向いて生きて欲しい。そうするしか無いのだから。もちろん倉美にも同じことが言える。うつ病は治すものではなく、何年もかけて少しずつ良くしていったり付き合い方を覚えていくものだから。
「紙芝居はおしまいだけど、私から歌のプレゼントがあります」
最後におねえさんはギターを弾き、2曲も歌ってくれることに。
「泣きながら歩く 一人ぼっちの夜」
1曲目『上を向いて歩こう』は、その一節で締められている。そもそもが失恋ソングだが、和子さんにこの曲を嫌いになって欲しくない。そう思ったおねえさんは、もしもこの曲に続きがあるとすれば、アンサーソングは何だろうと考えた。
「ひとりぼっちで少し 退屈な夜」
彼女が2曲目に選んだのはモーニング娘。の『I WISH』だった。しりとりのように「ひとりぼっちの夜」が繋がっている。
「晴れの日があるから そのうち雨も降る 全ていつか納得できるさ!
人生って すばらしい ほら いつもと 同じ道だって なんか見つけよう! Ah すばらしい Ah 誰かと めぐり合う道となれ!」
誰もが夢を抱き、人を愛し、愛されたいと願う。しかし、多くの人はかつて思い描いた理想や憧れとは程遠い現実になる。それでも今を、現実を生きねばならない。生きるという義務課題の先に、もっと好きになれるものを見つけられるかもしれないから。遠回りも悪くないと思えるかもしれないから。生きよう。人生ってすばらしいと思えるその日まで。それが、僕とおねえさんの出した答え。
「でも笑顔は大切にしたい 愛する人の為に……」
***
何となくだった。強いて言うなら暇だったから、LINEの友だちリストをスクロールしていた。ふと君の名前を見つけ、あらゆる記憶が蘇った。いつの間に苗字が変わったのだろうと思いながらタップすると、プロフィール画面のアイコンはベビーカーに腰掛けた、どこか君の面影の残る小さな男の子。背景はその男の子が公園で走り回る短い動画のループ。無邪気に笑う子どもの視線の先に君の笑顔もあるのだと、容易に想像できる。衝動的にトークのアイコンをタップした。
「お待たせ!」
一本桜の公園で、僕等は7年ぶりに再会した。
「うちらが最後に会った日あるじゃん。私が無人島に旅立つ前日」
「ああ、この公園で春奈さんが紙芝居して歌ってくれた……」
「あの時、憂太君が告白してくれたら、私OKしたんだよ。勿体ないことしたね!」
それを聞いた時、想いを伝えられなかった後悔よりも、こんな僕を好きになってくれる人がこの世界に居たという事実に感動した。それに僕は、倉美と付き合いたかったわけではなく、倉美の笑顔を見たかっただけなのかもしれない。それは今、こうして叶っている。彼女が生きている限り、僕も希望を持って生きていられる。この程度で人生ってすばらしいと思うのは、まだ早いだろうか。
(つづく)
