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遅すぎた青春 【陽キャになれる島・最終話】

 忘れられない喫茶店がある。

 冬。下北沢。雑居ビル。薄暗い階段。食品サンプルのショーケース。カランコロン。オレンジ色の照明。白ワイシャツに黒ベストの店員。木目調のテーブル。ジャズのBGM。アイスコーヒー。赤いストロー。氷の音。感じない苦味。緊張している自分。

 向かいの席には、7つ年上の女性。


◎連続小説(最終話:6776字)

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 iPhoneのアラームで目を覚ます朝4時半。あまりの寒さに毛布の中から出て来られない身体。そのまま経過すること15分。今度は目覚まし時計のベルが鳴り響き、それに続くようにスヌーズ音のコンボでようやく起き上がる。ハロゲンヒーターのスイッチを入れてからシャワーを浴び、タオルで身体を拭きながら暖を取る。身支度を整え、フリースとジャケットの二枚重ねで防寒し、家を出る。

 2月の下旬だが早朝は3℃まで冷え込む。北風に抗いながらGUのスニーカーを走らせる。本当は物凄く寒いのだろうが体感では感じず、今は会社に行きたく無い気持ちの方が余裕で上回っていた。

 5時5分、小田急線の6号車に乗り込む。嫌な気持ちを紛らわそうと音楽を聴こうとしたが、骨伝導ワイヤレスヘッドホンは自宅に充電したままであることに気付く。無機質なガタンゴトンの繰り返しを聞きながらSNSを閲覧し現実逃避。このまま都会を離れ、のどかな田園地帯にでも行ってしまいたい心とは裏腹に、急行列車は逆に都心へと向かう。渋谷区の駅で下車。コンビニでお茶とパンを買い、少し歩くと職場に到着。裏口から入り、更衣室で着替え、売場へ向かう。

「おはようございます!」「おはようございます……」

 青果部門の日向晴夫ひなた はるおのエクスクラメーションが付くほどの明るい挨拶に、僕は三点リーダを付けるに値する小声の挨拶で返す。同じ店舗で働く社員同士ではあるが、部門が異なることもあり会話はほぼ交わさない。

 スーパーマーケットの朝は早い。10時開店だとしても6時半には大量の日配品が納品され、僕を含むグロサリー部門4人総出で品出しをしても開店時刻ギリギリにようやく完了する日もある。冷静に考えれば分かる。スーパーには牛乳、ヨーグルト、チーズを始めとする洋日配から豆腐や納豆、生麺などの和日配、卵やパン、アイスに冷凍食品まで“日配品”のカテゴリーだけでも幅広い商品が存在するのだ。これらの納品分の品出しを、昨日の在庫の品出しやフェイスアップ、プライスPOP取り付け、期限切れチェック、売価チェック、そして“エンド”の売場作りと並行して行うのである。エンドとは特売品などを売り込む特設コーナーのことだ。

 大量の品出しを終えると、今度は休む間もなく発注作業。タブレットのネックストラップを首から掛け、画面をタッチしたり右側のボタンを操作しながら日配品の発注を行う。和日配はベテランのアルバイトスタッフがやってくれるので僕は洋日配とアイス・冷凍食品のみだが、それでも品目は膨大。だが締め切りの10時半までに確認も含めて終わらせないと後々大変なことになる。押している日はリミットが20分未満しか無かったりもするが、そういう追い込まれた時だけ僕は仕事が早くなる。逆を言えば普段の仕事は遅い。10数年にも及ぶ社会人人生で転職を何度もしてきたが、作業スピードだけはどんなに努力しても改善しない呪いのような特性である。

 日配品の発注を終えると今度は11時半締め切りの菓子の発注が待っている。菓子もグロサリー部門に含まれる。その後は菓子エンドの売場作り。エンドには先週の特売品が大量に残っており、これらをレギュラー売場などへ逃がすところから始まる。それだけで30分~1時間も費やす。やっとの思いで空いた売場に今週の特売品を埋めていく。終わる頃には時計の針が13時や14時を指していることもある。休憩をとる暇なんて無い。ましてや1時間の昼休みなんてMAXで取れるわけないし、酷い時はパンを少しかじるだけで終わる日も当たり前のようにある。

 14時に10分ほどの店舗ミーティングを挟み、15時締切の飲料とドライ食品、日用品の発注を爆速で行う。ドライとは調味料や缶詰、カップ麺にレトルト食品など常温の加工食品全般を指す。とにかくグロサリー部門の範囲が広すぎる。酒も含めると2万品目以上あるのではないだろうか。

 15時にようやく全ての発注が終わる。だが仕事はまだ大量に残っている。ドライエンドの売場作り、プライスPOPの作成と仕分け、売場展開図の作成、その他諸々の事務作業を品出しやフェイスアップと並行して行う。精肉部門や海産部門のように下処理や加工などの職人技術を必要としない分、シンプルに作業量が多く、一つ一つを確実かつ時間内に処理する能力を求められるのがグロサリー部門なのだ。朝6時半からほとんど休憩なしで働き続けても、全ての作業を終える頃には23時を回る日だってある。ただそれはあくまでも僕の場合で、定時の17時をほとんど過ぎることなく退勤できる社員も少なくない。

 23時の時点で終電はまだある。しかし翌日も6時半に出社しなければならない。寝坊が怖いので漫画喫茶に泊まる。社会人になってから漫画喫茶を使う機会がべらぼうに増えた。どこでも寝られる体質で本当に良かったと思う。睡眠の質が浅くなる弊害は避けられないが。


 ***


「このままだと夜田よださんは契約社員に降格になる」

 翌日、同じ部門の桂木チーフから最終警告を喰らった。4月以降の人事が発表された矢先の出来事だった。僕もチーフも配属部門・店舗は共に変わらず。全く同じ布陣で4年目の春を迎えることとなったのは極めて異例のことである。

「社長がかなり怒っている。確かにあなたはこの3年間、ほとんど成長していない。年齢もアレだし、会社はいつまでも待ってはくれないよ」

 32歳で入社した僕も今や35歳。アラフォーである。あっという間だった。今日と明日のことを考えるだけで精一杯で、ただただ仕事に追われるだけの日々を続けていたらいつの間にか3年が経過していた。成長なんて二の次だった。というか小売店で、それもグロサリー部門の業務内容でどうすれば成長、昇進できるのかが未だに分からない。ただ、僕が悔しいと思う理由は他にあった。

「4年目も同じ部門、同じ店舗で、他の店舗を担当させてもらえないことがショックです」

 多くの平社員が大体2〜3年でチーフに昇進、もしくは他店舗へ異動し着実に経験値を積み上げている一方で、僕は売上がそこまで高くない店舗で3年以上も飼い殺しにされている。

「じゃあ夜田さんの問題点を一つずつ挙げていくけど……」

 チーフの容赦ない攻撃が始まった。発注ミスが多い、バックヤードの在庫整理が甘い、昨日はアレやっていない、先週はコレやっていない、アルバイトスタッフとのコミュニケーション不足、そして残業時間の長さ。最後に関しては作業途中でも18時までにはタイムカードを切って誤魔化しているが、それもバレているのだろう。流石に23時まで居るとは思っていないだろうが。

「今年度が勝負の一年になると思う。ここで何も変わらなければ社長の一存で来年には契約社員になる。とりあえず今後はPDCAシートを毎週提出して。あと毎月末に評価ミーティングを行うから」

 この時点で僕は絶望していた。部門や店舗、あるいは上司が変わるならまだしも、全てが全く同じ環境でどうやって成長しろと言うのか。加えて、どうしても納得いかないことがあった。

「最後に何か聞きたいことはある?」

「あの……こんなこと言って良いのか分からないですけど」

「いいよ。何でも言ってみな」

「青果の日向さんが降格の危機になっていないのは何故ですか? 中途入社で30代でまだ平社員。状況としては僕とそんなに変わらない気がするんですけど……」

 日向は僕と部門が違い、業務内容も大きく異なるので一概には言えないのだが、側から見ても向上心は全く感じられない。このままでいいやと現状維持に甘んじているとしか思えない。僕は早朝から夜遅くまで休憩もろくに取らず働き続け、それでも成長できずに焦っているというのに。

「そういうところなんじゃないの? 今まで俺の話の何を聞いていたの? 仕事の前にまず考え方を改めろよ」

 チーフは激怒し、説教はここから更に30分も続くこととなった。今の自分は他者を気にしている場合ではない。まず自分自身を見直さなければならない。分かっている。分かっていても言いたかった。社長の評価の仕方に疑問を抱いているからだ。

「日向さんには向上心が感じられないって社長に言ったのよ。そしたら社長は『平社員も会社には必要だ』って」

 数日前、他店のチーフから聞いた話だ。僕に対する評価と全然違うではないか。社長は日向を贔屓しているとしか思えない。いつだって社会は理不尽と不公平に満ちている。


 ***


 アイスコーヒーの苦味を感じないほど緊張していた。下北沢の喫茶店で中沢さんと二人きり。契約社員降格の危機に陥り、同じグロサリー部門のアルバイトスタッフである彼女に助けを求めた結果、喫茶店で話を聞いてくれることになったのだ。

「夜田君はね、理詰めで考えすぎなのよ。確かに日向君に向上心は無くて、夜田君の方が頑張っているのかもしれない。でも、それが正論だとしても、日向君のことをチーフに言ったら怒られる。何故なら論理と感情は相反するものだから」

 中沢さんの言葉はいつも説得力がある。論理と感情は相反する、この一言だけで僕のモヤモヤは早速一つ消えた。

「あと、努力も向上心も評価に関係なくて、仕事は結果が全てだから。定時に退勤できてミスも少ない日向君のほうが評価されるのは当然のことよ」

 ◆◆◆

 効率的な仕事ぶり、充実した私生活。キャリアウーマンとは正に中沢さんのことだった。仕事ではいつも“目の付けどころがシャープ”だった。

 入社1年目からチーフや店長に怒られてばかりの僕は、中沢さんの優しさに心を惹かれた。彼女と1秒でも長く雑談をしたい、ただそれだけの想いで普段の生活から会話のきっかけになりそうなネタを探すことが多くなった。翌日の昼食のパンやお茶を買う時さえも、「それどこで買ったの?」と聞いてくれそうな珍しいものにしようと心掛けた。
 中沢さんは「面白い」「おかしい」と何度も言ってくれた。自分はウケを狙っているわけでもないのだが、真面目キャラが運良くツボにハマってくれたようだ。一方で「すごい」と言ってくれることは一度も無かった。それが仕事に対する評価の全てなのだろう。

 入社2年目。中沢さんとの距離が少しずつ縮まり、深い関係になっていくのを肌で感じていた。
 例えば、僕がふとした失言をしてしまい、笑いながら「酷い」と言われた時。貶されることが、逆に一歩踏み込んだ関係になれていると感じた。普段の彼女が優しくて聖人だからこそ、尚更。
 例えば、お互いがプライベートを細部の細部まで曝け出した時。僕が高校を中退した話をすれば、中沢さんも高校時代はぼっちだったと返してくる。上辺だけの関係なら飛び出さない話を、いつの間にかしていた。
 例えば、中沢さんが僕個人に対するお土産をくれた時。「生きていて良かったです」と感想を伝えた時。笑いながら「大袈裟だよ」と返ってきた時。

「素敵です」

 入社3年目、何かの拍子で中沢さんに言ってしまった。半分告白みたいなものではないかと感じ、心臓のバクバクがしばらく止まらなかった。理不尽で無慈悲、おまけに不公平なこの会社で、彼女だけが生きる希望だった。

 ◆◆◆

「はじめまして。BIOSバイオス TVの田中丸雅之たなかまる まさゆきです」

 ビシッと決まったスーツ、黄金に輝くロレックス、ホワイトニングされた歯。それは絶望だった。中沢さんの横に男が座っているのだ。

「……誰、ですか?」

「私の彼氏よ。夜田君のことを話したら、是非とも番組に起用したいって言うから呼んだの」

 アラフォー童貞の遅すぎた青春はあっさり終止符を打たれた。中沢さんに彼氏が居る可能性を考えていなかったといえば噓になる。それでも確定だけはさせたくなかった。曖昧なまま、仕事中に楽しく雑談するだけの関係をずっと続けていたかった。とうとう確定してしまった。しかも、個人的には全くと言って良いほどイケ好かない。せめて相手は真面目な好青年であって欲しかった。思い返せば、これまでの人生で自分に優しくしてくれた女性は大体年上か、彼氏持ちか、あるいはその両方で、今回も例外ではなかった。中沢さんが僕より7つ年上であることも今日初めて知った。

「日向さんって人もそうですけど、仕事では結局陽キャが得をするんですよ。コミュ力に長けていれば上司に気に入られやすいですからね。そこで提案なんですけど」

 早い話が、この春放送予定の企画『陽キャになれる島』のオファーだった。家族・友人・恋人から住居・学校・職場まで現状の全ての環境を捨てる覚悟のある陰キャたちが無人島に集い、3ヶ月の共同生活を経て陽キャに生まれ変わるドキュメントだという。

「仕事を辞めて無人島へ行き、帰ってきたら陽キャとして第二の人生を歩めるというわけです。魅力的だと思いませんか?」

 環境を捨てるということは、当然今の仕事を辞めるということ。確かに3年も続けたのにほとんど成長できずに悩んでいたし、今は失恋の絶望も加わっている。どん底もどん底だ。気持ちが揺らいできた。こんな自分でも陽キャに生まれ変わるチャンスがあるのだとしたら、縋りたい、縋るべきなのかもしれない。

「どうして、その島に行けば誰でも陽キャになれるのですか?」

「それは今は教えられません。まずは参加するかどうか、良く考えてみて下さい」


 ✳︎✳︎✳︎


 春一番の朝だった。緊張の面持ちで歩く僕と、横でカメラを回す女性スタッフ。彼女の前髪は強風であっさり崩れ、ロングスカートが捲れる度に「きゃあ」と叫びつつ両手で押さえる。

「今の心境はいかがですか?」

「とても緊張しています。彼とはほぼ話したことが無かったので……」

 忘れられない喫茶店がある。春。下北沢。雑居ビル。薄暗い階段。食品サンプルのショーケース。カランコロン。オレンジ色の照明。

「おはようございます……」「おはようございます!」

 木目調のテーブル席には日向の姿があった。向かい側に僕も座り、女性スタッフは退店。店内には二人きりで、ここからは固定カメラでの撮影となる。

「まずは日向さん、チーフ昇格おめでとうございます」

 それは突然の決定だった。2週間前の人事発表の際には無かったことだ。しかし先週、他店で青果部門の社員が金銭不正で懲戒解雇となり、チーフ枠が一つ空いてしまった。そこで急遽、人事の見直しが行われ、もうすぐ40歳を迎える日向にチャンスを与えることにしたのだという。

「それが決まって、ようやく分かりました。会社は、社会は、結果が全てだということ。どんなに理不尽で無慈悲で不公平でも、それを受け入れるしかないということ。これで悔いなく、清々しく会社を辞めることが出来ます。明日から僕は無人島で生活します。3年間お世話になりました」

 すると、流れていたジャズのBGMが突然止まり、Mr.Children『もっと』のイントロに切り替わった。

「ヘッドフォンで塞いだはずの理由のない孤独な叫び」

 店員からマイクを借りた僕は、その場で歌い始めた。

「世界は誰にでも 門を開いて待っている
 平等の名の下に 請求書と一緒に
 どんな理不尽も コメディーに見えてくるまで
 大きいハート持てるといいな もっと もっと もっと」


 ***


 元アイドル、西山影里かげり。元ヤングケアラー、北原倉美くらみ。元スーパーマーケット社員、夜田誠二。エトセトラ、エトセトラ。無人島には僕を含む8人の男女が集められた。

「今から皆さんには、この島で3ヶ月間の共同生活をしていただきます」

 田中丸Pからの説明はそれだけだったが、結果的に番組は恋愛リアリティーショーと化していた。サバイバル生活という極限状態の中では吊り橋効果が生まれやすい。出場者同士で勝手に距離を縮めていき、カップル成立の過程で自然と陽キャに転身していった。中でも北原さんと佐野君は企画終了後も順調に交際を続け、5年後に結婚することとなった。成就しなかったのは僕と西山さんの二人のみだったが、彼女は最終日、サプライズゲストの角川春奈かどかわ はるなさんの登場に涙を流し、悔いなく企画を終えた。

 出場者の中で唯一、僕だけが何も残らなかった。陽キャへの転身も叶わず、今は飲食店の社員として激務な日々を送っている。結果が全て、論理と感情は相反する。中沢さんが教えてくれたこの二つの言葉を胸に刻み、文句を言わず謙虚な姿勢を心掛けた結果、一応チーフには昇格し、万年平社員からの脱却を果たした。理不尽をコメディーに思えるような大きいハートはまだ持てていないが、ほんの少しなら許せるようにはなったのかもしれない。

(Fin.)

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※最後までお読みいただきありがとうございました。創作大賞へのエントリーはTALESにて行います。本日20時全話更新予定。

 作品リンクはたぶんこちら。


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