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【山本直樹】オフィスサンサーラとの25年 16 サンサーラ、事務所の青山移転とデジタル・ムービー・コミック


 前回、IBMとの仕事で当時のデジタル技術の最前線で仕事をして、現在のIT業界の大企業がまだ登場していない時期に、恵まれた位置にいたのに、サンサーラはなぜ大企業になれなかったのか、という疑問を自分に課しました。そして、 その理由は単に、私に商才がなかったからではない、とも。
 1994-5年ころ、日本経済がバブル崩壊で低迷しているころ、デジタル技術の世界では、その後の流れを決定する技術革新がアメリカから押し寄せてきていました。それはいうまでもないインターネットです。サンサーラはIBMからの依頼で、ホームページ制作をはじめます。しかし、この基幹技術の先にどのようなビジネスを構想するか、まだ誰も正解を見つけていませんでした。もっと遡れば、このインターネット技術を生み出した、コンンピュータによる情報のデジタル化があり、これが業界の様々なシーンで新しい動きを生み出していました。
 デザイン・編集・印刷の世界がデジタル化されて、DTP技術が生まれ、私はこれを真っ先に利用して「東京レディコング」を創刊したわけです。デザインや写真の世界がデジタル化されて、画像処理が自由になって、その技術を使ってアニメーションが簡単に作れるようになりました。
 さてここです。この画像処理のデジタル化を起点として、2つのビジネスが発生します。一つは、この画像処理技術を使ってデザイナーたちの作業を助けるために、素材の画像をアーカイブで提供するビジネス。
 もう一つは、この技術を使って、漫画をデジタル化して、簡単なアニメーションにしようとしたのが、我がサンサーラでした。手書きの漫画原稿をスキャナーで読み込み、デジタルデータにして、動かす部分をフォトショップで描き変えて、アニメのコマ割りを作り、それをディレクターという編集ソフトでアニメにする。ディレクターには音声も入れられるので、声優をつかってセリフを、効果音までいれる。
 すると、漫画が新しいコンテンツとして魅力を発揮しました。アニメーターが描きなおしたキャラクターではなく、作家が描いたままのキャラクターが動く。
 この新しい漫画を「デジタル・ムービー・コミック」と命名して、このプロジェクトに乗ってくれる出版社を探しました。
 そこで出会ったのが、それ以降現在に至る、長い付き合いになる太田出版の岡聡さんとの出会いでした。岡さんは、その後太田出版の社長・会長になるのですが、当時まだ30代半ばで、脂のりのりの企画・編集者で、すぐに当時売れっ子の山本直樹さんに話してくれた。代表作「ブルー」のサンプルを作りもっていった。山本作品のきわどいエロい表現が、詩的な不思議なリアリティで表現されて、気に入っていただき、発売に至りました。たぶん、日本のデジタル・ムービー・コミックの最初の試みだと思います。

デジタル・ムービー・コミック第一弾
山本直樹Collection(太田出版)

 その後、遊人さん、日野日出志さん、うたたねひろゆきさんなどの作品をリリースしました。
 さて、今回の疑問は、冒頭に記した2つのデジタル技術をつかったビジネスで、どちらが成功したかということ。答えは、1番目のアーカイブビジネス。私たちのコンテンツ作りは、コミックをスマホで読む現在になってやっと一般化しましたが、それでも、アニメ化などはされていません。
 ここではっきりしたことがあります。成功するビジネスモデルは、デジタルの流通モデルを作った側にあったこと。ソフトバンクしかり。私の敗因は、その流通に乗せるコンテンツ作りに夢中になったこと。そしてそのコンテンツに、その時代の最高品質を求めてしまったこと。誰も、そこまで求めていなかった。
 いまなら簡単にわかることが、当時の私にはわからなかった。
 そして、時代もまだ、このような冒険と実験を許してくれていた。
 オフィスサンサーラも、やっと、妻の事務所の居候を脱して、青山に事務所をかまえます。次回は、その事務所ではじめた、サンサーラのライフワークの話です。

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