オフィスサンサーラとの25年 8 倒産、そして鰯ばかりの日々が始まった
倒産するのも楽じゃない
さて、話は少し飛んで、「東京レディコング」の突然の廃刊後のことになります。
倒産を経験したことのある人は、お判りでしょうが、というか、こんな経験しないにこしたことはないのですが、力尽きて手をあげたあと、ちゃんと倒産するまでが大変です。
債権と債務の保全と、債権の取り立てと、債務の交渉など、倒産した会社の経営陣に代わって、第三者が管理して、倒産手続をしなければならない。
そのために弁護士を雇う必要がある。その弁護士費用がもう会社にはなかった。
この時窮地をすくったのが、間違えた口座に入金されていた、私が友人から借りた300万円でした。この金がなかったら、ある意味経営陣は夜逃げ状態になる。
対外的折衝はこの弁護士に任せて、私たちは社内で待機。いつでも弁護士の質問に答える必要があるのと、どんどん訪ねてくる人たちの対応。
つまり弁護士なんか知ったことか、こらおまえら、どないしてくれるんや、みたいな人や、債権者を装った、恐喝や詐欺師がワンサカくる。社員はもう出社しないけれど、総務と経理の女性は出社している必要がある。会社の入り口は閉じて、人は一切入れない状態にしていたら、その対応に出た女性に拉致紛いのまねをする暴力団系の男まででてきて、警察をよんだりと、緊張した日々がつづく。
次々起こる事態に右往左往して、ジタバタしている時はいそがしさに紛れていたけれど、ふと時間ができて、荒れ果てたオフィスの惨状をみると、あまりの世界の突然の代わりように、笑うしかないような、でも、どこまで落ちて行くのか分からない恐怖が襲ってきて、足元の床が突然抜けたような感覚に襲われました。比喩でよく、底が抜けたといいますが、ほんとにあるんだと、妙に関心して。
この会社整理の過程で対処しなくてはならないのが、会社の借金の保証人。平常運転時の会社の資金繰りは岩ちゃんがしていた。それ以降の年明けからの、高い金利の中小銀行からの借金と、個人的な借金については、私が保証人になった。この支払い義務から逃れるには自己破産しかない。でも、私は自己破産しなかった。さっさと自己破産して楽になればよかったのですが、嫌だった。この借金を返すのに、結局、10年かかって、つまり私の40歳代は、この借金返済に費やされた。なんであんなに頑張ったのだろう、自分を罰したかったのだろうか。
突然、無収入の借金まみれ男になった
当時まだ再婚して1年目くらい。時代の最先端、新興メディア企業の創業者とか、はなばなしく登場した男が、あっと言う間に、無職、無収入の借金まみれに落ちぶれた。よく妻に捨てられなかったものと、今も感謝なのですが、谷中の借家も、おいそれとは引っ越せない。この時は彼女がガンガン仕事をしていたので、助けられた。それで生き延びた。
とは言え、会社の整理がついてみると、結局私は1人ぽっちになっていた。
人情は紙風船とはいうけれど、あれだけ佃煮にしたいくらいいた、周りの人々が見事にいなくなった。そりゃそうで、倒産なんて不吉なクジ引いた男なんかに、誰も近づきたくない。
その頃、行くあてもなく、よく自転車で下町を走りまわった。隅田川、荒川の河川敷も、深川、晴海、おかげで下町の地理には詳しくなった。そして帰り道、上野のアメ横によって、安い食品を仕入れて帰った。特に助けられたのが、鰯。アメ横は何でも1000円の大量販売で、トロ箱いっぱいの鰯が、ときには500円くらい。それを持って帰って、下処理して、煮たり、焼いたり、揚げたりして、結構美味しくいただいた。その頃一緒にいた猫のトロが、私が料理をしている背後で、せっせと鰯をかじっていて、それを取り合ったりと、結構楽しく暮らした。
とは言え、借金の返済がどんどん迫る、とにかく稼がなければならない。
そんな時に、昔の知り合いから連絡がきた。
大昔のヒッピー時代、キチベイと呼ばれていた同い年の江里口君が、あろうことか、ミサワホームのトップセールスマンになっていた。この縁で「ON THE LINE」のインタビューに三沢千代治さん登場願ったりした。その彼が立川の面白い企業でメディアを作りたがっているから紹介すると言ってきた。
その企業はジャックといって、自然食品の宅配サービスを、多分日本で最初に初めていた。その会員向けのメディアを作りたいと。ありがたい話で、立川まで通って会員向けのメディアを、社内の女性スタッフが自前で作れるように、システムをつくってあげた。
それでそこの社長だった荒川君と親しくなって、彼が、ちょっと面白い女性マーケッターがいるから紹介するよといってくれた。
これが、これから15年以上の付き合いになる、私の第四の恩人、沢登信子さんとの出会いになった。
