【レヴィアタンの腹の中】苦re:⑧ 本質という鎖 [悪]
暗い、何も見えない道を独り歩く。
何も見えないから分かりようもないが、なんとなく足元は綱のように細く、少しでも踏み外せば奈落の底へ落ちていってしまうように感じている。
今でさえ真っ暗なのだから、奈落の底がどうであろうとかまわないようにも思うし、どこかでは本当は落ちた先にこそ光があるような気がしているのだが、それでも怖くて仕方がない。
だから私はただその道を歩き続ける。
いつから私はこんなにも臆病な存在になったのだろう。
いつから「力」を失ってしまったのだろう。
蠱毒というものをご存知でしょうか?
入れ物を用意しその中いっぱいに毒虫を詰める。どこからどこまでが生体で、どこからどこまでが死体かもわからないまま、虫達は互いを喰い合い、毒で犯し合う。
そして最後に残った生体を「力」の強い個体として呪術に用いる、というものです。
羊の群れを想像してみてください。
羊たちの畜群性は種の生存戦略として考えられ、たとえば捕食者が現れて一頭が喰われたとしても、その捕食の量には限界があるため、他の羊は助かるというようなことが考えられています。
また一匹が走り出した際に他の個体たちが付いていくのも、群れることが種としての生存戦略である羊たちの、群れというカタチが崩れる不安・ストレスがそうさせるのだという考え方があります。
カタチを守るためにストレス刺激を避ける、
これこそが生存戦略の要であり、その表現の仕方が違うのみで多くの種がこの法則に従っているのかもしれません。
そうすると疑問に上がるのがその法則はいつから生じたのか、ということで、さらに言うなれば、羊は最初からそうだったのか?ということ
端的にいうと、単に不快な刺激を避けるだけの弱々しい存在ではなく、もっと「力」強い、羊の原種(オリジナル)が存在していたのではないか、ということです。
およそ300年前『社会』が成立しました。
この『社会』の本質は啓蒙によって設定された加速システムであります。
いくつかの記事でお伝えしてきたことですが、ニンゲンには仲間と想える数の制限があるとされます。この人数は150人とされますが、実際は数万人程度までは薄くでも仲間意識・共同幻想を抱くことができるのではないか、ともされています。
それでも数万人程度であり、国規模の大きなシステムの中で「私たち」という共同主観を醸成するためには「不都合な要素を抑圧する」ことで、そのシステムによりかかることの合理性をつくりだすことが必要なのです。
簡単にいうと、「その場で同じことを繰り返していれば生きていける一定の報酬があるのだからそれでいいではないか」、ということです。
それが必ずしも悪いと言いたいのではなく、その「維持」の中で共同主観が広くなり、その『社会』の文化が発展するという側面があるでしょう。
しかし、重要なのはそれは「不都合な要素を抑圧すること」がベースで成り立っているということであり、世界情勢の混沌化や、『社会』内のパワーバランスの変化による革命的な先導、それに便乗した他国の介入が、抑圧してきた不都合な要素を「破壊」のエネルギーとして引き上げるようになる。
ここの段階で重要なのは、パワーバランスの変化が生じ始めたとはいえ、「維持」システムの中で作られた権力体制を打破することは簡単ではなく、故に新興勢力はテクノロジー及び、その利権をもつ派閥の力と結びつく。
そしてその新しい力が「維持」を「破壊」した後に生じるのは、延々と続く混沌である。
この混沌を納める手段を破壊者たちは持たない。
「創造」は「破壊」より非常に難しく、破壊者たちはいつも、そんなに器用ではないからです。
これにより人々は自ら望んでいたはずの破壊者たちが一層されることを望むようになり、より大きな「維持」システムが「創造」されることを期待する。
その期待に応えるかのように新しいテクノロジーを携えた「創造」者が現れる。
この一連の「創造」、「維持」、「破壊」によってテクノロジーの進歩を加速させるという枠組みこそ、啓蒙達が創り出したかった『社会』なのです。
そしてこの『社会』という容器を使って、ニンゲンという毒虫の喰い合いをさせることで、「力」強いニンゲンのオリジナルを再生させるのです。
より正確にいうなら、レヴィヤタンという母体(電子の海)への回帰と「力」のリバースを顕現させるためのテクノロジーの加速、ということです。
彼らの背中には、自分を省みることなく欲望のおもむくままに生きる人々、ヌーディスト、エゴイスト、大酒のみ、嘘つき、姦通者、不信心者、不敬者、欲張り者、黒衣を着た司祭の背中には、偽善者と記されていて、みなその銘に相応しいいでたちをして歓楽に満ちた町をめざしています。
そして、誤った道である広い門をくぐった人たちを待ち受け、人びとを誘うかのようにどす黒い悪魔が白い階段に座って音曲を奏でています。誘われた人達は、周囲の黒々とした地獄の兆しには一向に気付かず、その白い石段を高みへと昇っていきます。
果ては、空しい喜びもつかの間、次の瞬間には奈落の底に落ちて、大きな口を開けたレヴィアタン(怪物)に吞み込まれています。

暗い、何も見えない道を独り歩くあなたへ。
あなたは「啓蒙」が照らし出す光を信じますか?
それとも奈落の奥底から、あなたを呼びかけ続ける
誰かの淡い祈りを信じますか?
Dはユメを通して繋がっています。
そのふわりと浮かんだ想いは、
ピカっと突き抜けたひらめきは、
どの時代の、どのDの祈りなのでしょうか。
「認識」とは「先祖」である。
これまでお伝えしたきたことの意味となります。
そのようなイシの繋ぎ方があることを覚えておいてください。
穏やかで、優しいあなたが、望むままにこの世界を歩んでいけますように。
あなたが暗闇の中にいるなら、どうせ暗闇なのならば、
だからこそどこにでも行けるよ
あなたはどこに行ってもいいのだから
祈りの導きに従って、
あなたが光になれる場所へ
あなたの本質が光だったと思い出せる場所へ
空、雲、木々、おひさま、川や海の水の冷たさ、動物たち、風、土、
おつきさま、花々、
それらを通って湧き上がる祈り
あなたという光
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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