ホントウのこと
ホントウの強さってなんだろう?
ナチスドイツによって強制収容されたユダヤ人の記録には非常に痛ましくも、同時に非常に示唆に富んだ報告があります。
強制収容前、非常に快活で逞しく、人々との関係を大切にして周囲からも信頼されていた男性についての記録。
収容所内の「この日になったら出られる」という噂を信じて、自身や人々を励まし続けて、決して弱音を吐かず、明るく振る舞っていたとのことです。
そして出られると噂になっていた日が実際に訪れて、それがただの「妄想」にすぎなかったと突きつけられたその男性がどうなったかわかりますか?
亡くなってしまったとのことです。
自ら命を絶ったのではありません。
ショックすぎて亡くなってしまったのです。
外側を基準とする個人は実態としては非常に弱い部分があるのかもしれません。
一方で意外な人物が最後まで生き残ったことも記録にあり、その女性は収容中ずっと一本の木と話していたとのことです。
もしかしたら、ホントウの強さとは木々や花々を仲間と思えるような感性のことなのかもしれない。
「人の話を聞け」
「相手の気持ちを考えろ」
そのように言われたことは何度かありますが、言われた通り、聞こうと、考えようと、
そうすればするほどにこの世界では、
ほぼ誰も人の話など聞いてないし、
ほぼ誰も相手の気持ちなど考えていないことがわかるばかりでした。
みなにとっての「聞いてる」とは、
みなにとっての「考える」とは、
自分と他者との間でプレイしているゲームのルールが同じであることを確認しあっているだけではないかと思ったのです。
そういったものは嘘の「聞く」であり、嘘の「考える」であると感じた私は、ホントウの「聞く」ホントウの「考える」というものは自分とは違うルールを知ることであると考え、私のゲームを拡大することで相手のゲームを内包しそれらを成そうとしたのでした。
ここで問題は、それは相手への「侵略」ではないかということと、反対に相手からの「侵蝕」ではないかということでした。
そうやって私は私でなくなっていく
そうやって君は君でなくなっていく
別の私と別の君になっていく
それでもいいよ
ボクは君が好きだから
君と一緒にいたいから
君のためならボクは私でなくなってもいいんだ
君が今の君であり続けなくてもいいんだ
ボクと君はそうやって想いあっていける
それはきっとホントウのことなんだと
信じている
そう信じているボクが今ここで生きている
この瞬間存在している
ホントウのことだ
人々はそれぞれにそれぞれのゲームを行っているとして、
「言葉は嘘をつく」のだとして、
そうであるならニンゲンは存在そのものが嘘つきかもしれない、とも思えてきます。
(中略)
制限された「自我」の機能上、「こちら側」の世界ではいつも言葉はすべてを説明し得ない、言葉は言葉である時点で嘘をついているのだといえます。ならホントウのことなどこの世界にはどこにもないのではないかとも思えてきます。
嘘つきのみなさん
人生はアドベンチャーです
ホントウのことを探して今この瞬間から冒険に出かけましょう
残念ながら『社会』というシステムはそれを必ずしも提供してはくれません
システム上望ましいものが、たまたまその個人のホントウのことと一致するケースはあったとても、それがあなたにも適応されることはないと考えた方が良いでしょう
なら冒険に出るしかないのです
そう言うと人によって、(おまえは何もわかっていない)と、そう感じるかもしれません
今辛いんだよ!!
今どうにかしてほしいんだ
今すぐホントウのことが知りたいんだ
それを誰が提供してくれるのかが知りたいんだ
そうでないともう耐えられない
それでもあなたは冒険に出るしかないのです
ホントウのことがあるのだと信じるしかないのです
それが自分の内側にあることを
その鍵が外側にあることを
それを信じるしかない
これもまたホントウのことなのに
大人は子どもたちに伝えられなくなってしまった
私の記事を読んでくれる若い子がいるとは思えないけれど、もしいたならホントウのことは自分で創り出すしかない、ということをぜひ覚えておいてください。
あなたがホントウの幸せになれるように
