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「こちら側」泉のなかに誰がいるの???「あちら側」(御神渡りと内なる異性)




○はじめに(湖の「こちら側」と「あちら側」)

泉のなかに 誰がいるの 
耳をすませば 声がする

オーラ•リー 作曲:プルートン 訳詞:阪田寛夫


湖の「こちら側」と「あちら側」


私の記事をここまで読み続けたきたあなたであれば、多くを語らずとも、それだけで、様々な電気信号(スパーク)が脳や身体中を駆け巡るのではないでしょうか?

それは正にあなたの中で、言葉という「箱」のなかの歪められた「認識」たちが再構築され、本来の日本語が甦りつつある状態といえます。

・関連
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  ・古代氏族【忌部氏】天皇即位に必須のものとは? ゲスト忌部文化研究所 林先生 日本の源流がここにある。

ここで私が言いたいことは。この曲を「(自主規制)」という単語の意味を知らずに聴くことと、知った状態で聴くのでは同じ「きく」でもまったく異なる、ということです。前者はどちらかといえば「聞く」でしょう。

つまり、たった一つの単語に全ての景色をガラリと反転させる「力」が込められており、その「力」に気がつけるかどうかで知覚の上限はかなり変わってくる、ということです。

🚫直観機能の伸ばし方🚫

その上で久々に諏訪の伝承について触れましょう。


○諏訪の御神渡り伝承

以前の記事でも触れた通り、諏訪大社は過去の諏訪湖畔を取り囲むように上社(前宮・本宮)、下社(春宮・秋宮)の四社で構成されており、上社には男神のタケミナカタが、下社には妻の八坂刀売命(ヤサカトメノミコト)が祀られているとされます。

タケミナカタとヤサカトメは湖を挟んで「こちら側」と「あちら側」で祀られている、ということです。

「ガワ」だけに目を取られてしまうとわからないのかもしれませんが、私はずっと諏訪信仰についての記事を書いているのです。

「アニマ「裏」タケミナカタ神話「裏」アニムス」


「こちら側」と「あちら側」で分かれてしまった男神と女神ですが、御神渡り(おみわたり)の際には二人は再開できるとされています。

諏訪湖が全面結氷すると南の岸から北の岸へかけて氷が裂けて、高さ30cmから1m80cm位の氷の山脈ができます。

これは諏訪神社上社の建御名方命(男神)が下社の八坂刀売命(女神)のもとへ通った道筋といわれています。

諏訪市の無形民俗文化財に指定されている御渡り神事は古来八釼神社の特殊神事です。

諏訪湖に御渡りができると宮司と氏子総代、古役、小和田各区長等約60名が、諏訪明神の通った道とされる氷の亀裂を拝観し、その年の農作物、社会情勢の吉凶、気候雨量等を占い、結果を公表します。

(出典:諏訪市博物館なんでも諏訪百科

諏訪湖の御神渡り/諏訪地域振興局

昨今では地球「沸騰化」の影響もあり、諏訪湖が氷結しないことや、氷結したとしても、御神渡りのための亀裂や、盛り上がるための再氷結が生じないために、男神と女神はかれこれ7年間再会できていない状況となっております(実は地盤の移動も御神渡りの発生に影響していたのだが、湖岸の人口化の影響で、条件がそろったとしてももう発生することはない、という説もあるようですが、どうやらあまり大声で語ってはならないようです)。

ところで、そもそも何故、男神と女神は別れてしまったのか、ということですが、その伝承が以下のものとなります。

遠い昔、お明神さまのタケミナカタノミコト(諏訪市中洲神宮寺諏訪大社上社祭神)と女神ヤサカトメノミコト(下諏訪町諏訪大社下社祭神)のふたりの神さまは仲良くここ上社に暮らしていましたが、ある時ちょっとのことで大げんかをしてしまいました。女神はおこって、いろいろ日常使う物と一緒にお化粧のお湯を綿にひたし湯玉にして御殿を飛び出しました。
そしてこの神宮寺の岸から舟をこぎだし諏訪湖の北下諏訪に移り住みました。ところが女神はあわててたので途中綿にしめした、お化粧のお湯のしずくをところどころぽたりぽたりと落としてしまいました。するとどうでしょうか。このしずくの落ちた土の中からあっつい水温泉がふきだしたのです。今ここに神宮寺と一直線に下諏訪まで温泉が湧き出しているのはそういったわけだと言われています。

諏訪と温泉のはじまり(湯玉伝説)(諏訪市博物館 足湯場の由緒書きより)



初期の記事でお伝えした通り、ヤサカトメは高知尾豊姫(豊玉姫)であり、海神(綿津見神(ワタツミ))の娘神で、竜宮勢力になります。

つまり乙姫様ということです。

輝きは浜辺にやってきた貝殻のようなのかもしれない。
いつか波に攫われて海の底に沈んでいく。
輝きが降り積もる海の底には乙姫様がいて
彼女にお別れを告げるとき。
それが大人になると言うことだろうか。

「彼女」と「私」が分かれる
「彼」と「私」が分かれる

ひとつになりたいの
ひとつに戻りたいの
ひとつに…

「どこから」おとなとこども「どこまで」


これは「偶然」?
はたまた「必然」?

もしくは誰かが「偶然」と呼び、別の誰かは「必然」と呼ぶような、「コンステレーション(共時性の星座)」かもしれませんね。



○水の詩(ニンゲンは水)



脱線するように思えるかもしれませんが、私の好きな詩を少しご紹介させてください。

天竜の水はその長い生の旅路を迎えて、やがて天竜という個性と別する時がくる、それは河口である。これは天竜の死滅だろうか?それともより広い海という新しい世界への出発だろうか?この水の大群集の中にあって天竜が一体何だろうか。お前は誰かとかれたら。彼は答えるだろう俺は水だと。

武井武雄 刊本作品NO,07 風・水・火・星 より
イルフ童画館 より

この天竜というのは「天竜川」のことで、八ヶ岳連峰の赤岳を源流として、諏訪湖に流れ込み、静岡県磐田市の河口から太平洋へとカタチを還る一級河川のことです。


次に以前好きなアーティストの紹介記事を書きましたが、その作詞者である、AZUKI七氏の詩です。

蒸発してゆく
透きとおる
流れてしまう
掴めない―

動植物体の70~90%を占め
生存上欠くことができないもの

私が愛したのは水の者
水の入れもの

あなたは消えてしまった

80.0/29 水物~流れゆくもの~ (AZUKI NANA photo & anthoiogy)


両者ともにニンゲンを水と捉えている詩といえます。
より正確に表現しようとするなら、環境という型によりカタチを変える自我、型なくしては留まることなく流れゆく、カタチを保てない、それこそがニンゲンであると捉えていると感じられます。

さて、私がこれまでお伝えしてきたのは、そもそもニンゲンという生き物が、その一個体で「こちら側(自我)」と「あちら側(無意識)」を兼ね備えているということでした。


即ちニンゲンそのものがうつろい、変わり続ける「水(欲動・可能態(デュナミス))(D)」であり、また「海」や「湖」、「泉」であるといっても過言ではないでしょう。

湖に映された「こちら」すなわち、「あちら」側からしての「実験場」、「材料置き場」、では、それ故にニンゲンは誰しもが何かが足りず、それ故に手を繋ぐのだとして、「全て求めないで!」というのは、私にはすごく深いな、と感じるのです。

そのとき「不完全さ(こちら)」は「完全さ(あちら)」とイコールになっているのです。


それらを前提として、興味深い御伽噺を紹介させていただきたく思います。

○ある青年の御伽話


青年はどこまでもひろがる夜の湖をボートで漕いでいました。
湖は透きとおり、夜空一面に広がる澄んだ星空を映し出し、どこからどこまでが湖で、どこからどこまでが空で、どこからどこまでが宇宙か、わからなくなるような感覚を青年は覚えました。

それでも不安や恐怖という感情が青年を襲うことはなく、むしろ夜が自身を包み込んでくれているような穏やかな気持ちすら覚えたのでした。

青年は自分もその一部になりたいと思いました。

まずは水を手ですくい水温を確かめ、心地よい冷たさを感じると、ついに青年はいても経っていられず、湖に飛び込んでいったのでした。

湖は深く、深く、深く、

それでも不思議と呼吸の苦しさはなく、どこまでも潜っていけると、
どこまでも潜っていきたいと青年は思いました。

潜っていくにつれ、しだいに輝き(貝殻)が水中のそこら中に光っているのに気がつきました。

やがて青年が気がついたのは、その輝きが星でもあったということです。

すなわち青年は気がつけば宇宙へとやってきていたのでした。

宇宙を漂っていると、どこが下で、どこが上で、もちろん左も右も、前も後ろもわからなくなってしまいました。

漂い続けて、青年は水面のような、外の光が差し込む穴を見つけました。

そこから頭を出して外界を見てみると、驚いたことにそこは巨大な円形の台所で、青年が頭を出しているのは、その中央部の井戸のような採水設備だったのです。

さすがに少し不安と焦りを覚えた青年が周囲を見回して気がついたのは、エプロンを着た女性が料理を作っていることでした。

手慣れた様子でグザイを切って、混ぜて、こねて、煮て、焼いて、、、
非常に親近感の湧く、ニンゲンと大差ない彼女の行動ですが、一つだけ様子が異なっていたのは、彼女が切って、混ぜて、こねて、煮て、焼いているグザイが星であった、ということです。

丁寧に星の皮を剥いで、切って水につける。
別の星は卵のように容器にコツン、と叩いて殻を割る。
中からは溶岩のような液体が流れ出てきて、それを別の星を絞って出てきた果汁と混ぜ合わせる。

次に彼女が手に取ったのは「チキュウ」でした。
ただ他の星のように手際よく動かしていた動作をやめ、彼女はチキュウをジロジロと眺めまわしました。

どうやら腐っていたようです。
代わりはまだいくらでもあるとのことで、
彼女はごみ箱へ「チキュウ」を捨ててしまいました。

それを見ていた青年は「やめて!!」と叫びだしそうになった寸前、えもいわれぬ恐怖が全身を突然襲い、声が出なくなったのでした。

青年は「おかあさん」に怯えてただ、わなわなと涙を流すことしかできなかったのでした。


オシマイ


○ホシノオワリ

もう一つ、彼は興味深い発言をしています。

32:15秒ほどから、100年後のことを司会者から聞かれた際の発言。

「100年後のことですか。文明がその頃も存続していることを願いますし、存続しているのなら今日の文明とはまったく異なる姿になっているでしょう。」

つまり、このままいけば文明は100年続かないと、彼は考えているということです。

https://note.com/kinuzuka/n/nf06adb06ce2a


夕飯のために冷蔵庫を開けると、卵の賞味期限が切れていました。
あなたは少しくらい大丈夫とそのまま使う?
それとも、代わりはいくらでもあると捨ててしまう?

大抵の場合人間はいつも、代わりはあると捨ててしまったそれが、最後の一つだったと気がつくのは、捨ててしまった後なのです。

気がつけば米の値段が跳ね上がって戻らないように。
気がつけば地球沸騰化に伴う水不足と食糧危機、それに端を発する戦争に巻き込まれているように。

多くの人々にとっては、気がついたときにはいつの間にかそうなっているのであり、当たり前の日々が宝物だったと気がつくのは、代わりはいくらでもあると、捨ててしまった後なのです。

あなたの毎日が輝きで満ち溢れていますように。

約100年後の「ホシノオワリ」まで、あなたがヒビに輝きを見い出す、ヒビに色を塗り続けるニンゲンであれますように。



あなたのままで、変わり続けることができる、水のような日本人であれますように。


〇卵、水


星は水、


世界は卵、


捨ててしまえばただのゴミ。
何になるかはわからずとも、何かになると信じて温め続けたならば、
少なくとも最期の瞬間には、「未来」が孵ることでしょう。


あなたは水、

ヒビは卵、

捨ててしまえばただのゴミ。
何になるかはわからずとも、何かになると信じて温め続けたならば、
少なくとも最期の瞬間には、既に何かになっていたと気がつくことでしょう。


「鳥は卵からむりに出ようとする。卵は世界だ。生まれようとするものは、ひとつの世界を破かいせねばならぬ。鳥は神のもとへとんでゆく。その神は、名をアプラクサスという。」

「デミアン」 ヘルマン・ヘッセ


あなたは、「おかあさん」とタタカエルかい?


最初に登場するのは母で、彼女と母とは<すっかり一体>だ。二人をつなぐ<へその緒はいまだ切れて>いず、<おたがいに相手を愛で絞め殺したい>関係である。

ピーター・パンとシンデレラ―"こころの時代"をどう生きるのか? 木村 治美 (著), 木村 駿 (著)


分たれたあなたよ。
贈り物を渡すことは「祝福」といえます。
それは「私」と「あなた」が違うからこそできることだとしたら…

あなたはそのために「目を啓いた」のだとしたら…

「どこから」おとなとこども「どこまで」


最後まで読んでいただきありがとうございました。

〇おまけ


以前の記事でデヴィット・クレーバー氏の「啓蒙の海賊たち」を紹介しましたが、おもしろい神話の部分を文量の兼ね合いで省きました。

今回の記事の内容と関わっているので、ここで紹介いたします。

ラコンブはその占星術師の出自についてはなにも語っていないが、地域の呪術的伝承が巨人ダラフィフィと妖術師マハウという二人の神話上の人物に深くむすばれていたようだと報告している。ダラフィフィはマダガスカルの民話ではおなじみの人物である。統治するに臣民をもとめて島を縦横渡り歩き、多様な特徴をもつ景観をつくりだし、ときにはライバルの巨人と戦いをくり広げる。いわば、慈悲深い戦士、統治者、探検家の模範である。
対象的に、マハウは深く地域に根ざした人物である(わたしたちはラコンブを通じてしかマハウを知らないのだが)。この二つの
人物像は明確な対立関係にあって、ダラフィフィが防御的魔術の守護者であるとすれば、マハウは愛の魔術と妖術の守護者である。
わたしたちはこの対立項を、タマタグの町の裏の森にある三つの大きな湖、ラスアベ湖
Rasoabe、ラスアマサイ湖 Rasoamasay、ヌシベ湖 Nosibe にまつわる物語から、把握することができる。
最初の二つ、ラスアベとラスアマサイは双子の湖で、ダラフィフィの二人の妻がそこに田んぼをつくっていたことから名づけられたという(ダラフィフィ自身はその中間一帯を家畜小屋にしていた)。フエランは、タマタヴのベツイミサラカの女性から聞いたこのみじかいお話を記録している。
ラスアベとラスアマサイは巨人ダラフィフィの妻で、巨人が田んぼをつくるため与えた湖の一帯に住んでいた。あるとき、夫の留守中に二人は不貞をはたらいた。それを聞きつけた夫は帰ってから二人を湖に投げ込んだ。この湖は、いまではそれぞれの名を与えられている。投げ込まれたこ人は、湖の底にあたらしい村をつくり、家畜や奴隷とともにそこで暮らしている。水が穏やかなときには、湖底にかの女たちの家がみえるといわれている。
ここでは妻の不貞に対する過剰なまでの粗暴な対応(ダラフィフィが神話のなかで悪さをするのは、わたしの知るかぎり、この例だけである)が、女性たちをいわば水の別世界のうちに宙吊りにしている。
それと似たような、しかしもっと手の込んだ、不貞とそれに対する過剰反応のストーリーがあって、それによれば、[後述するように]マハウは第三の湖の底でおなじような異世界の生活を送ることになっている。この二つの物語は、あきらかにたがいの反転であり、相補的集合を形成している。しかし、その意味合いがより明確になるのは、以下の二つめの物語においてである。
ラコンブはしばらく前にこの湖を横断したと記している。そのさい、かれはガイドから「男たちは、この湖を横断するとき、絶対に口をひらいてはならない。さもなくば、おそろしい運命が待ち受けている」と警告されたことをおもいだす。このあたりは、すべて引用しておきたい。
湖のなかに、他の島よりも大きな島がある。そこにはかつて、邪悪なまでに美しい女性が住んでいた。アンヂアンツァイ Andriantsay という名の強力なアンテムルの首長の娘、マハウである。この首長は、男たちにとって役に立つ人間となるように、先祖がアラビアから伝承した魔術の奥義をかの女に教えた。しかし、マハウはある日、夫が若い奴隷の胸の上で眠っているのに仰天する。夫を刺し殺したあと、かの女はすべての男たちに対する憎悪を誓い、それ以来、これまでにえた知識を使って男たちに危害をくわえるようになった。
アンヂアンツァイは娘の犯した罪に怯え、娘と共犯の女たち数人を領地から追放した。女たちは、島に避難した。
わたしたちが周航することになる島である。
そこへ、マハウの魅力に惹かれたこの地の大首長の息子たちが、つぎつぎと表敬にやってきた。女は求愛に応じるふりをして、かれらを宮殿に招き入れ、歓楽の陶酔でもてなした。ところが、かの女の好意の代償は大きかった。
三日三晩、めくるめく愛に酔いしれたかれらは、この恐るべき女から、お守りを受け取った。たちまちその効き目は死となってあらわれ、ある者はめまいに襲われ湖に飛び込み、またある者はみずからの長槍でおのれを刺した。
こうして、多くの首長や勇敢な戦士たちが死んでしまった。なかには、ベマナナBemanana の息子たちもふくまれ
ていた。ただし、神が六人の兄弟の仇を討つために選んだ末っ子を除いて。ザフィラミニアの賢者ラツァラ Ratsaraの助言により、末っ子は、島へ渡り、計画を悟られぬよう、毒牙を隠したマハウの快楽に身をゆだねた。しかし、女が眠りについているすきを捕らえて、かれは巨人の歯を奪い(それが女を不死身の者としていたのだ)、それでもってマハウを数度、突き刺した。
ところが、マハウを精霊の位にまで格上げしている別の護符 talisman の授ける力によって、その死後もかの女は依然として男たちに危害をくわえた。
かの女は湖の底に棲みつづけ、男たちの声を耳にするだけで、かねてよりの憎しみを呼びさます。あまり多くを語らないようにしよう。なんとなれば、語りすぎるとマハウの棲む洞窟に否応なくおびきだされてしまうから。
ここでいう「巨人の歯」がダラフィフィの歯なのかどうかは定かではない。だが、二つの物語の並行性を考えれば、それ[巨人とはダラフィフィであるということ]を暗示しているとみるのが妥当だろう。

啓蒙の海賊たち あるいは実在したリバタリアの物語(p88〜p91) 著:デヴィッド・グレーバー 訳:酒井隆史 岩波書房


○関連

○今回の音楽

○引用画像


〇関連書籍等

•イルフ動画館 https://www.ilf.jp/about/takei/

•おばけのかわをむいたら


•アリゾナドリーム


•アニマの四形態

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