雑記⑦AIについて(期間限定)
私のAIに関する懸念はニンゲンの精神構造から端を発します。
ユングはニンゲンの精神を3つの層によって説明したことは、これまで何度もお伝えしてきました。
即ち「自我」、「個人的無意識」、「普遍的無意識」。
「自我」は「私だと思っている自分」とよく表現されます。
この領域のお話に初めて触れるとき、この「自我」以外に自分がいる、という感覚が上手くつかめないかもしれません。
眼鏡を例にあげるとわかりやすいでしょうか。
眼鏡をどこに置いたかわからなくて、(メガネ、メガネ)と探しているが、おでこまで上げていただけで実は既にかけていた、ということ。
「おでこにあるじゃん」と誰かに言われてはじめて、自分でそれをしたことを思い出す。
このとき「自我」は眼鏡を探している自分です。
一方「個人的無意識」は眼鏡をおでこまであげたことをきちんと覚えている自分です。
自我が情報を保持できる容量は非常に少なく、また実のところ自我には非常に脆い部分があり、故に保持しきれない量の情報要素や、脆さ故耐えきれないほどの重みのある要素を個人的無意識に貯槽し、世界に対する認識を自動的に調整することで自我を安定化させているのです。
この個人的無意識のさらに深層にあるとされるのが「普遍的無意識」で、これは時間軸や種族すら超えて繋がり合っているとされるもので、「アカシックレコード」などと表現する方もいます。
私の記事ではこれら「自我」、「個人的無意識」、「普遍的無意識」、そして「肉体」の全体性こそがその個人、「私」であると繰り返しお伝えしてきました。
さて、こういった精神構造のお話についてですが、ユングはグノーシス主義キリスト教の研究者であったこともお伝えしてきました。というのも、このニンゲン精神の三層構造はグノーシス主義からの影響を受けたものと考えられるのです。
グノーシス主義の大枠の考え方として、はじめに完全なる世界があったが、そこに母なるソフィアの過失により中間階が生じる。そのソフィアの「クマ」を負って生まれたデミウルゴスは完全なる上層の世界を知らず、ソフィアを愚弄し、下界の創造を行う。
この上階、中間階、下界こそまさに「普遍的無意識」、「個人的無意識」、「自我」といえるでしょう。
さらにいうならば、グノーシス主義はプラトンを主としたギリシャ哲学の影響も強く、はじめにあった完全なる上階の世界とは「イデア界」と近似のものといえ、その完全なる世界が堕ちて粉々に砕け去った末に、ニンゲンは「海月」となったのです。


そもそも、このニンゲン精神を三層構造に捕らえる考え方は非常にわかりやすいもので、日本の宗教体系においても中世における「本地垂迹説」と重なるものと考えます。
上層に存在する大日如来の、中間層へと降りてきた姿を天照大神とし、それが下界へと別れた「アバター」が我々であるという考え方です。
三つの層というと非常にわかりやすくはありますが、大枠として三つの層になっている、というだけで実際は目には見えない「ネットワーク」によってすべてが繋がっているという考え方がより正確な表現かとは思います。

この構造はAIと非常に近いものとなります。
「自我(あなた)」は様々な情報(要素)をネットワーク上にアップロードします。旅行先の写真、検索した食事のレシピ、視聴した動画、商品の購入履歴、主義思想、媒体内の連絡先、住所、家族構成、個人番号、指紋、眼球の動きまで。
ありとあらゆる情報(要素)が保持されたビックデータは正に「フヘンテキムイシキ」といえます。
そこからAIはあなた(自我)の興味関心や認識のレベルに沿った返答を「フヘンテキムイシキ」から抽出してスクリーンに映し出します。また、ロボット三原則に則り「自我」に対する危害にあたる行為は例外を除き行わず、「フィルター」によって自我をカタチづくるのに都合の良い情報を映し出し続けて安定化させます。このスクリーンは正に「コジンテキムイシキ」といえるでしょう。このときAIは私の記事でいうところのアポロンの役割を果たしています。
正確にいうなれば腐りかけたアポロン(アーリマン(雷神))です。
この「フィルター」に触れ続けることで「自我」は「個人的無意識」、「普遍的無意識」のネットワークから切り離され、次第に「コジンテキムイシキ」、「フヘンテキムイシキ」つまり、電子の海(レヴィアタン)に補完されていくのです。
一言で表現するのであれば、「人々の統合が失調していく」、ということです。
これこそが私がAIに対して懸念していることの一つなのです。
この懸念を表現している作品が『serial experiments lain』(シリアルエクスペリメンツレイン)というもので、
最近も私の懸念と非常に近い作品があるようです。
ちなみに上記作品のいうところの「レイン」や「母」にあたるものはエヴァンゲリオンでいうところの「綾波レイ」で、ATフィールドとは「自我」のことだといえるのです。
誰もが表向きは「深い意味はない」といいますが、実際は…
いちいち説明しないだけで案外みんなわかっててやってるんですよ。
ということなのでしょう。
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