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「悪」

なぜこの世界には「悪」があるのだろう?


「私」を通してみえないものをみる


それを一定続けた個体は、「悪」についてある認識が芽生えはじめます。

つまり、おのれの内側の「悪」から目を背けられるように外側の世界で誰かが「悪」になってくれている、ということです。

γνθι σεαυτόν(汝を知れ)


あなたは牡牛を屠るミトラ神をご存知ですか?

ミトラ教における代表的なシンボルで、文字通り、一般的にはミトラが短剣で牡牛を屠っているシーンであるとされます。

ただ、史資料に残る牡牛の供犠を脇に置いて、単純にこのシーンだけで見たとき、牡牛に刺さった短剣をミトラが抜こうとしているようにも見えてきませんか?

私はこのシンボルが非常に「善」と「悪」の関係を的確に表現しているように思えるのです。

「善(「悪」)」が「悪(「善」)」の首筋を突き刺そうとする

「善(「悪」)」が「悪(「善」)」に突き刺さる短剣を引き抜こうとする

「実態」のそれらは「二つのものが一つ」なのであり、突き刺そうとするほどに引き抜かれ、引き抜こうとするほどに突き刺さるのです。

しかし、悪神アーリマンは、これらアフラ・マズダーの被造物を攻撃し、牡牛を殺害した。すると、死んだ「牛の体から五五種類の穀物と一二種類の薬草」(野田恵剛 訳)が生まれ、さらに牛の精液は月に行って浄化され、数多くの動物のもととなったとされているのである(第六E章(1))。キュモンは、このアーリマンによる原初の牡牛殺しの神話をもとに、ミトラス神による牡牛殺しの神話が出来たと考え、「牡牛を殺すミトラス神」を、この世の創造の場面と解したのであった。近年では、そのもととなる神話では、ミスラ神がアーリマンの役割を担っていたのであり、ミスラ神による創造神話が本来、マズダー教にはあったとの説も提出されている。

異教のローマ ミトラス教とその時代p72
井上交則 
講談社



ニンゲンはいつも自分を正義という位置に置きたがりますが、正義を「善悪」と混同してしまうと、正義を成そうとするほどに自身の首元に短剣が突き刺さってくるのです。

ホントウの正義とは穏やかさであり、今でいうところの「善」や「悪」とはまた別なのかもしれません。

あなたは、あなたの「本体」つまり、「悪」を知る覚悟がありますか?

γνθι σεαυτόν(汝を知れ)

デルフォイ アポロン神殿



アポロンからの信託はこうでした。

「プシュケーは人間と婚姻することはできない。山の怪物が夫となるであろう」

生きていく力について :1 プシュケーと対啓蒙的学問「穏やかな正義」

「理性」は元々「自我」を守るためのものではなく、「存在」を「認識」するためのものだったのだから。

たとえば彼が「存在」を「我」と表現したように。

「我思う、故に我あり(Cogito, ergo sum)」

ルネ・デカルト


たといその先が「誰もいない」だとしても…




だとしても、その先に辿り着きたい認識があるのだとしたら、


その道を進むあなたを私は肯定します。


あなたがホントウに守りたいものは「自我」ではないでしょう?

あなたがホントウに守りたいものは、あなたが人生で最も愛したものでしょう?


ニンゲンには元に戻ろうとする強い力があります。
あなたにもそれがあるから
それだけを信じて


今はただ「悪」へと



穏やかに




○タイトル画像
異教のローマ ミトラス教とその時代
井上交則 講談社
 p72 図Ⅰ-8 尾が植物に変わる牡牛(ローマ市出土)



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