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【Re:父娘】HSPの父親が、娘に絶対しないと決めていること。7年間で気づいた、子育てと繊細さの話


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🌿 はじめに

子どもが泣くのは、今でも苦手だ。

娘の泣き声が聞こえると、心臓がぎゅっとなる。
何かしてあげなければという焦りと、
自分も一緒につらくなってしまう感覚が、
同時に押し寄せてくる。


これは、HSPの感情の共鳴と呼ばれる反応だ。
他者の感情を、自分のことのように受け取ってしまう。

でも、そういうときほど、
私は笑顔で「大丈夫だよ」と伝えながら、娘を抱きしめる。

心はつらい。でも、娘のほうが、もっとつらいから。

これが、HSPの父親として7年間やってきた、
私の正直な話だ。

娘は、あと1か月ちょっとで、8歳になる。

7年間、私が自分に課してきた「絶対にしない」と決めたこと。
それを、8年目に入る今、いちど振り返っておきたくなった。🌱

🚫 絶対にしないと決めた、3つのこと

娘が生まれてから、自分の中で、いくつかのルールを決めた。

ひとつ目は、手を上げないこと。

これは、当然のことのように聞こえるかもしれない。
でも、私がHSPで、感情の起伏が激しい場面に過敏に反応してしまうからこそ、意識的に決めた。

感情が高ぶった瞬間こそ、いちど立ち止まる。

アドラー心理学で、こんな言葉に出会ったことがある。

怒りは、相手をコントロールするための道具でしかない。

これを知ってから、私は、怒りという感情を、
誰かにぶつけることをやめた。
娘に対しても、それは変わらない。

ふたつ目は、できるだけ否定しないこと。

「あれダメ」「これダメ」「それやっちゃダメ」。
そういう言葉を、できるだけ使わないようにしている。

頭ごなしに行動を否定するのではなく、
なぜそれをしてほしくないのかを、
娘が理解できる言葉で伝える。

そして、みっつ目は、ポジティブな方向に導くこと。

否定して終わりにしない。
その代わりに、じゃあどうしようか、と一緒に考える。

この3つを、7年間、握りしめてきた。

🗣️ 「無理」という言葉を、なくした日

3つのルールが、いちばんはっきり形になったのが、この出来事だ。

娘が4歳か5歳の頃。こども園で「無理」という言葉が、流行った。

新しいことにチャレンジしようとするたびに、娘は「無理」と言うようになっていた。気づけば、家の中でも、口ぐせのように「無理」が出てくる。

やったことのないことを前にして、やる前から「無理」。

私は、これを、そっと拾うことにした。

頭ごなしに「そんなこと言わないの」と否定するのは、簡単だ。でも、それは、ふたつ目のルールに反する。

だから、こう伝えた。

無理って言うと、成長しにくくなっちゃうよ。

そして、ここからが、みっつ目のルールだ。

「無理」を禁止して終わりにしない。代わりの言葉を、
一緒に探した。

「難しいね」。「もう少し、やってみようか」。

「無理」を、そういう言葉に、
少しずつ置き換えていった。

それ以来、娘は「無理」と、言わなくなった。

小さな言葉の習慣が、子どもの思考の癖をつくる。
作業療法士として、言語は行動に影響することを知っているからこそ、
言葉の選び方には、特に気をつけてきた。

やる前から閉じるのではなく、
とりあえずやってみる。あの頃に置き換えた言葉が、
今の娘の、挑戦する姿勢につながっているのかもしれない。

🌊 HSPだから、感じすぎてしまう

ここまで書くと、
穏やかに子育てをしている父親に見えるかもしれない。

でも、正直に打ち明けたい。

子育ての場面で、HSPであることが、
しんどくなるときがある。

娘が泣いているとき。娘が怒られているとき。
娘が、友達とうまくいかなかったと話してくれるとき。

そのたびに、娘の感情が、
自分の中にまで、入ってくる。
まるで、自分のことのように。

そして、私は、それを表に出さない。

明らかに疲れているときも、あまり何も言わずに、我慢する。
感情を、あまり出さない。

そんな私を見て、妻のピノは、よくこう言う。

あなた、我慢しすぎだよ。

確かに、そうかもしれない。

でも、娘の前では、笑顔でいたい。
娘の感情に飲み込まれながらも、それを顔に出さずに、
「大丈夫だよ」と言える父親でいたい。

それが、HSPの父親としての、私なりの戦い方だった。

——ただ、こうして妻に言われるたび、
少しだけ、思う。
我慢することが、いつも正解とは限らないのかもしれない、と。
この話は、また、いつか。


🎭 3歳の発表会で、私は泣いた

7年間、娘には、たくさんの感動をもらってきた。

その中でも、いちばん、胸が動いた「あの日」の話をしたい。

3歳で、こども園に入園した。
その、わずか2か月後の、発表会だった。

正直、不安だった。
まだ入ったばかりで、みんなの輪に、なじめているだろうか。
ステージの上で、固まってしまわないだろうか。

HSPの私は、そういう心配を、人一倍、深く吸い込んでしまう。
当日、客席で、私の心臓のほうが、ばくばくしていた。

そして、幕が上がった。

娘は、りすさんの役だった。

ステージの上で、大きな声で、
りすさんを演じていた。

その姿を見た瞬間——涙が出た。

たった2か月前まで、私の後ろに隠れていた子が。
あんなに大きな舞台の上で、自分の役を、まっとうしている。

子どもの成長は、こんなにも眩しいものなのか。

あの日の涙を、私は、今でも、はっきり覚えている。

その後も、娘は、私を驚かせ続けた。
6歳で逆上がり。7歳で、スイミングの100mメドレー。
7歳で、跳び箱9段。

そのたびに、びっくりさせられて、感動させられる。

でも、いちばん最初に、私の涙腺をこわしたのは。あの、3歳の、りすさんだった。🐿️

🤫 4つ目のルール——夫婦げんかは、見せない

7年経った今、意識せずとも、身についたルールが、もうひとつある。

夫婦げんかを、娘の前で見せないこと。

子どもの前での夫婦げんかは、子どもの脳に、
影響を与えると言われている。

安心できるはずの家庭で、いちばん身近な二人が、ぶつかり合う。
その光景は、子どもにとって、想像以上のストレスになる。

だから、私とピノは、意見が食い違っても、
それを娘の前では、ぶつけ合わない。

言いたいことがあるときは、娘が寝たあとや、
いない場所で、話す。

これは、最初から決めていたルールというより、
7年かけて、自然と身についたルールだ。

手を上げない。否定しない。ポジティブに導く。

その3つを守ろうとするうちに、いつのまにか、
4つ目として、私たちの中に、根づいていた。

娘にとって、家庭が、
いちばん安心できる場所であってほしい。

たぶん、それが、すべてのルールの、
根っこにある願いなのだと思う。


🍃 エピローグ——産まれてきてくれて、ありがとう

HSPの父親として、完璧にできたとは、思っていない。

感じすぎて、一人で抱え込みすぎたことも、あった。
うまく言葉にできなかった場面も、あった。
妻に「我慢しすぎ」と、心配をかけたことも、何度もある。

それでも。

娘は、元気に、育ってくれている。

あと1か月ちょっとで、8歳になる。

健康で、育ってくれている。
ただ、それだけで、私は、本当に、
ありがとうだな、と思う。

産まれてきてくれて、ありがとう。

元気に育ってくれて、ありがとう。

素直に、そう言いたい。

7年間、私は、娘に「絶対にしない」と決めたことを、
守ってきたつもりだった。

でも、こうして振り返ってみると、気づく。

ルールを守れていたのは、娘が、
まっすぐ育ってくれていたからだ。

守ってきたつもりで、実は、その笑顔に、
守られていたのは。私のほうだったのかもしれない。

あなたが、大切な人に対して、
これだけは絶対にしない、
と決めていることは、なんですか?🌿

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ハッシュタグ

#子育て #HSP #作業療法士 #父親 #アドラー心理学

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