無条件の愛(エイブラハム)
明け方に目が覚めてしまったので、そのまま朝の散歩に出かけることにした。
日の出には間に合わなかったけれど、海岸に出ると、信じられないほど大きな太陽が空をオレンジ色に染め上げている光景に出くわした。もし時間と方角の感覚がなかったら、100人中100人が見事なサンセットだと思うに違いない。
でも、世界のどこかでは、今まさにこれがサンセットなのだ。 すべての時間は「今」という瞬間に並んで存在していて、私たちは意識のチャンネルを合わせるだけで、いつでも好きな光の場所へワープできる。

この神々しい空のどこかに義理ママの魂が飛んでいったのかと思ったら、不意に感極まって涙がこぼれた。
久しぶりにエイブラハムの音声を聴きながら歩く。心がヒリヒリして喉が閉じてしまうようなとき、私を芯から底上げしてくれるのは、やっぱりこの愛に満ちた声。
今回の悲しみは、思いきり素直に感じ尽くしている。ネガティブな感情はダメ、ということでは決してない。
大切な人への愛着が深いほど、そこに強い執着が生まれ、失ったときのコントラスト(痛みや切なさ)はとんでもなく巨大になる。それはもう、仕方のない自然現象だ。ただ、悲しみの底でしゃがみこんでいるとき、私は本当の自分(ソース)の視点からちょっとお留守になっていることにも気づいている。
イヤホンから、お馴染みの声が響く。 「本当の愛とは、相手がどうあるかに関係なく、自分がソースと繋がっていること」
それが、無条件の愛。 肉体を脱いで、別の光の場所へひと足先に逝ってしまった義理ママに対しても、やるべきことは全く同じなのだ。
相手がどこでどうしていようと、自分の振動数を心地よく整えること。それこそが、残された者が表現できる最も深い愛のカタチ。外側の条件に振り回されるのをやめて、内側の静かな喜びに戻れば、「すべては愛だった」と自然に思い出すことができる。
今すぐ、いい気分に戻るにはどうすればいい?
「そうなりたいと、あなた自身がまずは意図することですよ」
状況に左右されない本当の喜びは、外側に探しに行くものじゃない。もう、すでに私の内側にある。
悲しみにどっぷり浸るのも自由。 立ち上がってまた歩き出すのも自由。 すべては私の美しい選択なのだ。
天国で最愛の夫と再会して「やっと会えたわね!」と笑い合っている義理ママの姿が浮かんだ。なんだ、源(ソース)の視点に戻ってみれば、そこには最初から愛と感謝しか転がっていない。
イヤホンを耳から外す。
いつの間にかすっかり明るくなった海辺を、犬を連れた人たちが穏やかに通り過ぎていく。
私の目の前には、ただ、神々しいオレンジ色の光がどこまでも広がっていた。
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