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地雷の言葉も、愛でしかない

もしかしたら、もうそろそろ、彼女は最期を迎えるのかもしれない。

アメリカ人の義理ママが病院のベッドに弱々しく横たわっている。見舞いに訪れた私の顔を見ると、パッと表情を明るくした。95歳になるというのに、記憶力はまったく衰えていない。数カ月ぶりに会っても、仰々しい挨拶抜きで、まるですぐ昨日も会っていたかのように自然に会話がはじまる。

「昨日は何をしたの?」

彼女が聞いてきたので、私は「ビーチに行ったの」と答えた。

「そのビーチの名前の由来を知っている?」

そう言って教えてくれた答えは、まるで意外なトリビアのようで、私と息子は大笑いしてしまった。

そのあとで、深く長いため息をつき、「アイラブユー」と言いながら、私の手を握りしめた。30年前に出会ってから、何度も何度も私に向かって言ってくれた言葉。

傍らには私の息子もいる。彼女にとって、目に入れても痛くない可愛い孫。 義理ママは息子を見つめ、それから私に向かって言った。
「この子を生んでくれて、ありがとう。そして、こんなに立派に育ててくれて」 心の底から愛おしそうに、そう呟いた。「ずっと私たちのそばにいてくれて、ありがとう」 私がそう返して、3人で鼻をすすった。

離婚した後も、元夫の親とずっと深い絆を保ってきているのは、かなりの少数派だと思う。 最初からすべてが平穏だったわけじゃない。結婚したばかりのときに、ちょっと喧嘩してしまったこともある。だけど、そんな昔のことを思い出しても、当時のトゲトゲした感情はもう綺麗さっぱり忘れてしまった。

今、私の胸に去来するのは、楽しかったことや、ありがたかった記憶だけ。彼女もいつの頃からか、私のいいところだけを見てくれている。だから私たちは喧嘩もしなければ意見が食い違うこともなく、互いへの愛と感謝しか抱いていない。一緒に住んでいないからこそできることなのかもしれないけど。

もともとは離れた場所に住んでいたけれど、息子の妊娠が分かったとき、なぜだか急に「近くに住んでほしい」という思いが湧いてきた。元夫は驚いていたけれど同意してくれて、義理ママと義理パパは大喜びで近所に引っ越してきた。
その後、私たちがそこから遠い州であるフロリダへ引っ越すことが決まったときも、私は「一緒についてきて」と頼んだ。二人はやっぱり大喜び。経済的には新たに家を買うことは難しかったのに、奇跡が起きて可能になった。それで私たちはみんなで越してきて、車で30分ほど離れた場所で、それぞれの新生活が始まった。

残念ながら私と元夫の間でドタバタと離婚劇が始まってしまったけれど、彼女が私にとっての「アメリカの母」であることは変わりなかったし、息子のおばあちゃんであることも揺るがなかった。何が起きても、私たちはその絆をぶれずに守り通し、息子も20代になった。

義理ママの母親も、おとぎ話に出てくるような可愛らしいおばあちゃんだった。なんと103歳まで生きて、最期は自宅で眠るように天国へ旅立った。
当時の私は自分のことで精一杯。週末になると息子を父親や祖父母宅に泊まりに行かせたが、彼女たちと過ごす時間は激減した。心の余裕も失っていた。
それなのに、ときどき顔を出すと、おばあちゃんは私の名前を呼び、両手をバンザイするようにあげて歓喜してくれた。
晩年には、私が持っていった花を大切にベットの横のテーブルに飾り、次に会ったときもその話をしてくれた。100歳を越えても、私のことをしっかりと覚えてて、私の「いい部分」しか覚えていない。家族には違う面も見せていたこともあったようだが、私にとっては愛の塊のような人だった。

離婚というできごとによって、彼らとの関係を断ち切らなくてよかった。と、つくづく思う。そのおかげで、いろんな思いでとともに、今の幸せはここにある。

核家族で生まれ育ち、家族という概念に対して希薄だった私が、どうして元夫の家族との絆を大切にしてきたかというと、結婚する直前まで住んでいた北欧で、価値観が大きく変わったから。

私の周囲にいたスウェーデン人たちは、家族のカタチがとても曖昧だった。もちろん、人によるのだろうが、籍を入れずにつきあったそれぞれのパートナーと子供を作り、別れたあとでも家族として繋がっているような関係性。それが理想なのかどうかは分からなかったが、衝撃を受けた。それまで住んでいた日本や東南アジアの当時の常識から見ればあり得ない光景に、私のガチガチだった感覚は心地よく麻痺していった。

アメリカに住み始めると、離婚後の泥沼化を多く見るようになった。弁護士を雇い、親権や養育費でドロドロに争っている友人の方が圧倒的多数。
だから、元夫とその後も争わず、義理ママと相変わらず仲良くしていると言うと、誰もが目を丸くして驚いた。

日本のSNSを見ていたら、義理の母親が言う「(孫を)産んでくれてありがとう」という言葉は地雷だと知った。令和の「嫁姑リスト」なるものが賑わっているらしい。

息子夫婦に孫が生まれても、嫌われないためにこちらから連絡はしない、すぐには駆けつけない。そこまでは、思いやりとして分かる。「『産んでくれてありがとう』は絶対に言ってはいけないご法度ワード」と書かれていて、たくさんの『いいね』が押されていた。義理の娘に嫌われないためのルールブックを読んでいるうちに、複雑な気持ちになった。

最初の頃の私も、少しばかり尖っていて、心の中に「息子に対して義理ママにしてほしくないことリスト」を密かに並べていた気がする。それなりにぶつかることもあった。
でも、私たちはその境界線を飛び越えて、助け合って生きることにした。孫の世話が抜群に上手な義理ママたちがすぐそばにいてくれたことで、私たちの人生の喜びは間違いなく倍増した。

昨日、改めて「産んでくれてありがとう」と言われたとき、私の中には反発も、正論も、何の邪念も湧かなかった。 ただただ、彼女という存在が私の人生にいてくれたことへの深い感謝があった。お別れが近づいている寂しさもこみあげてきた。

「あなたのDNAがあってこその、この子だから!」と言ったら、ベッドの上の義理ママも、隣にいた息子も、そうだね、と言ってアハハと笑った。

この温かい笑い声を聞いていると、本当に、私たちの過去に間違いなんてひとつもなかったのだと心から思える。そんな年齢に、私もようやく、なってきた。


無条件の愛(エイブラハム)
どんどん、いなくなってしまう
地雷の言葉も愛でしかない
あなたがいないと私は空っぽ
ラブバグの季節に思うこと
不自由を選ぶ自由
喜びにピントを
息子とカフェ。母の日、そしてまた当分さようなら
⭐逃げ場のない海の上で(エイブラハム)


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