エイブラハムー「いい気分」を大切にする、を掘り下げてみた
とっても心温まるメッセージをいただいたので、まずはその一部をお披露目させてほしい。
元々エイブラハムの本が大好きで、ネット検索していたら、セレナさんの翻訳の文章を見つけたので、いつも読ませて頂いてました。実はセレナさんのKindle本もほぼ全て購入しております!マインドフルネスなエッセイ最高でした。
私はとてもネガティブな性格なのですが、「いい気分」を大切にするエイブラハムの言葉にどれだけ救われているかわかりません。
日々、戦争や悲しい事件など、ニュースを見ては落ち込んでおりますが、毎日、セレナさんの文章を読んで、今気持ちが楽になるよう思考を調節しています
前後は少し割愛させてもらったけれど、もう言葉にならないくらい嬉しくて、幸せな気分で胸がいっぱい。本当にありがとう。
「いい気分」を大切にする。 これってもの広くシンプルなのに、いざ日常でやろうとすると、なぜか難しかったりする。 頑張りすぎると続かないし、かと言って「気分が落ちたらダメ!」と自分を縛っていると、今度は「落ちるのも自然なこと。その感情も大切に」なんて言葉が降ってきたりして、大混乱。一体どうすればいいの? と頭を抱えている人もきっと多いはず。
簡単に言ってしまうと、日頃から「いい気分」を意識して過ごしていると、自分のエネルギーがだんだん安定してくる。そうすると、人から親切にされたり、抜群のタイミングで物事が進んだり、「いい気分」になれる出来事がちゃんと日々の体験として現れてくれる。
その一方で、職場でも家庭でも、我慢が重なってイラッとする瞬間はあるもの。そうした感情も大切だけど、自分のエネルギーが落ちているときには、どうしても、不安や不満のフィルターを通して世界を眺めてちまいがち。そんなとき、そこには希望のひとかけらも見えてこない。
人生は、そんな矛盾だらけの世界だ。
先日、夫と移動遊園地へ出かけてきた。 会場の奥には大きなホールがあり、牛の品評会が行われていた。 農家の人たちの深い愛情と誇りに包まれた牛たちは、毛並みも美しくブラッシングされ、そっと近づくと大きな黒い瞳でじっとこちらを見つめてくれる。その瞬間、静かな絆のようなものが生まれた気がして、なめらかな毛並みに触れてみた。そこには、温かい愛が存在していた。
……それでも私は、普段ステーキを美味しくいただく人間なのだ
ふと周りを見渡せば、観客席ではハンバーガーを片手に品評会を眺める人たちがいる。隣のエリアでは、ふわふわの無垢なヒヨコに愛おしそうに触れる人たちの後ろで、香ばしいフライドチキンの匂いが漂っている。
愛らしい命に感動しながら、その命をいただくことも日常として受け入れている。 夫の長女は、この矛盾が苦しくてヴィーガンになった。私自身も乗馬の経験から馬肉は食べられないし、七面鳥の親子に出会ってからはターキーも食べなくなった。
なのに、牛や豚は美味しくいただくなんて、一体どういうことだろう?
胸のモヤモヤと向き合いながら気づいたのは、ニコニコとお肉を美味しそうに食べている人たちは、私が勝手に作り出した「問題」に囚われていないということ。「可哀想」という切ないフィルターで世界を見ずに、今目の前にある命の恵みを素直に味わっているのだ。
悲しいニュースや出来事に接して「可哀想」「どうして」と問題の渦に深く入り込むと、私たちは無力感にエネルギーを奪われてしまう。 そんなとき、マザー・テレサの言葉が胸に浮かぶ。
「私は反戦集会には参加しません。でも、平和のための集会なら喜んで参加します」
不足や悲しみを糾弾するのではなく、自分が愛を向けたい温かいものにピントを合わせること。 世界中の人がその愛のエネルギーにフォーカスできたとき、結果的にみんなが願う平和や安心があっさりと実現していく。
今日、あなたが愛を向けたいものは何ですか? あなたの心に浮かんだお話も、また聞かせてもらえたら嬉しいです。
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