ずっと悩んでいる,再雇用でいつまでいるか
最近では、いろいろ、ごちゃごちゃ考えていている。以下の過去の書き物で、
ずっと悩んでいる。何か気が滅入ったりしている。それは、今回の書き物の標題の事。
24年3月から再雇用が始まったが、五年追加での勤務の権利を有する期間の途中、27年2月末で今の勤めを辞める選択もアリかなとふと考えている😔。誕生日が64年2月xx日で、つまり五年の権利を途中で三年で取り止め、残り二年の権利を放棄する事を意味する。取り敢えず次回26年3月以降の一年単位契約は継続するつもりだが、問題はその次。気持ちだけで言うと、27年3月以降の契約は更新したくない。しかし反面て、そんなに会社に対して嫌で無いと思う気持ちも有るから、自分の意思から退出すると言うのは寂しいという気持ちになるのは嘘で無い。
では、何故、再雇用満了以前に、撤収する選択しようかなという気持ちが湧いたのだろうか。ただ単純に、社会の中の一つ会社というところに、行きたく無いという事なんだ。そこから発端で、最初の書き物から、心身ともに自立し、健康的に生活できる期間「(=平均健康寿命)74.1歳」という事を知ってしまうと、理屈上、まともな生活があと12年ちょっとしかない。この12年ちょっと、仕事で2年身を会社に対し鰹節如く身を削るか、少しでも削らずに自分の為に身を捧げるかという妙な選択肢が有るんじゃないとイメージするようになった。
お金は幾らか稼いだが、このまま大学卒業してから40年近くずっと変わらない働く日々を続けて良いのかな、と疑問視している。いま、61歳になったし、働いて何もゆったりとした間が無くこの世を去るのは、本当に嫌なんだ、という思いが強くなっている。一旦、具体的な日を決めておかないと、65歳まで惰性で居そうだから、そんな主体性の無い意思を持たず定年までダラダラ過ごしたようなのは嫌だ。仮に最悪65歳まで居る羽目になっても、元々の計画から変更がかかって、じゃあ自分と家族が納得出来るという事にしたいなあ、と考える。
ともかく、このまま主体性持たずに会社にへばりつくのも嫌だという葛藤が有る。その為、働き続けるのは必然では無い、毎日がボランティア気分。じゃ、かといって、会社辞めると、日々当たり前のように有る多くの人との関りや通勤する空気や風景に触れるのが無くなると予想すると寂しいので、困った。かろうじて、会社で若干良かったなあという事を思い出すと、尊敬できる人や出来事に出会ったことの方が大きい。なぜなら、ただ単に世間話とか与太話して無駄な時間過ごすので無く、「現状、不味いとわかったら問題解決の為、何とかしないと考える」とか「目標を設定して取り組む」といった生きていく上で有益な姿勢を得れたからだ。「いま何を最優先に捉え、どのようにすれば出来るようになるのか」を考え取り組めれるようになった。ただ、実を言うと、会社に行き席に座ると真面目に取り組んでしまう事を演じてしまうようになってしまったので、そんな自分が相当嫌なんだ。
自分の性格・意識を振り返って思うと、幼稚園、小学校、中学校、高校(予備校、大学は除く)、そして会社で過ごしたが、基本的に決められたある敷地内で拘束され一日過ごすというのが嫌で嫌でしょうがない。そして、仕事をやりたく無い訳でも無く、人付き合いも常にやりたい訳でも無い。それは我慢するとして、仕掛けられた、人と意味無い競争は、ホトホトやる気を失せさせ意味もないと感じ疲れてしまう、嫌だ。そんな事を強要する上司がある機会で、帯広のポテトさんは仕事を真面目にやるから余裕が無く融通が無いですねえ、と言われるのは正直堪らない。本当は、会社には意味もなく居たくなく、早く帰るにはどうしたら良いかと工夫して効率良くやっているだけなんだ。しかし、そういう状態を図に乗って利用する輩が必ず居て、なんやかんやら言って、自分は部下の育成の名目で、きちんと自分の役割までの事から逃げ、結果こちらに自分のやりたくない面倒な事を押し付ける。人ぞれぞれにやれるところまでやればいいのに、謙虚に構える事無くそこまでやらず、自分勝手に限界を決めて、ズルして旨い事逃げ、後は人に押し付けるという事実にあたると、もう嫌だ。
※あたまに引っ張ってきた書き物「https://note.com/kita_alps0210/n/n5097cff979fb」の「しかし、よく遭った現実で」より下を要参照。
それと、社会は背伸びを強要される場所という印象。懸垂を一回しか出来ないのに、五回以上しろとその時の命令する奴の恣意的な思いでやらされる。皆に対し、同じ扱いでやっていれば良いが、そうでない場合も遭遇し、どちらかというと黙々とやらせやすい私とかに比重を重く押し付けられた暁には、何度かそういう奴に反発した事もあった。
父親が会社員で無く自営業で無い職業、母親は専業主婦、兄はダントツのトップ人間では無かったが文武両道全てに優れていた。両親はいい人だったが、その割りに気が小さく、世間の構造を理解していなく・する意志も無く、変なところで妙なプライドを出し、良くない事をカイゼンするという意思が無く、良い事を積極的に吸収せず、最初からダメだと感じたらやれるだけやる事せずに諦める、強い者に意味もなく迎合する、といったような、下手くそな生き方をしていた。良いもの持っている割に勿体ないという思いは常にあった。そんな家庭に育ったので、自分に自信が全く無い時が有ったが、いまは様々な知識を得る事により、昔の自分よりはマシになったのではと思い込んでいる。
ま、会社勤め継続をするかしないにせよ、寿命の限り生きる事は決めている。必ずする。
自分ではいのちをたつつもりは全く無く、万が一そんな心境に陥ったら、何も思わず何もせずようにする。そして、多少落ち着いたら、過去困った時の対処方法、家でただ真言を唱えるか真言宗のお勤めをし、仏像写真の画像を見たり、仏教関係の本やネットで読んだり見たりする。多少元気なら、近くのお寺行ったりする。
思えば18年前に知多八十八箇所巡りをして、満願を日間賀島の大光院で済まし
結局88+番外10箇所全部行ったので、また 行っても良い。
その他、以下にまとめた寺社にも行きたい。
と、まあ、考えたが、辞めるのに躊躇している自分って、いったいなんなんのかな、と思ってしまう。会社辞めると、元々学生時代のように
というような、社会性が無い生活になるのだろうな。貯金や僅かな株の配当金が有るとはいえ、無収入生活になるというのは、何かしら不安より恐怖が有る。確かに正社員から再雇用になり、ぐっと給料が減ったが、それでも60才越したジジイが今から新たなところで働いて稼げるところなんて、今よりしんどくかつ給料が安いところになるのだろうから、敢えて自分から恐怖を感じなくて安泰で有る今のところでもまだまだ我慢して、居残っていいんじゃない?と言うささやきも自身の中で有るのも事実。本当に悩む。
今は三年で区切りをつけるつもりだが、更に一年延長ともなると、四年。四年となったら、惰性で一年となるのも、何だかねえ。
プロ野球で、FAの権利をもらったのと一緒かな、全く金額の比較にはならないが。現時点では、残留より辞める方に傾いている。しかし、踏み切れない自分が居て、非常にまどろっこしい。数年前のように、定年過ぎたジジイは、会社にとって用済みで、若い社員が次から次へと入って来たのだが、今は人手不足で、昔みたいに人が入らず、定年過ぎた人間でも働かされる。しかし、この状況は、どう考えてもおかしい。それだけでも、この場から脱出したい。もう働きたくないからだ。
というのも意見もあるし。もっと、NOTEや他のブログとかでの主張を聞いてみるか。
今回は、相当支離滅裂な文章となった。迷っているせいだろう。いや、ただ単純に、意志を持って残留する事に踏ん切りがついていないだけかもしれない。
#セカンドキャリア #人生の選択 #働き方を考える #定年後の選択 #仕事と人生 #会社との距離感 #人生の転機 #60代の生き方 #シニアライフ設計 #働く意味 #仕事を辞めるか続けるか #キャリアの終わり方 #人生後半戦 #生き方の再設計 #自分らしい生き方 #人生を見つめ直す #不安と向き合う #将来への備え #お金と生活 #無収入の不安 #心の葛藤 #会社員の本音 #仕事ストレス #自由な時間 #人生の優先順位 #健康寿命を意識 #後悔しない人生 #自分の時間を大切に #生き方のヒント #人生の決断
