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芥川龍之介の『歯車』をどう読むか31  赤と緑の対比

 赤と緑の対比、そんないかにも蓮實重彦が書きそうな文字を連ねてみる。そのやり口は見え透いている。例えば夏目漱石の『それから』には赤と緑の対比があった。緑の世界に留まりたい気持ちがありながら赤の世界に放り出される代助がいた。では『歯車』の世界はどうだろう。かりに赤と緑を抽出してみれば、そこには将棋の対戦者の昼飯やスイーツほどの見事な対比が現れるものだろうか。


 そのうちにふと出合ったのは高等学校以来の旧友だった。この応用化学の大学教授は大きい中折れ鞄を抱え、片目だけまっ赤に血を流していた
「どうした、君の目は?」
「これか? これは唯の結膜炎さ」

(芥川龍之介『歯車』)

 僕は或バアを見つけ、その戸を押してはいろうとした。けれども狭いバアの中には煙草の煙の立ちこめた中に芸術家らしい青年たちが何人も群がって酒を飲んでいた。のみならず彼等のまん中には耳隠しに結った女が一人熱心にマンドリンを弾きつづけていた。僕は忽ち当惑を感じ、戸の中へはいらずに引き返した。するといつか僕の影の左右に揺れているのを発見した。しかも僕を照らしているのは無気味にも赤い光だった。

(芥川龍之介『歯車』)

「歌集『赤光』の再版を送りますから……」
 赤光! 僕は何ものかの冷笑を感じ、僕の部屋の外へ避難することにした。

(芥川龍之介『歯車』)

 僕は頭を振ったまま、広いロッビイを眺めまわした。僕の向うには外国人が四五人テエブルを囲んで話していた。しかも彼等の中の一人、――赤いワン・ピイスを着た女は小声に彼等と話しながら、時々僕を見ているらしかった。

(芥川龍之介『歯車』)

 僕は戸をあけて廊下へ出、どこと云うことなしに歩いて行った。するとロッビイへ出る隅に緑いろの笠をかけた、脊の高いスタンドの電燈が一つ硝子戸に鮮やかに映っていた。それは何か僕の心に平和な感じを与えるものだった。

(芥川龍之介『歯車』)

 僕は往来に佇だなり、タクシイの通るのを待ち合せていた。タクシイは容易に通らなかった。のみならずたまに通ったのは必ず黄いろい車だった。(この黄いろいタクシイはなぜか僕に交通事故の面倒をかけるのを常としていた)そのうちに僕は縁起の好い緑いろの車を見つけ、とにかく青山の墓地に近い精神病院へ出かけることにした。

(芥川龍之介『歯車』)

 或精神病院の門を出た後、僕は又自動車に乗り、前のホテルへ帰ることにした。が、このホテルの玄関へおりると、レエン・コオトを着た男が一人何か給仕と喧嘩をしていた。給仕と?――いや、それは給仕ではない、緑いろの服を着た自動車掛りだった。僕はこのホテルへはいることに何か不吉な心もちを感じ、さっさともとの道を引き返して行った。

(芥川龍之介『歯車』)

 日の暮に近い丸善の二階には僕の外に客もないらしかった。僕は電燈の光の中に書棚の間をさまよって行った。それから「宗教」と云う札を掲げた書棚の前に足を休め、緑いろの表紙をした一冊の本へ目を通した。この本は目次の第何章かに「恐しい四つの敵、――疑惑、恐怖、驕慢、官能的欲望」と云う言葉を並べていた。僕はこう云う言葉を見るが早いか、一層反抗的精神の起るのを感じた。

(芥川龍之介『歯車』)

 しかし向うのロッビイの隅には亜米利加人らしい女が一人何か本を読みつづけた。彼女の着ているのは遠目に見ても緑いろのドレッスに違いなかった。僕は何か救われたのを感じ、じっと夜のあけるのを待つことにした。長年の病苦に悩み抜いた揚句、静かに死を待っている老人のように。……

(芥川龍之介『歯車』)

 防衛増税。
 岸田政権が打ち出したこの新しい資本主義の手がかりは、異次元の少子化対策という言葉ほどのユーモアを持っていない。
 同じ意味でまたこうして赤と緑を切り抜いて並べてみても、愉快になれることはない。ただ補色関係にあるべき赤と緑が、微妙なバランスで配置されていることが分かるだけだ。補色関係だけを比較して悦に入る痴戯をいまさら繰り返すことでなにかが達成されることは無い。

 確かに赤は何か良からぬことのようであり、緑は縁起が良さそうながら、例えば緑色の表紙と明確に対比されているのは実は黄色い表紙であり、緑色のタクシーと対比されているのは黄色いタクシーなのだ。
 ならば……。

 黄いろい表紙をした「希臘神話」は子供の為に書かれたものらしかった。けれども偶然僕の読んだ一行は忽ち僕を打ちのめした
「一番偉いツォイスの神でも復讐の神にはかないません。……」

(芥川龍之介『歯車』)

 僕は丸善の二階の書棚にストリントベルグの「伝説」を見つけ、二三頁ずつ目を通した。それは僕の経験と大差のないことを書いたものだった。のみならず黄いろい表紙をしていた。僕は「伝説」を書棚へ戻し、今度は殆ど手当り次第に厚い本を一冊引きずり出した。

(芥川龍之介『歯車』)

「S子さんの唇を見給え。あれは何人もの接吻の為に……」
 僕はふと口を噤み、鏡の中に彼の後ろ姿を見つめた。彼は丁度耳の下に黄いろい膏薬を貼りつけていた。
「何人もの接吻の為に?」
「そんな人のように思いますがね」

(芥川龍之介『歯車』)

「いくつ?」
「ことしで十八です」
 それは彼には父らしい愛であるかも知れなかった。しかし僕は彼の目の中に情熱を感じずにはいられなかった。のみならず彼の勧めた林檎はいつか黄ばんだ皮の上へ一角獣の姿を現していた。(僕は木目や珈琲茶碗の亀裂に度たび神話的動物を発見していた)一角獣は麒麟に違いなかった。僕は或敵意のある批評家の僕を「九百十年代の麒麟児」と呼んだのを思い出し、この十字架のかかった屋根裏も安全地帯ではないことを感じた。

(芥川龍之介『歯車』)

 それから今度は手当り次第に一つの手紙の封を切り、黄いろい書簡箋に目を通した。この手紙を書いたのは僕の知らない青年だった。しかし二三行も読まないうちに「あなたの『地獄変』は……」と云う言葉は僕を苛立たせずには措かなかった。

(芥川龍之介『歯車』)

 そこへ僕等を驚かしたのは烈しい飛行機の響きだった。僕は思わず空を見上げ、松の梢に触れないばかりに舞い上った飛行機を発見した。それは翼を黄いろに塗った。珍らしい単葉の飛行機だった。鶏や犬はこの響きに驚き、それぞれ八方へ逃げまわった。殊に犬は吠え立てながら、尾を捲いて縁の下へはいってしまった。
「あの飛行機は落ちはしないか?」

(芥川龍之介『歯車』)

 つまりこう言ってみても良いだろう。芥川龍之介の遺作『歯車』は赤は危険、黄色は注意、緑は安全という信号機の教訓を伝えようとした小説であると。

 いや信号機は緑ではなく青だ。

 そしてこの薔薇の色は、「白」ではなかろうか。

 冬の日の当ったアスファルトの上には紙屑が幾つもころがっていた。それらの紙屑は光の加減か、いずれも薔薇の花にそっくりだった。僕は何ものかの好意を感じ、その本屋の店へはいって行った。そこもまたふだんよりも小綺麗だった。唯目金めがねをかけた小娘が一人何か店員と話していたのは僕には気がかりにならないこともなかった。けれども僕は往来に落ちた紙屑の薔薇の花を思い出し、「アナトオル・フランスの対話集」や「メリメエの書簡集」を買うことにした。

(芥川龍之介『歯車』)

 確かに何色とは書かれていない。書かれてはいないけれど、特別な紙屑でなければ白いように思える。そしてこの「何ものかの好意を感じ」る薔薇が白いとすれば、赤と緑の対比など、そもそもさして意味のない仄めかしであることに気が付く。
 それは将棋の対戦相手の昼飯やおやつを並べてみてもさして意味がないことに似ている。ご当地ではご当地めしが選ばれ、将棋会館での対戦では鰻重は渋谷の松川本店に注文されるというだけだ。対戦相手が鰻重を頼むとき、海老天重を頼むのはたまたまである。

 テエブルにかけたオイル・クロオスは白地に細い青の線を荒い格子に引いたものだった。

(芥川龍之介『歯車』)

 結婚披露式の晩餐はとうに始まっていたらしかった。僕はテエブルの隅に坐り、ナイフやフォオクを動かし出した。正面の新郎や新婦をはじめ、白い凹字形のテエブルに就いた五十人あまりの人びとは勿論いずれも陽気だった。が、僕の心もちは明るい電燈の光の下にだんだん憂鬱になるばかりだった。僕はこの心もちを遁れる為に隣にいた客に話しかけた。彼は丁度獅子のように白い頬髯を伸ばした老人だった。のみならず僕も名を知っていた或名高い漢学者だった。従って又僕等の話はいつか古典の上へ落ちて行った。

(芥川龍之介『歯車』)

 すると大きい鼠が一匹窓かけの下からバスの部屋へ斜めに床の上を走って行った。僕は一足飛びにバスの部屋へ行き、戸をあけて中を探しまわった。が、白いタッブのかげにも鼠らしいものは見えなかった。僕は急に無気味になり、慌あわててスリッパアを靴に換えると、人気ひとげのない廊下を歩いて行った。

(芥川龍之介『歯車』)

 僕はそこを通りぬけながら、白い帽をかぶったコックたちの冷やかに僕を見ているのを感じた。同時に又僕の堕ちた地獄を感じた。

(芥川龍之介『歯車』)

 僕はひとりこの汽車に乗り、両側に白い布を垂らした寝台の間を歩いて行った。すると或寝台の上にミイラに近い裸体の女が一人こちらを向いて横になっていた。それは又僕の復讐の神、――或狂人の娘に違いなかった。……

(芥川龍之介『歯車』)

 そこへ白い服を着た給仕が一人焚き木を加えに歩み寄った。
「何時?」
「三時半ぐらいでございます」

(芥川龍之介『歯車』)

 この白い服を着た給仕は何故いきなり焚き木で殴りかかって来ないのだろうか? そう私が書いた時、如何にも唐突でわざとらしいと感じた人がいるかもしれない。しかし「白」は『歯車』の中でまるで点滅でもするかのようにノンセンスなものと不気味なものの間をふらふらと行き来している色なのだ。つまり針一つぶれれば、給仕は確かに秘められたものを発揮してもおかしくはなかったのだ。

そのうちに或店の軒に吊った、白い小型の看板は突然僕を不安にした。

(芥川龍之介『歯車』)

 そして誰にもわからない疑問は「黒と白」に移る。


黒と白

 一時間ばかりたった後、給仕は僕に一束の郵便物を渡しに顔を出した。それ等の一つはライプツィッヒの本屋から僕に「近代の日本の女」と云う小論文を書けと云うものだった。なぜ彼等は特に僕にこう云う小論文を書かせるのであろう? のみならずこの英語の手紙は「我々は丁度日本画のように黒と白の外に色彩のない女の肖像画でも満足である」と云う肉筆のP・Sを加えていた。僕はこう云う一行に Black and White と云うウイスキイの名を思い出し、ずたずたにこの手紙を破ってしまった。

(芥川龍之介『歯車』)

 この往来は僅かに二三町だった。が、その二三町を通るうちに丁度半面だけ黒い犬は四度も僕の側を通って行った。僕は横町を曲りながら、ブラック・アンド・ホワイトのウイスキイを思い出した。のみならず今のストリントベルグのタイも黒と白だったのを思い出した。それは僕にはどうしても偶然であるとは考えられなかった。

(芥川龍之介『歯車』)

 僕は妻の実家へ行き、庭先の籐椅子に腰をおろした。庭の隅の金網の中には白いレグホン種の鶏が何羽も静かに歩いていた。それから又僕の足もとには黒犬も一匹横になっていた。僕は誰にもわからない疑問を解こうとあせりながら、とにかく外見だけは冷やかに妻の母や弟と世間話をした。

(芥川龍之介『歯車』)

 そう、これはそもそも異次元の少子化対策といい、異次元の高齢者対策とは言わない岸田政権の謎のように誰にもわからない謎なのだ。「誰にもわからない疑問」であり、いかな天才にも解きがたい謎なのだ。そして赤と緑の対比という認知バイアスに落ちてしまえば薔薇を見失う。


薔薇


 僕はこのカッフェの薔薇色の壁に何か平和に近いものを感じ、一番奥のテエブルの前にやっと楽々と腰をおろした。そこには幸い僕の外に二三人の客のあるだけだった。僕は一杯のココアを啜り、ふだんのように巻煙草をふかし出した。巻煙草の煙は薔薇色の壁へかすかに青い煙を立ちのぼらせて行った。この優しい色の調和もやはり僕には愉快だった。

(芥川龍之介『歯車』)

 赤を不吉なものに、緑を何かよきものに、そして黄色をとがめるものに仕立て上げようとした魂胆はこの薔薇色の前で完全に打ち砕かれる。銀色の翼も吉凶の意味を持ち得ない。謎がないところに答えはない。
 ただ打ち砕かれたところで、それは意味に囚われた「僕」に付き合わされたに過ぎず、そこにとどまることは失敗ではない。
 赤と緑の対比に拘れば失敗である。そんな痴戯は暇人蓮實重彦に任せておけばいい。



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