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『彼岸過迄』を読む 4366 作中人物の設定⑨ 「田口要作」

田口要作


 四十代男性。生年月日不詳。出身地不明。須永の母の妹の連合い。松本恒三の義理の兄。田口千代子、田口百代子、田口吾一の父親。

※やはり名前についた数字の並びから「十」が抜けている印象は否めない。一人死んでいるという伏せた設定があるのではなかろうか。

 内幸町の屋敷は構えこそ厳めしいがそれほど手広ではない。佐伯という書生を玄関番として雇っている。

 実際家。官吏から実業界へ這入って、今では四つか五つの会社に関係を有っている相当な位地の人。これは今でいう実業家のことだろうか。いや実業とは言い難いかもしれない。職業で金を稼いでいるのは確からしいが虚業の匂いがプンプンする。顧問なんていうものはたいていそういうものだ。いろんな人と顔がつながっていて、それで飯が食えている。しかし暇なときは新聞を読んで一日が終わる。これでは何かを生産している訳でもないので実業とは言い難い。

 田口要作の前職は須永市蔵の父親と同じく軍人である可能性が高い。

 またそう考えてみると関係のある四つか五つの会社というのはいわゆる軍需産業で、死の商人であり、田口要作はそのフィクサーということになる。つまり田口要作が忙しいのは、明治四十三年、つまり『彼岸過迄』の二年ほど前から盛んに巷間に噂されていた日米開戦論の影響でもあり、それを夏目漱石はやんわりと冷やかしていたという側面もあるのだろう。日米開戦論の時代背景はこの記事に詳しく書いた。

 田口要作を実際家として高等遊民・松本恒三と「対」を拵えた夏目漱石の意匠は、元銀行員で新聞記者の平岡と高級人種・代助の「対」と「対」を拵える。田口要作は松本恒三との間で女の取り合いはしない。ここで審判は「軍人ぎらい」の須永市蔵が引き受けているように思われる。須永市蔵は松本恒三を尊敬している。田口要作を嫌っているわけではないが、田口千代子との淡い関係を軽く笑い飛ばされて、あまり良い気はしないだろう。田口要作にしても須永市蔵を田口千代子の結婚相手候補の数に入れている様子はなく、明示されないまでも見込みの或る男とは見てはいまい。須永市蔵は田口家の正月の歌留多にも呼ばれない。ここの関係性も冷めたものだ。

 田口要作の年齢は四十五歳だろう。

 須永市蔵の母からは剽軽、松本恒三からは箆棒と言われる田口要作の性格は田川敬太郎の腑に落ちない。田口要作は田川敬太郎を警戒していて心を開かない。これはむしろ田口が親しい人間には剽軽であり悪ふざけも仕掛けるが、田川敬太郎の乗りが悪かったので心の距離を置いたとして、田川敬太郎の『彼岸過迄』における「部外者性」を見るべきかもしれない。『彼岸過迄』は主人公田川敬太郎が物語の中に入っていけない、物語に参与できないという特殊な構造を持っている。田川敬太郎が感じる田口家の家風は、単に田川敬太郎の疎外を意味していて田口要作の性格の二重性を意味するものではないのかもしれない。誰にでも優しいわけではないというのはごく当たり前のことで、時には軍人のように厳めしいのも剽軽者であることとも矛盾しない。

 肥った締りのない書体で稚拙な字を書く。肥っていて背は高い。

 あ、気が付いちゃいました。

 肥った締りのない書体で稚拙な字を書く官吏って駄目ですよね。昔の官吏って兎に角字を書くのが仕事みたいなもので、コードの書けないプログラマーやパワポのできないスーツ組みみたいなものでしょう。そんなもの許されませんよ。書類の罫線からはみ出すような字を書いていたら役人失格です。つまり田口要作は退官後に須永市蔵の父親の世話になっただけではなく、きっとコネかなんかあった人でしょう。そうでなければ任官試験を通りませんよ。

 その上敬太郎は遺伝的に平凡を忌む浪漫趣味の青年であった。かつて東京の朝日新聞に児玉音松とかいう人の冒険談が連載された時、彼はまるで丁年未満の中学生のような熱心をもって毎日それを迎え読んでいた。その中でも音松君が洞穴の中から躍り出す大蛸と戦った記事を大変面白がって、同じ科の学生に、君、蛸の大頭を目がけて短銃をポンポン打つんだが、つるつる滑って少しも手応がないというじゃないか。そのうち大将の後からぞろぞろ出て来た小蛸がぐるりと環を作って彼を取り巻いたから何をするのかと思うと、どっちが勝つか熱心に見物しているんだそうだからねと大いに乗気で話した事がある。するとその友達が調戯い半分に、君のような剽軽ものはとうてい文官試験などを受けて地道に世の中を渡って行く気になるまい、卒業したら、いっその事思い切って南洋へでも出かけて、好きな蛸狩でもしたらどうだと云ったので、それ以来「田川の蛸狩」という言葉が友達間にだいぶ流行出した。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 そう。そもそも剽軽者の田口要作は文官試験には向いていないのだ。しかも字が拙い。恐らく森本より拙い。だから、

 その間の退屈紛まぎれに、彼はAを一つ担いでやろうと巧らんだ。これは町を歩いている時、一軒の写真屋の店先でふと思いついた悪戯で、彼はその店から地方ところの芸者の写真を一枚買ったのである。その裏へA様と書いて、手紙を添えた贈物のように拵らえた。その手紙は女を一人雇って、充分の時間を与えた上、できるだけAの心を動かすように艶めかしく曲らしたもので、誰が貰もらっても嬉うれしい顔をするに足るばかりか、今日の新聞を見たら、明日ここへ御着のはずだと出ていたので、久しぶりにこの手紙を上げるんだから、どうか読みしだい、どこそこまで来ていただきたいと書いたなかなか安くないものであった。

(夏目漱石『彼岸過迄』)

 女文字の手紙の為に女を雇うのだ。これではどうしても高等遊民からは箆棒と言われるだろう。それで金回りがいいのだから始末に負えない。


[余談]

 noteのAIはなんでも「あれ」に結び付けがちで、「この部屋は暗いな」とか「そろそろいい頃なんだよな」みたいな話にしたがる。というか、俳優のブルース・ウィリスとか、野球選手のウィリー・スミスのことを書いても例の広告出すんじゃないの。放哉の、

咳をしても一人

 とかにも?

 どう?



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