小谷野敦の『猫を償うには猫をもってせよ』を読む⑨ 谷﨑潤一郎なんて誰も知らない
君の名前は活字にないからこれにしておくね。そう言われて谷崎潤一郎という筆名が出来上がったのだろうか。
昨日はっきりと谷﨑と書かれた原稿をたまたま目にして驚いた。


しかあし。 ほぼ反応がない。
帰りのこだまに乗り、夏休みに入ったところとて、わかものらがさんざめく山手線で帰途につきながら、私はずっと、谷崎潤一郎の名を知っているということが、既に国民の少数派なのだ、という悲しみに苛まれていた。


こちらも「﨑」だ。

さすがは谷崎の生誕の地だけあり、図書館が立派だ。西郷隆盛の家の跡地だ。谷崎盆の特設コーナーはあったが谷崎潤一郎全集は置いて居ない。さすがは谷崎の生誕の地だけあり、受付は七階だ。

谷﨑の生家の裏にある寺だ。この暖簾を見て『卍』という作品が書かれたことはまだ誰も知らない。
芥川の棒杭は仕方ないとして、やはり谷崎は少数、というか実に限られた人々にしか知られていない存在なのかもしれない。

谷崎の記事はベスト10には入らず、

三十四位のこの記事も漱石の名前のせいかもしれない。

谷崎単独の記事ではこれがトップ。明らかに漱石や芥川、三島由紀夫より人気がない。
これでは漱石並の注解のついた全集の出版など永遠にあり得ないのではないか、つまり谷崎作品の殆どが読まれなくなるのではないかと不安になる。
何しろ谷崎作品の近代文学としての位置づけが怪しい。長生きして多作なので、論評の対象になりにくい。
近代的自我というと格好いいが自身の性欲というと格好悪いと思っている人には谷崎作品は扱いづらいのかもしれない。谷崎作品は反体制的でありつつもドミナに向かっていった。
阿刀田高も全然読めていない。漱石も芥川も注解があるからいいが、その点谷崎は不利だ。
三島由紀夫くらいでないとすらすら読めないのではなかろうか。
思い返してみると小谷野敦という人の存在を認識したきっかけは、その詳細な谷崎の年譜だったかもしれない。よく調べたものだと感心する。結局文豪といえども真面目な本物の研究者の支えなければ、たちまちその存在感が薄れてしまうものなので、特に今世紀においてはその仕事がインターネットで公開されていることには大きな意味がある。
やぶちゃんという人の芥川に関する資料の公開もそうした思いの一つかもしれない。
でもねえ。

私も悲しみに苛まれている。
