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近代文学2.0の見取り図

 そもそも何をやっているの? という人のためにちょっと説明しておきます。まず何故「近代文学2.0」なのかと云えば「近代文学1.0」が終焉を宣言したからです。終焉はただのカッコつけの言葉だったのでしょうが、そう言い出した柄谷行人の夏目漱石論を読んで「本当だ」と思いました。こんなでたらめが通用していたんだ、と感心しました。だからでたらめではないものを始めようとしたわけです。

 その方法論は進化しつつありますが、具体的に示しているようにまず基本的には「丁寧に読む」ということに尽きます。要するに「言葉の意味」や「あらすじ」すらつかめていないのに、「当てかんの逆張り」「不確かな前提と曖昧な結論」「難しそうな言葉の詰め合わせ」といった「文体」をぶん回して文芸評論家を気取っている人がいたとしたらみっともないと思うのですよ。無論百年も前のことだと調べても解らないことはあります。それでもできるだけ「丁寧に読む」こと、これが基本です。

 もう少し詳しく言えば、私は作家が意図したロジックも意図しないロジックも拾うべきだと考えています。村上春樹さんはロジックを放棄してしまっているので、「村上春樹作品の謎解き」には意味がないと思いますが、明確に意図しないところに現れるロジックは拾ってもいいかなと思っています。一応夏目漱石から三島由紀夫あたりまでを論じる予定なので、大抵頭の可笑しい人たちの作品を論じることになります。だから基本的には頭の可笑しい人たちの書いた作品を読んでいるのだと前提して読みます。

 それで何がしたいのかと云えば、「近代文学1.0」のでたらめをこそぎ落として近代文学を生まれ変わらせたいと思っています。夏目漱石の主要作品に関しては、何割かそういう作業が成功していると思います。こんなことや、

 こんなこと、

 …は「近代文学1.0」のでたらめでは語られていませんでした。谷崎にしたって、こんなことや

  こんなことは、

 これまで誰も指摘していないと思いますが、どうなんでしょう。各大学等の研究機関に小さく閉じられたリポジトリに隠匿された学術論文に、こんなことが書かれていたでしょうか?

 ないでしょうね。ないから高校生にKの代わりに遺書を書かせるような授業がまかり通っているんじゃないでしょうか。なかなか厄介な状況ではありますが、私はこんなことをまだ続けるつもりです。なんとか死なないで、やれるだけのことをやるつもりです。
 応援よろしくお願いいたします。



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