見出し画像

夏目漱石の『明暗』をどう読むか⑦ 卵と精虫の配合では済まない


 彼の頭は彼の乗っている電車のように、自分自身の軌道の上を走って前へ進むだけであった。彼は二三日前ある友達から聞いたポアンカレーの話を思い出した。彼のために「偶然」の意味を説明してくれたその友達は彼に向ってこう云った。
「だから君、普通世間で偶然だ偶然だという、いわゆる偶然の出来事というのは、ポアンカレーの説によると、原因があまりに複雑過ぎてちょっと見当がつかない時に云うのだね。ナポレオンが生れるためには或特別の卵と或特別の精虫の配合が必要で、その必要な配合が出来得るためには、またどんな条件が必要であったかと考えて見ると、ほとんど想像がつかないだろう」

(夏目漱石『明暗』)

 私はこれまで『明暗』の決定論と自由意志の問題について繰り返し論じて来た。そもそも現代では優勢な非決定論から次第に決定論に靡かざるを得ない目の前の現実に対して、出来る限り理性的であろうと努めながら、いつしか「ほかの選択肢などあり得ただろうか」と寧ろ多重世界や永劫回帰迄神秘主義に押し込めようとしていた。

 何しろ『明暗』の主人公・津田由雄は吉川夫人に操られるように湯治に行く。自由意志も何もあったものではない。秀子とお延の口げんかもそうだ。お互いに言わされている。しかしそもそもここで夏目漱石は「彼の頭は彼の乗っている電車のように、自分自身の軌道の上を走って前へ進むだけであった」と「自由意志」を否定してはいまいか。
 そんなことを寺田寅彦のこの文章を読んでいて思った。

 ある一つのスペルマトゾーンの運動径路がきわめてわずか右するか左するかでナポレオンが生まれるか生まれぬかが決定し、従って欧州の歴史が決定したと言った人があるが、ある人間のある瞬間に宇宙線が脳のどの部分をどう通過するかによって、その人の一生の運命が決定することもありはしないか。
 人間の自由意志と称するものは、有限少数な要素の決定的古典的な物理的機巧では説明される見込みのないものであるが、非常に多数な要素から成り立つ統計的偶然的体系によって説明される可能性はあるであろう。そういう説明が可能となった暁には、この宇宙線のごときもその自由意志の物理的機巧の一つの重要な役目をもつものとして幅をきかすようにならないとも限らない。

(寺田寅彦『蒸発皿』)

 この『蒸発皿』には「明暗」の文字も「夏目」の文字も現れない。しかし『明暗』の読者ならばまさに決定論と自由意志の問題が捉えられていると即断できるであろう。
 寺田寅彦は紅茶を飲むか珈琲を飲むのかという選択に宇宙線が関与する可能性を考える。人の行動、特に人付き合いに、他人の出方が関与することは当然である。壺を売りたい人は運気が見えると言い出す。それは眉唾だが、兎に角宇宙線は日々頭蓋骨を貫通しているのだから、自由意志に全く関与していないとも言い切れない。
 そう言われてみると寺田寅彦は後天的資質がナポレオンを生むと考えており、夏目漱石は遺伝的資質がナポレオンを生むと考えているかのようだ。

 しかし『明暗』に現れたポアンカレーはそんな宇宙線という要素でさえ偶然とはみなさないであろう。これはあらゆる占い師にとっては有難い話のようだがそういうことではない。仮に複雑すぎて予測不可能であれ、偶然などないというのだから、未来が偶然分かる筈もない。もし未来を知り得るとしたら全ての原因を計算する能力が必要になる。口から出まかせでは駄目なのだ。

 そもそも『明暗』はその「明」か「暗」かの決まっている世界を描いているのかもしれないが到底計算し尽くせない、つまり不可知であり非決定論的である世界に相互に干渉しあう不自由意志の人々を置いた小説ではなかったか。









いいなと思ったら応援しよう!