佐伯祐三 自画像としての風景:5 /東京ステーションギャラリー
(承前)
療養のためいったん帰国した佐伯は、パリの街、壁や広告を描きたい思い断ち切りがたく、昭和2年(1927)8月に再び渡仏。1年後の同じ月に、精神病院で没した。享年30歳。
第2次滞仏期は「線のパリ」である。佐伯の筆は速度を増し、うねり、くねり、遊離して、増殖する。
<参考作品>
・《レストラン(オテル・デュ・マルシェ)》 1927年
大阪中之島美術館
・《ラ・クロッシュ》 1927年
静岡県立美術館
・《リュクサンブール公園》 1927年
田辺市立美術館
画面のほとんどを建物の扉が占める構図も、この時期にしばしばみられるもの。
死の間際に描いた《黄色いレストラン》や《扉》も、この種の作。固く閉ざされた扉には、いったいなにが待ち受けているのだろうか……
・《新聞屋》 1927年
朝日新聞東京本社
※余談だが、本展の主催は読売新聞社
・《黄色いレストラン》 1928年
大阪中之島美術館
・《扉》 1928年
田辺市立美術館
病没の半年前、佐伯はパリ東部のヴィリエ=シュル=モラン(モラン)で旺盛に作画に励んでいる。
モランでの作は図太い輪郭線を特徴とし、パリとは趣を異にしている。わずか20日ほどの短い期間ではあるが、展覧会の1章分を割くにふさわしい尖った画風となっている。
《モランの寺》と題する絵が、5点も出ていた。《街はずれの寺》という絵もあった。三角屋根の白亜の教会は、とりわけ佐伯の画興をそそったらしい。
最も惹かれたのは、小品の《モランの寺》。直前まで並んでいたパリの絵と同じ作者とは、にわかに信じがたい力強さ。同時に、侘しさもあわせもっている。
「線のパリ」の時代にあって異色の印象を残す、モランでの作。その極めつけが《煉瓦焼》であろう。わたしも、だいすきな絵。
野性味ある筆線で描かれる、いまにも崩れそうなほど不安定な形態の窯。煉瓦や土壁の赤褐色、空の青、雑草(苔?)の緑など、色彩の鮮やかさも目を引く。
忘れられない、強い印象を残す絵である。(つづく)
