行けば大阪めぐりが絶対に楽しくなる!/大阪歴史博物館・常設展
2025年のミュージアムはじめは、大阪歴史博物館。
難波宮跡と大阪城の間に位置しており、地下には発掘跡も残っています。物理的にも歴史の上に立っているミュージアムです。
実は昨年、川瀬巴水展で訪れていた場所でした。そのとき常設展がセットになったチケットを買っていたものの、巴水展が大ボリュームだったためにエネルギー切れとなってしまって、常設展は諦めて帰ったんですが・・・結果的にそれが正解でした。
常設展だけで2時間半滞在。これでも後半は飛ばし気味でしたから、じっくり見て回ったら半日は必須です。
今回は私がおもしろい!と感じた部分を抜粋してご紹介していきたいと思います。
展示は4フロアに別れていて、
1.古代 ・・・・・10階
2.中世~近世・・・・・9階
3.考古学と企画展・・・8階
4.近代~現代・・・・・7階
となっております。まずはエレベータで10階へ。
1.古代の大阪:~難波宮の時代まで
古代の大阪は、今と全く姿が違います。大都会エリアである梅田のあたりは、すっかり海の中でした。

写真にあるように、大阪歴史博物館が立つ上町台地は古代から陸地でした。そのため、この地は古代から人が暮らしていたエリアなんですね。
大阪歴史博物館の南側は、古墳時代の法円坂遺跡広場となっており、復元された高床倉庫(5世紀のものと推定)があります。
▶難波宮
このエリアについて特筆すべきことは、孝徳天皇(大化の改新で有名な中大兄皇子のおじ)時代~天武天皇の時代までの前期難波宮と、聖武天皇時代の後期難波宮が置かれたことでしょう。
博物館の南側、阪神高速をはさんだ先には難波宮旧跡があります。

右手に難波宮旧跡を眺めることができます。

発掘調査による復元図と窓の外に広がる景色を見比べるとたのしいです。
10階には難波宮の大極殿の内側を、実物大で復元した展示エリアがあります。従者たちの模型が部屋の左右に並んでいました。


また、前期難波宮(長柄豊碕宮)と後期難波宮、それぞれの発掘マップや模型などがたくさん展示されていました。



▶難波宮を発見した山根徳太郎先生
今でこそ大規模に発掘調査が行われているこれら難波宮は、長らくその場所が特定されていなかったそうです。
それを発見したのは、山根徳太郎という人物でした。彼は戦前に法円坂の陸軍施設に勤務する人物から、出土した古代の瓦を見せられたことから、この地に遺跡があると確信します。しかし、掘り進めても瓦ばかりで、建物跡がなかなか見つからず。執念の第13次調査で、ようやく大極殿の基礎跡を見つけたのだそうです。

▶その他展示品たち
印象的だったものをいくつかご紹介します。


そんなに字が上手いわけではないのかな(小声)

陶器って1000年以上経ってもあまり色あせないんですね。

プラモデルのパーツみたいだなぁなんて思ったり。

「バリのある和同開珎」が個人的にツボでした
2.中世~近世:天下の台所時代まで
中世についてはやや展示が少なめに感じました。すぐそばにある大阪城の展示を見てねってことなのかもしれません。
▶石山本願寺
中世に力を持ち、信長と10年にわたる戦いを続けた石山本願寺があったのは、現・大阪城の位置。つまり、この博物館の目と鼻の先でした。石山本願寺周辺は寺内町として経済的に栄えていたそうです。

秀吉時代を経て、近世の大坂は経済活動がさらに活発化していきます。
▶大名蔵屋敷
江戸時代、年貢米の換金や産物の売買などをするために、現在の堂島・中之島周辺に諸藩は蔵屋敷を建てていたそうです。天下の台所・大坂には数多の川を活かした水路が張り巡らされていて、中之島はその要衝のひとつでした。
蔵屋敷も川から直接船で乗り入れることができたんだそうです。

船で屋敷の敷地内に入っていけます。

いくつかの藩は蔵屋敷跡の石碑が残っているようです。以下は中之島にあった高松藩のもの。
▶お米の取引
中之島から堂島川をはさんで北側のエリア・堂島には、米市場がありました。ここではお米そのものではなく、帳簿上での取引をしていたそうです。
米市場での取引の様子を描いた広重のポストカードを、大阪浮世絵美術館(後日記事にする予定)で見つけて買ってしまいました↓

ポストカードにあるように、なかなか帰らない人たちには、役人が打ち水をやって追い払っていたんですよね。画中の人々が生き生きしている様子がよく現れていて好きな一枚です。
(こちらは広重展のレポでも紹介しています。)
▶道頓堀の周辺
道頓堀エリアは、芝居小屋や茶屋が集まる歓楽地で、軽業や見世物興行、勧進相撲が盛んにおこなわれた土地だったそうです。
「千日前」の名前の由来となった法善寺は、金毘羅堂の開帳時には見世物小屋でにぎわっていたとのこと。
このエリアは、今もまた外国人観光客でにぎわっていますね。

ちなみに、以前に浮世絵の摺体験で訪れた上方浮世絵館は、まさにこのエリアにあります。上方の歌舞伎役者の浮世絵をたくさん所蔵しているので、法善寺・芝居小屋跡とあわせて観光するのも楽しそうだと思いました。
▶船場の町並みの復元模型

船場は土佐堀川と長堀の間のエリア。
当時の記録や現在に残る町家、絵画資料をもとに復元された模型がドーンと置いてありました。

細かいこだわりが見えて、作成者さんたちの遊び心(といっても大真面目に作っているとは思いますが)を感じられて、見ていて楽しかったです。

鼠もしっかり配置されているとのこと。

鼠その①(中央)も近くに居ました。

▶その他展示品たち
いくつかご紹介します。



※画質が悪くてスミマセン。
この掛け軸は、「藻を刈る」→「儲かる(もうかる)」に転じ、画家の名前・一鳳を加えて、「儲かる一方」と解する縁起物だったそうです。勝手に大阪臭を感じてしまいました。
またこの隣には、中村芳中による鹿の絵の掛け軸(撮影不可)があって、とってもキュートでした。こんなところで芳中作品にお目にかかれるとは・・・!
3.考古学と企画展
8階は、子ども向けと思われるパネル展示メインの部屋と、企画展(今回は米作について)の部屋に別れていました。
パネル展示は、考古学とは?発掘とは?といったことを図解付きで説明されていました。
おもしろかったのは、土器の復元を模した立体パズル(土器の破片を土器の形にそって当てはめていくパズル)。見るからに難しそうだったので挑戦しませんでしたが、楽しそうにはめている大人たちを見かけました。
企画展は民俗学での知見や農機具の解説・展示、農作業と関連する信仰の解説などがありました。(このあたりからは疲れてきてやや流しめ。)

4.近代~現代:大大阪時代~戦後まで
1920年代~30年代にかけて、飛躍的に発展した大阪の街。都市の面積、人口、工業生産額が日本一だった時代を「大大阪時代」と呼んでいます。
当時市電が走っていた堺筋線沿いに百貨店が次々と店舗を構えたのもこの時代。(以前訪れた髙島屋史料館はまさに堺筋にあったことを思い出しました。)
▶町並みの等身大模型
大大阪時代の各地の様子が等身大模型で再現されていました。

写真の手前左手が大阪市北区の本庄公設市場をモデルにした八百屋、洋装をした人形は心斎橋筋をウィンドーショッピングする「心ブラ」。さらにその奥の突き当りに見えているのは道頓堀の角座(劇場)です。
店先の小物は結構リアルに再現されていて、食品サンプルファンも楽しめるんじゃないでしょうか?

▶鴻池家のお宝
鴻池銀行(→三和銀行→三菱UFJ銀行)の鴻池家は、江戸時代から大坂に根を下ろし、両替店を営んでいた大商人で、明治以降も力を持っていた家系でした。大商人のお家なだけあって、洒落たお宝を所有していたようです。

クジャクの羽根の透かし模様が豪華なのに、落ち着いた色合いでいやらしさがない・・・

上部の透けるような釉薬の色合いが上品ですね。
▶その他展示品たち
2点ほどご紹介します。


絵馬の中で私が好きなのは、中央やや右寄りのエイ。エイは浪速区にある広田神社の神の使いなんだそうです。
以上、私の独断と偏見にもとづく感想&レポでした。
これまで訪問したミュージアムやその展示の内容とつながる部分が多々あって、個人的にはとても楽しかったです。
これからの大阪の街歩きも、間違いなく楽しくなるはず!
(次の街歩きも計画中なので、今後お楽しみにしていただければと思います🤭)
お客さんは大人や外国人観光客の方が多かったのですが、模型の展示がかなり多かったので、歴史の勉強がはじまる小学校高学年~のお子さんと一緒に訪問するのにもってこいな場所だなと思いました。
大阪歴史博物館のHPでも、常設展の様子はかなり体感できるようになっていますので、ご興味のある方は覗いてみてください↓
▷参考サイト
(古都ものがたり 難波宮跡)学者・山根徳太郎が熱中した調査 執念の発掘、幻の大極殿を見たり (higashiyamatoarchive.net)
石山本願寺ってどんな寺? 織田信長との確執の原因もチェック【親子で歴史を学ぶ】 | HugKum(はぐくむ) (sho.jp)
旧黒田藩蔵屋敷長屋門 | 観光スポット・体験 | OSAKA-INFO
100年前「大大阪」がけん引した日本 栄光を振り返る 関西タイムラインまとめ読み - 日本経済新聞 (nikkei.com)
街の力:「大大阪時代」伝える建築 | 毎日新聞 (mainichi.jp)
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