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2010年のフィラデルフィアで、日本の未来を見た

ヒスパニックの肉売り場から見えた、日本の限界

今回の投稿は、数ヶ月前にXで見た以下の投稿についての私の考察になる。この投稿は数ヶ月前に書き終えていたが、公開のタイミングは今日 [2026年6月4日(木)]になってしまった。

■ 2010年、フィラデルフィアで見た違和感

2010年、私はアメリカのフィラデルフィアに住んでいた。その時、ある光景に強い違和感を覚えた。

スーパーの生鮮コーナー。肉や魚の売り場だ。そこに立っていたスタッフの多くが、スペイン語を話すヒスパニック系の移民だった。当時の私は、それを「アメリカらしいな」くらいにしか思っていなかった。しかし同時に、こうも感じた。

これは日本では起きない」と。

■ その時、直感的に思ったこと

なぜなら、日本には移民は殆どいないし、生鮮は特に重労働。かつ専門性も必要な職業だ。つまり、「やりたがる人がいない仕事」だ。

その瞬間、私はこう考えた。これは、いずれ 「日本の地方スーパーは成立しなくなる」と。

■ なぜアメリカは成立し、日本は崩れるのか?

アメリカはそもそも移民で成立した国だし、常に移民が流入する国だ。低賃金でも働こうとする人材がたくさんいる。そして、労働市場が流動的だ。だから、生鮮のような“きつい仕事”を(特に移民で)代替できる

一方、日本はどうだろうか? 日本は少子高齢化社会。若者の都市部への流出は顕著だ。移民受け入れは限定的だ。その結果、代替する人材が存在しないのだ。

■ 構造的に見た「地方スーパーの崩壊」

スーパーというビジネスは、多くの従業員を必要とする労働集約型で、しかも粗利率が低い。人件費が固定費の大部分を占める傾向にある。つまり、「人がいないと成立しない」ビジネス構造である上に、「人口減少 × 人手不足 × 賃上げ圧力」が重なるとどうなるか? 構造的にビジネスが崩壊するのだ。

■ これは努力の問題ではない

上手くいっていないビジネスに対してよくある議論は「 経営努力が足りない」や「 工夫すれば生き残れる」などだ。

しかし、これはもう違う。ビジネス構造の問題は、現場の努力では解決できないのだ。

2010年に見たフィラデルフィアのスーパーでの光景は、「人で回しているビジネスは人口構造に支配される」という現実だった。

■ 2026年、日本はその地点に来ている

今の日本では人が採れない。中小企業は賃上げに付いていけない。地方の企業は特に厳しい。つまり、2010年にアメリカで見た未来に到達したのだ。

■ 結論

日本の地方スーパーの問題はシンプルだ。伝統的な薄利多売の薄給重労働に耐えられる人材がもういないのだ。そして、その代替もいない。だから、私は「地方スーパーは、ビジネス構造的に成立しなくなる」と考える。

ビジネスは「根性」ではなく「構造」で決まる。そして構造が崩れたとき、やるべきことは延命ではない。適応か撤退だ


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