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「関わらない優しさ」が、人を育てなくしている|学校・家庭・職場で起きていること

※この記事は、以前に日経BP様へ寄稿した内容をもとに、現在の研修現場での経験を加えて、note用に再編集しました。

最近、
「ちゃんと育てているはずなのに、何かがおかしい」
そんな感覚を覚えたことはありませんか。

家庭でも、学校でも、職場でも。
大きなトラブルがあるわけではないのに、
人と人との関係が、どこか噛み合っていない。

その違和感は、個人の努力不足や、
能力の問題ではありません。

学校でも、家庭でも、職場でも、
「関わらない優しさ」
が増えているように感じます。

この記事では、
その理由を、研修の現場から整理してみます。


「育てる」「育つ」関係は、いまどこで壊れているのか── 学校・家庭・職場に共通する“育成の現場”の違和感

仕事柄、人が成長する「第2の環境」
である学校関係(第1の環境は家庭です)において、
子どもの真の自立を促すために
「親が、どのように関わることが効果的なのか」

というテーマで講演をさせていただく機会が、
数多くあります。

たとえば、

  • 先回りして手を出しすぎてしまう関わり

  • 失敗させないことを最優先にしてしまう関わり

  • 「本人のため」と思いながら、選択肢を狭めてしまう関わり

そうした日常の小さな関わりが、
実は「自分で考え、選び、立ち上がる力」
を育てにくくしていることを、
具体的な事例を交えながらお話ししています。

ところが、そうしたお話を続ける中で、
ふと気づくことがあります。

「育てる側」も、
誰かに関わってもらった経験が 十分でなかったのかもしれない、と。

育てることの難しさは、 個人の力量の問題だけではないように感じています。

いったい、「育成の現場」で、何が起こっているのでしょうか。

一言で言えば、「関わること」そのものが難しくなっている、ということだと思っています。

そして、それは学校や家庭だけの話ではありません。


「育てる関係」が崩れているという共通点

実はこの構図、
企業組織の中で起きている人間関係の問題とも、
根っこがとてもよく似ているのです。

企業研修の場で、
あえて「子育て」の話題に触れると、
一瞬、空気が止まるような感覚を覚えることがあります。

視線を逸らしたり、
「それは家庭の話ですよね」と、
無意識に距離を取るような反応をされる方も、
少なくありません。

その姿を見ていると、
こう感じることがあります。

家庭での子育てに、
十分に関われる環境ではなかったのかもしれない。

思い通りにならない存在と、
試行錯誤しながら向き合う経験が、
あまり多くなかったのかもしれない。

それは、個人の資質の問題というより、
そうした関わりが生まれにくい社会構造だったのではないでしょうか。

そして、その「関わりの経験の少なさ」が、
その人自身の 人との関わり方の"基本設定"になっているように 見えることもあります。

では、その「基本設定」は、
いつ、どこで作られるのでしょうか。
少し、時間を遡って考えてみます。


人として育つ環境は、どう変わったのか

かつて、大人たちにとって
子どもは
「少し騒がしくて、手のかかる存在」でした。

近所の大人が声をかけ、
親戚が口を出し、
ときには意見が食い違いながらも、
「ああでもない、こうでもない」と関わり続ける。

子どもたちは、
そうした複数の大人とのやり取りの中で、
人との距離感や、
感情の折り合いを学んでいたように思います。

ところが今では、それがとても難しくなっています。

少し動きの多い子は
「落ち着きがない」「手がかかる子」と言われ、

空気を読まない子は
「扱いづらい」と距離を置かれる。

コントロールに
時間とエネルギーを使うことを避け、
考え方の違う家庭とは、なるべく関わらない。

手をかけないことが、
“トラブルを起こさない賢さ”として評価される。

そう感じるのは、言い過ぎでしょうか。

その結果、良くも悪くも、
子どもたちは高い順応性を発揮し、
いつの間にか
「競争しない、目立たない、波風を立てない良い子たち」が増えていきました。

「最近の子どもたち」が
勝手に変わったわけではありません。
私たち大人の関わり方そのものが、
環境として変わってきたのです。


職場の「個室化」が進んだ結果

では、職場はどうでしょうか。

同じ空間にいながら、
一人ひとりが自分の領域を持ち、
黙々と自分の仕事に向き合っている。

互いの領域に踏み込まないよう、
必要以上に距離を保っているようにも見えます。

ある企業で
リーダーシップトレーニングを行った際、
参加者の多くが、
「チームで連携しながら仕事をしていきたい」
と口にしていました。

ところが、具体的な場面を尋ねると、

「業務内容が違うので、口出しできない」
「説明しても、どうせわからないと思います」

そんな言葉が、繰り返し出てきます。

一方で、組織の課題として挙がるのは、

「ホウレンソウが足りない」
「簡単なコミュニケーションすら取れていない」

冷静に考えると、
とても矛盾していると思いませんか。


「干渉しない」は、本当に思いやりなのか

自分がよくわからないことには口出ししない。
相手の領域には踏み込まない。

それは一見、
他者を尊重しているようにも見えます。

けれど実際には、
面倒な摩擦や、感情の揺れを避けているだけ
という側面もあるのではないでしょうか。

隣の席にいるのに、やり取りはメール。
会議の召集も、相談も、すべてテキスト。

職場は静まり返り、
聞こえるのはタイピングの音だけ。

そこに「人」が集まって働く意味は、
どれほど残っているのでしょうか。


「王様の耳はロバの耳」を思い出してほしい

「王様の耳はロバの耳」というギリシャ神話があります。

本当のことを言えない苦しさ。
感情を吐き出す場所がない閉塞感。

それを抱えたまま、
人は、静かに追い詰められていきます。

これは決して、昔話ではありません。

効率や成果を優先するあまり、
感情や関係性を後回しにした組織が、
どんな行き着き方をするのか。

私たちは、すでに何度も目にしてきました。


人は「つながりたい」生き物

人は、本来、つながりたい生き物なのです。

人との関わりの中で揺れ、
ぶつかり、調整しながら育っていく。

そのプロセスを支えることこそが、
本来の「育成」なのではないでしょうか。


では、どう関わるといいのか

ここまで読んで、
「じゃあ、どう関わればいいのか」
そう思われた方も多いかもしれません。

けれど、残念ながら
「これをやればうまくいく」という
万能な正解はありません。

ただ、一つだけ言えることがあります。

それは、
関わらないことで育つ人はいない
ということです。

人は、
ちょうどいい距離で、
ちょうどいい摩擦を経験しながら、
少しずつ自分の足で立っていきます。

過剰に守られることでもなく、
突き放されることでもなく。

「あなたを見ている」
「逃げずに向き合う用意がある」
その姿勢そのものが、
人を育てる土台になります。


「正しい関わり方」よりも大切なこと

育成の現場で、
私がよくお伝えしているのは、
スキルやノウハウ以前の部分です。

・今、この人はどんな状態なのか
・何に戸惑っているのか
・どこまでなら、一緒に考えられるのか

そうした問いを、
相手に向ける前に、
まず自分の中に持つこと。

関わり方は、
テクニックではなく、
姿勢の積み重ねなのだと思っています。


育成は「個人任せ」にできない

学校でも、家庭でも、職場でも。

「どう関わるか」を
個人の善意や力量に委ね続けることには、
もう限界が来ているのではないでしょうか。

関わり方を学ぶこと。
言葉にできなかった違和感を、
安心して共有できる場を持つこと。

それは、
弱さを責めるためではなく、
関係性を再設計するために必要なことです。


最後に

育てることは、
管理することでも、
放っておくことでもありません。

人と人が、
ちゃんと関わり続けること。

その当たり前を、
もう一度、取り戻すところから 育成は始まるのだと思います。

あなたの身近な「育成の現場」では、
人と人が、ちゃんと関われていますか。


今日のひとこと

関わり続けることが、育てることの始まり。

Profile
桐生 純子|コミュニケーショントレーナー
法人を中心に30年・延べ15万人の研修現場に立ってきました。
「伝わらない」の多くは、言葉ではなく姿勢の問題です。
その気づきを、記事を通してお届けしています。
著書『こころのスイッチ』


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