夕陽の記録 【ヴィーガンになる前に読む最後の肉食短編集】
2060年 2月14日
今日、私は94歳になった。医療の進歩で生きながらえた老人の一人だ。孫たちがホログラムで祝ってくれた後、久しぶりに古い日記を開いてみた。そこには、私が電力庁の研究員として働いていた時代の記録がある。今、その記録を見ながら、若い世代への遺言として何かを残したいと思う。
私は1966年生まれ。物心ついた1970年代は、日本が高度経済成長を終え、安定成長期に入った頃だった。幼少期の記憶といえば、夏の暑さと扇風機の音だ。我が家にクーラーが入ったのは小学校高学年の頃。母が「贅沢だから節電しなさい」と言うので、リビングだけで使い、寝る時は窓を開けて蚊帳を吊っていた。
1980年代に中高生となった私の周りには、少しずつ電化製品が増えていった。テレビはブラウン管の14型が標準で、どの家にも一台あるかないかだった。冷蔵庫は大きな氷の塊ができるタイプで、定期的に霜取りが必要だった。当時の家庭の電気代は月に数千円程度。住宅の契約アンペア数も20A程度が一般的だった。
1988年、電力会社に就職した私は、日本のバブル経済の絶頂期を目の当たりにした。東京では超高層ビルが次々と建設され、夜のネオンが眩しかった。だが、いま思えば、バブル期の日本の電力消費量は、今日と比べればはるかに少なかった。
オフィスのパソコンは数人で一台を共有し、家庭にはまだほとんど普及していなかった。携帯電話はショルダーバッグほどの大きさで、ビジネスマンの一部が持つだけ。インターネットという言葉さえ、一般には知られていなかった。
バブル崩壊後の1990年代半ばから、状況は大きく変わり始めた。インターネットの普及とともに、パソコンが各家庭に入り、携帯電話が小型化して一人一台が当たり前になっていった。それでも、当時の家電製品は省電力とは言えず、電力需要は右肩上がりだった。電力関係者の間では「2010年には電力危機が来る」という予測が一般的だった。
2011年、東日本大震災と福島第一原発事故は、日本の電力政策を一変させた。計画停電を経験し、国民全体が節電意識を高めた。省エネ家電への買い替えが進み、LEDライトが普及した。私が予測分析部に移った頃だ。その頃から、不思議な現象が起き始めた。家庭やオフィスでの電子機器の数は増え続けているのに、総電力消費量の伸びは鈍化したのだ。
技術革新によるエネルギー効率の向上が理由だった。例えば、2000年頃の32インチブラウン管テレビの消費電力は約150Wだったが、2020年の同サイズの4K液晶テレビは60W程度に抑えられていた。冷蔵庫や空調機器も同様だった。
しかし、2020年代から状況は再び変わり始めた。それはAIとクラウドサービスの爆発的普及が始まった時期だ。表面上は家庭の電力消費は安定していたが、私たちが使うスマートフォンやコンピュータの裏側で、巨大なデータセンターが膨大な電力を消費するようになっていた。
2025年に発表された国際エネルギー機関の報告書は衝撃的だった。世界のデータセンターの電力消費量が、日本一国の年間総電力消費量に匹敵する規模になると予測されたのだ。2030年には2018年比で15倍以上に急増するという試算もあった。
私は当時、この問題に対処するためのタスクフォースに参加した。「デジタル・エネルギー・クライシス」と名付けられたこの危機に、世界中が対応を迫られていた。
現実は予測を上回るペースで進んだ。生成AIの普及は、データ処理量を指数関数的に増加させた。一回のチャットが従来の検索の約10倍の電力を消費するという試算もあった。クラウドゲーミングやメタバースの普及も電力需要を押し上げた。
2030年代、私たちは「データ節電」という新しい概念を提唱した。不要なデータ通信を減らし、情報処理の効率化を図るための技術だ。液浸冷却や光電融合デバイスなどの技術革新も進められた。
だが、むしろ効果があったのは制度面での取り組みだった。「データ・カーボンフットプリント」の可視化と課税制度の導入。AIの学習モデルサイズに応じた「知能税」の創設。そして、最も効果があったのは「デジタル・タイムシフト制度」だった。
人々は電力のピークタイムを避けてデータ処理を行うことで割引を受けられる。夜間に予約したAI処理や動画のダウンロードは安価になり、その結果、電力需要の平準化が進んだ。
2040年代には、全世界のエネルギー供給に占めるデータセンターの割合は15%に達した。だが、同時に再生可能エネルギーの導入も進み、日本の電源構成に占める再エネ比率は60%を超えた。電力の地産地消も進んだ。
そして今、2060年。私が最初に電力会社に入社してから72年が経った。技術革新は予想を遥かに超えて進んだが、電力という資源の重要性は変わっていない。
若い世代へ伝えたいのは三つのことだ。
一つ目は、「見えないものにも目を向けよ」ということ。便利な技術の裏側には必ず資源やエネルギーの消費がある。瞬時に答えを返すAIの背後には、膨大な電力を消費するデータセンターがあることを忘れてはならない。
二つ目は、「危機は予測できても、解決策は予想外のところから生まれる」ということ。私たちが心配した電力危機は、予想外の技術革新と社会システムの変革によって乗り越えられてきた。しかし、その過程ではいつも誰かが先んじて警鐘を鳴らし、準備をしてきたことも事実だ。
そして三つ目は、「電力は文明の血液である」ということ。人類の文明が続く限り、エネルギーの安定供給は最重要課題であり続ける。資源の有限性と環境への影響を常に考慮しながら、次世代のエネルギーシステムを設計していかなければならない。
日が沈みかけている。窓の外の夕陽を見ながら、私は思う。この美しい光のように、人類の文明も一日の終わりを迎えるのだろうか。それとも、新たな夜明けが来るのだろうか。
それは、若い世代の手にかかっている。
この記録が、未来への道標となれば幸いだ。
宮本 啓介 元・日本電力庁 分析研究主幹
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