アビリーンの風と水 【ヴィーガンになる前に読む最後の肉食短編集】
モニターの青い光に照らされた制御室で、ジムは送電状況を眺めていた。テキサス州全体に張り巡らされたERCOT(テキサス電力網)送電網、その心臓部とも言える場所だ。画面には刻々と変わる電力需要と供給のグラフが踊っている。
「おい、ジム」同僚のマイクが肩を叩いた。「アビリーンの件、聞いたか?」
「ああ、Stargateの話だろ?」ジムはデータを見ながら答えた。「1ラックあたり130キロワット。俺たちの制御室全体の電力消費を上回ってる」
「20年前は2-4キロワットだったのにな」マイクは首を振った。「2桁の増加だ。OpenAI、Oracle、SoftBankの共同事業で、64,000個のNvidia GB200チップが2026年末までに設置される予定らしい」
ジムは画面を指差した。「見ろよ、今日の風力発電出力。全体の35%だ。それでも1.2ギガワットの新規需要。75万世帯分の電力を一つのデータセンターが消費する」
「ChatGPTに一回質問するだけで、Google検索の10倍のエネルギーだってさ」マイクが資料を読み上げた。「それが何万回、何億回と…」
ジムの脳裏によぎったのは、昨年の夏の停電だった。風の止んだ夕暮れ、ソーラーの出力が落ちた瞬間、テキサス全体が闇に包まれた。あの時のことを思い出すと、今でも胸が痛む。
「でも」ジムは言った。「AIが新しいエネルギー技術を見つけるかもしれない。小型モジュール炉、地熱、核融合…Altmanがそう言ってただろ?」
話しながら、自分でも確信が持てないことに気づいた。
2025年8月 - アビリーン、Stargate Site 1
灼熱のテキサスの太陽の下、巨大な建設現場では重機と配管工事が同時進行していた。最初の2つの建物が完成に近づき、その隣には巨大な貯水タンクが設置されている。
ジムは地元新聞の取材として現場を訪れていた。正確には、単純に見てみたかっただけだ。
「すごい光景ですね」案内役のCrusoeエンジニア、リンダが汗を拭きながら言った。「第一段階だけで200メガワットの電力を消費します。約16万世帯分ですね」
「あの大きなタンクは何ですか?」ジムは巨大な円筒形の構造物を指差した。
「冷却用の水です。100万ガロンを一度に貯蔵できます」リンダは誇らしげに答えた。「クローズドループシステムなので、水を永久に循環させることができます。一般的なデータセンターのように1日数百万ガロンを消費することはありません」
「100万ガロン…」ジムは計算した。「一度に約380万リットルか。アビリーンの人口12万人の1日の水使用量と同じくらいだ」
リンダは少し困った顔をした。「ええ、まあ、初期投資は大きいですが…」
その時、異様な音が聞こえた。低い機械音だが、風車の音とは明らかに違う。
「冷却システムですか?」
「はい。GPU温度を管理するため、24時間稼働です。年間を通じて」
ジムは現場の奥を見回した。建設中の6つの建物すべてに、同様の冷却設備が建設されている。それぞれに100万ガロンのタンク。
「現在の電力の何%が再生可能エネルギーから?」
「約53%です。風力とソーラーの組み合わせです」リンダは答えた。「残りは…」
「天然ガス?」
「はい。それと、現場にはバックアップ用のガス発電所も建設中です」彼女は遠くの工事現場を指差した。煙突の骨組みが見える。
ジムは複雑な気持ちになった。風力発電の風車と、ガス発電所の煙突が、同じ空の下に並んでいる。
2026年3月 - ダラス、テキサス大学環境工学科
ジムは「AIとエネルギー転換の政治学」というシンポジウムに参加していた。
壇上の研究者が語っていた。「2030年までにネットゼロを誓約した主要テック企業の多くが、実際にはカーボン・オフセットを購入することで『ごまかしている』のが現状です」
会場がざわついた。
「具体的には、アビリーンのStargateが昨年末に本格稼働してから、テキサス州の炭素排出量は15%増加しました。しかし企業の帳簿上では、ブラジルの森林保全プロジェクトへの投資により『カーボンニュートラル』とされています」
ジムは手を上げた。「質問があります。AIが新しいエネルギー技術の開発を加速させるという議論についてはどう思われますか?」
研究者は少し考えてから答えた。「確かに、AIは発明のための強力なツールです。しかし、現在のAIインフラ全体に100%カーボンフリーの電力供給を実現することは、根本的に不可能だというのが専門家の見解です」
別の参加者が質問した。「それでは、データセンターの水使用についてはいかがですか?」
「興味深い点です。アビリーンでは『クローズドループシステム』を採用していますが、100万ガロンの初期投資と、定期的な補充が必要です。しかも8つの建物すべてに同様のシステムが…」
研究者は資料を確認した。「計算すると、アビリーン全体で約800万ガロンの水が常時循環していることになります。これはアビリーン市の2ヶ月分の水使用量に相当します」
帰り道、ジムは車の中でポッドキャストを聞いていた。
「…データセンターは2035年までにアメリカの電力の8%以上を消費する可能性があります。その約半分は再生可能エネルギーで賄われる予定ですが、残りは石炭とガス由来となる見込みで…」
彼はラジオを消した。頭の中で数字がぐるぐる回っている。8%、半分、残り半分、800万ガロン、75万世帯分…
家に着くと、妻のサラが夕食の準備をしていた。キッチンの蛇口から水が流れる音が聞こえる。
「お疲れさま。シンポジウムはどうだった?」
「考えさせられた」ジムは答えた。水道の音を聞きながら、アビリーンの800万ガロンのことを考えていた。「俺たちは正しいことをしてるのか、それとも間違った方向に突き進んでるのか、よくわからなくなった」
窓の外では、遠くの風車がゆっくりと回っている。夕暮れの空に、その影が踊る。
「でも」と彼は妻の手を止めて言った。「一つだけはっきりしてることがある」
「何?」
「答えを見つけるためには、まず正しい質問をしなければならない」
その夜、ジムは奇妙な夢を見た。アビリーンの砂漠に巨大な湖があり、その水面に無数のサーバーが浮かんでいる。水は青く光り、泡がぶくぶくと上がっている。
夢の中で、風車が湖に向かって話しかけていた。
「君たちの計算で、地球は救われるのか?」
サーバーたちは一斉に光った。「分からない。でも、計算しなければ答えは絶対に見つからない。ただし…」
「ただし?」
「答えを見つけるころには、水がなくなっているかもしれない」
目を覚ました時、外はまだ暗かった。スマートフォンを見ると、ERCOT送電網のアプリが新しい記録を知らせていた。
「テキサス州再生可能エネルギー比率、史上最高の56%を記録。同時に、電力需要も過去最高を更新」
ジムは窓の外を見た。東の空にかすかな明るさがさしている。
まだ答えは見つからない。でも、少なくとも正しい質問をし始めている。それが第一歩なのかもしれない。
いいなと思ったら応援しよう!
あなたのチップが、観測を続けさせてくれます。SNE理論・GX実践の書籍化と、毎日更新の継続に使わせていただきます。応援、ありがとうございます。