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女神憑き: 05話 女神の血! 友よ見てくれ唸るムチ

 女が膝を抱えて死んでいる。
 一糸纏わぬ裸で、薄暗がりで身体を縮め座る格好だ。
 暗く狭く、立つことはおろか首を動かせばわずかな角度で額かどこかぶつけそうだ。
 死んだ女が立ち上がったり頭をぶつけることが出来るのか、といえばできるのだから仕方ない。
 死者に与えられる狭いスペースや許されるポーズにしても、棺桶に仰向けだったり、焼かれたあとの欠片をツボに収める、だったりで、屈葬は現代日本では殆どやってないだろう。ちなみに自分の身体は夫婦用のでかい棺に入れられて密かに埋葬されたそうだ。どこか、というか全てで法を犯しているんじゃないかな。

 ここは押入れの下段だ。
 えっちらと衣装の入ったプラケースをいくつか引っ張り出して、下段だけ空間を空けた。
 そこに体育座りをしているあたし。
 訓練、というかある実験がしたかったのだ。
 今はスケスケの霊体でいるんだけど、この状態はモノを素通りできる。そのかわり干渉、つまり持ち上げたりぶつけたり叩いたりはできない。地面とかには「やんわりと」雰囲気で立ってるんだよ。
 そしてあたしの身体感覚は霊でも、亜美の前での生身でも「ひとつの身体」として連続して不可分だ。首だけ分離して置いておく、とかは――できない(できるのかもしれないけど、研究したくないね)
 飛んだりデカくなったりはそれなりに出来るが、腕を飛ばしてオールレンジ攻撃やロケットパンチはちょっと無理。
 実体化して生身になった時は、柱や天井にぶつかれば痛いし、怪我すれば血も出る。生きていた時の癖が抜けてないともいうが、痛みのような感覚、五感をカットするのなら、生身になる意味がない。亜美とイチャイチャしても感じないのでは意味ないでしょう。

 ――今回の「実験」は純粋な興味でやるんだけど、押入れ下段にいるのは身体と外界の境界を認識しやすい雰囲気作りというわけ。
 立つことが出来ない低い空間が欲しかった。
 ので、今のあたしは「押入れで体育座りしている怪しい女」状態だと思って欲しい。

 両腕を足から離し、ゆっくりと、狭いながらもバンザイするように挙げていく。
 もうすぐに押入れの天井に届くだろう。
 そこで想像する。
 通常は天井を通過、透過したオバケの腕は、押入れ上段にある雑多な箱とか予備の布団とかに重なる。霊体の身体の物理状態がどうなってるのかはイマイチわからない。文献がないからね。経験則でしかない。まあ、重なるにせよ何も起こらない。ああ、お絵描きアプリやパワーポのレイヤーが重なってるみたいなもんです。どちらの体裁も崩れない。
 だけど今回は通過した腕、手の先に自分の踵があることをイメージする。
 踵は当然下段の床に接地してるんだけど、手が抜けた先が自分の今座っている床で、手がかりになる踵に触れられると考えるのだ。
 スーッと何の抵抗もなく押入れの天井に手が重なり、めり込んでいく。
 そしてそこまで分厚くもない仕切り板を抜けて、通過していく。目はつむっておく。
 手首を動かして、指先に何か触れないか、それが自分の足であろうと考える。
 ひたりと、指先と太ももに何かが触れた。
 踵じゃなくて位置的には少し後ろのお尻よりの腿に触れたのだ。あたしの指が。
 ――しめたもんだね。
 バンザイの腕をちょっと前にずらす。うん、どうやら踵に触れた。きゅっと掴む。手にも踵にも感触だ。
 目を開けて足元を見る。
 床から手が生え、あたしの踵がしっかりと掴まれていた。
 絵面はかなりホラーだが、自分の手ですから。
 そこから、掴んだ手の力を頼りに腰を浮かし、頭も天井を抜けるわけだが、その抜けた先で最初に見たのは自分の踵を掴むあたし自身の手。
 ほぼ成功――徐々に立ち上がるようにしていく。肩が出て、足がかり的には手のフォローは不要か。バランスのために自分のふくらはぎを触る。おー。変な感じ。顎をあげ上を見れば、自分のお尻を真下からみる格好だ。

 この視点を知りたかったんだ。
 中腰で立ったあたしの目前には、自分のお尻の穴が鼻先にあった。
 前はここからだとみにくいな……。
 下を見れば床に立った自分の足、その後ろにお臍から上の胴体が同じく床から生えていて、胸やら今の視点の始まりである自分の頭部がある。
 つまり、低い天井の上、押入れ上段に通り抜けるのではなく、天井をワームホールと見立てて、抜けた先は自分の足元の床と定義したわけだ。
 もちろん、即席ワームホール作成などはエネルギー的に厳しいので、自分の霊体ボディの出現座標をずらす認識をしたというわけ。イメージが湧きやすいように、狭くて天井の低い押入れが実験に都合がよかったのだ。

 【成果】自分のアナルを直接見れる技を身につけた。

 どんなプレイに応用できるか。恋人がいるのに自分でナメナメしても面白くはない――、ところで今はいわば腰でふたつに分解したマネキン状態に見えるんだろうな、とつらつら考えていると、玄関ドアの開く音がした。

「香織ー、タイムセールはノンアルビールだけだった」
 買い物に行っていた亜美が帰ってきたようだ。
「ツマミはいらないんだよね、あれ? どこ?」
 引っ張り出された衣装ケースと、開いている押入れ、順に見ていくと、分割収納されたマネキン……と思いきや胴体切断の事件現場。
『あー……おかえり早かったね』
 今実体化するとどうなるかわからないので、オバケ状態のままあたしは話しかけた。
『ちょっとセクシーな格好だけど、気にしないで』
「――――」
 亜美は絶句していた。おそらくこの現象を記述した古典でも脳内で検索しているのだろう。風土記にそういう妖怪の話があったかもよ。
「……そういう手品って、あまりテレビでやんなくなったなー」
 努めて平静を装って背を向け、異常現象を日常に降下させる言語的努力をしながらブーツを脱いでいた。

 香織アンド亜美の居室最寄りのT駅は、なんだかんだいってO市駅へと繋がる都市線と、S鉄道の分岐のあるちょっとしたターミナル駅だ。今ひとつウリがなかったのを気にしてか、S鉄道グループがでっかいショッピングモールを突如建てた。突如ではないのだろうが、極々慎ましやかに自分らの性やら生死やらローカルでドメスティックな出来事に拘泥していた彼女らデスカップルには「はーい建設中」という実感は無かった。
 年始にオープンして少し経った頃、亜美は一回香織と覗きに行ったのだが、卓球台が二〇〇面は並ぶようなフードコートでアジアンな蕎麦みたいなのを食べた(亜美だけが。オバケの香織が人前で食事できないのは仕方ない)くらいだった。
 比較的安価な革モノ補修サービスの店があったので、先日猫ちゃんにズタボロにされた、亜美の一張羅の革ジャケットを修理に出していた。
 今日は受け取りついでに夜着というか部屋着を物色しようよ、とふたりで出かけている。

「で、香織さんや、あの手品は何の役に立つの?」
 押入れの中で真っ二つになっていた香織に、今までツッコミは控えていた。何かに負けるような気がするので。
 外出の常として香織は霊体状態で居り、白ワンピ(再現が楽らしい)で亜美の横をふわふわ浮いていた。
『高度な霊体スキルの実験だってば。ワームホールなんてコストのかかるお膳立てをしなくても、局所的にあたしのオバケボデイを分割できるとゆう』
「言わなかったけど……、君自分のお尻をまじまじと見てたでしょ」
 舌を伸ばして自らのお尻の穴を舐めようとしているようにも見えた。そんな親友で愛すべき恋人の変態行為は暖かく見守るか、見なかったことにすべきだが、偉そうに高度な実験とか言われるとからかいたくもなる。
 香織は少しムッとしたように空中で浮いたまま仰向けになった。
『――よくみてるじゃん、さすがあたしの愛人アイレン。とある研究によると、青少年男子の八割は、自分のオチンチンを自分で舐めようとヨガ的な努力をしたことがあるそうよ。で、さっきあたしも「自分のアナルが目と鼻の先」という恐らく人類初の体験をしたわけだけど、亜美にしてもらった方が気持ちいいなと思ってやめたわ」
 青少年の柔軟体操の努力はともかく、香織のいうことは正論だ。

 本稿には描写されていないが、読者の想像を絶する交歓(要するに夜のプレイだ)を毎夜のごとく行っている亜美と香織としては、わざわざ己の舌など使うくらいなら相手が舐めてくれるし、その方が快感的な意味でよろしい。

 亜美は知らないが、激しく彼女らが愛しあった翌朝、香織の夫(これも幽霊)である譲が、亜美へ改めて挨拶をしよう、と訪れたことがある。
 寝こける仲良し娘ふたりの布団の横には、何処から調達したのか、クラシックな宇宙服が二着脱ぎ捨てられており、所々にハサミで乱雑に開けたであろう穴が数箇所空いていた。
 生前の体験、死後の妻(香織)との、宇宙的ギミックを活用した行為の経験からしても、譲には彼女らのプレイ内容が想像できず、女ふたりの性の世界に畏怖を感じそのまま辞去した。結局今も譲と亜美は対面していない。

「――要はいつもえらそーに香織がいう基礎実験か。万能女神といいつつ地味な努力してるんだな」
『なんか悔しいわね、そう言われると。すいませんね、科学や化学はチんでからの方が勉強してますう。あのねえ、映画とかマンガとかアニメで見るような挙動って、細かいこと考えなくても結構できるんよ。テレポートとか、念動光線、いや念動力とか。オバケやエスパーなら当然出来るでしょう、とあたしの中で認識されているからー。プリインストールされたスキルのようにできる。もっと変なことは理系的理屈が伴うと、あたし的には実現しやすいぽい」

 ――香織め、明るくえっちになった以外にも、死んだ後に理屈くさくなった!
 図書館行って勉強しているオバケってアリなのか?
「ふへー、としか言えないね。あたしは一般人なので」
 亜美にとっては、たまに見せてくれる変な能力のバリエーションが増えたと思うくらいで、学校の授業は大嫌いだったし、香織のウンチクにはあまり興味が沸かない。透けたり生身になってチューしてくる女のデタラメな能力は理解の外だし、あまりアテにもしていない。
『亜美はギター弾けるじゃん、あたしにはちょっと無理だし』
「ギタリストはみんなエスパーかよ」
『音楽の人はみんなエスパーだよー、リスペクト!』
「何も出ないよ」
 といいつつ、ミュージシャン皆が褒められたようで悪い気はしない亜美で、香織の服の予算を想定よりあげることにした。

『――亜美、あなたいつも、あたしのパンツ、履いてるよね』
 試着室で、香織が呟いた。

 今の香織は霊体姿なので声も姿もひとにはわからない。
 何ということはないキュロットスカートだが、一応試着することにしたのだ。

 ジーンズを脱いだ亜美の履いている下着は、当然の如く生前の香織の私 物、つまり遺品にあたるものだった。
 紺色の綿製で、普段使い用の確かセール品だ。

「――! あ、まあつい、あったからというか、ツイだよ!」
 周囲を気にし小声で亜美は反論にならない返事をした。

『いや、いんだけど、趣味でしょ』
 香織はしゃがんで目を細め、自身の遺品を履く亜美の股間へ鼻先を近づけ、わざとらしくフンフン鼻を鳴らした。

――んー!

 実体ではないので感触も鼻息も感じないが、微妙な密室であることと、癖を指摘された恥ずかしさで亜美は頬から上あたりが熱くなるのを感じた。

(やめてよ、恥ずかしい)
 最小限の囁きで亜美は抗議した。香織には聞こえるだろう。

『――いいのよ? 今更いまさら。あたしが恋しくて履いてるんでしょ。いつもー、一緒にいるのにぃ? 亜美の数少ないマイナー性癖だよね』

(そうだから、その通りだからこんなとこで匂い嗅ぐとかしないで!)

 ――そもそも香織自身が異常な嗜癖でオバケになってるし、それを良く知るわたしが、少しばかりクセを指摘されてもどうということはないんだ。

 亜美は強引な理屈で気分を落ち着かせた。

『はいはい、あ、趣味の指摘じゃなくて言おうと思ったんだった』

(何!)

『あたしの遺品――そのぱんつもだけど、ラッキーアイテムだから、ゴミの日とかで捨てるともったいないよ、って話』

 つん、と亜美の股間の中央を突つきながら香織は言った。
 香織の霊体の指先は、下腹部にスッと、障碍無く吸い込まれる。

香織の指先が――クロッチというんだったか、布越しに亜美の下腹部へめり込む。
感触も何も無いが、友達以上に親しすぎる連れ合いが、明るい中で自分の内部に指を突っ込んでくるのはよろしくない。

(――やぁめてよ! もう!)
あくまで小声で主張する。

『あ、ごめん。誘ったわけじゃないんだ。ともかくね、もったいないから捨てるなってこと、あたしの私物……遺品か、あはは』

(どういうこと?)

『最近気づいたんだけどね、あたしの女・神・的能力として、ちょっとした現実への干渉があるのよ。念動力、あるでしょう? あたしも出来るけど、それは、んー、何と言ったもんか、意志による干渉なのよ。動かしたいから動かす。何か飛んできて危ないから手で払うとか。それは反射的な意志だよね。わかるかい」

と、香織は亜美の股間に向けて話しかけた。

(どこ見て話してるのよ!)

『えへへ、悪い悪い。で、そういう反射的に自分を守ったり、有利にしようとする意志は、あたしの縁の深いモノに作用してるっぽいんだよね。あたしの目の届かない時にも。だから多分――検証しきれてないけど、あたしらの、あのお部屋のモノは、そーゆう効果がありそうなので、あまり捨てたりしないほうがいい』

(よく、わからないね、正直)

『それだけー。あ、亜美自身もそうだからね。あたしの特別だし、あたしのぱんつ履かなくても、そういうよくわからないラッキーはあると思うよ。そもそもあたしがいつもそばに居るし』

(そりゃ、どうも――、ん、ありがとね)

少し嬉しい気持ちになったので、語尾はマジメに言った。
試着のスカートを慌ただしく合わせ、亜美もしゃがんで香織と目線を合わせる。

目を閉じて、実体化していない透けた香織にキスした。
感触は当然無く、多分唇同士の座標は少し重なったろう。

『――あ、もう! もったいない。不意打ちでスカったじゃん』

(へへ、今はここまで)

少しお返しした気分だ。

(コレ買うね、出るよ)

確かこの後ちょっとしたショー? イベントがあったはずだ。
デートでもないけど、みたいなもんとして見に行こうか。

「香織はデパートの屋上って、思い出ある?」
ドローンを使うイベントで、屋内から見物するらしいが、始まる前に屋上に登ってみた。

『――あんまないなあ。あたしら位って……高校んとき亜美と行ったくらいじゃん、K駅の屋上のうどんとか、超腐ったゲーム機とか』
「行ったねえー、マンガに出てきたうどん屋と、エアの出ないエアホッケーがあったね」

今風のくつろぎスペースと子供広場、床面の大部分はここの「売り」のガラス天井で、屋上では梁の部分が遊歩道になっていた。
一階まで吹き抜けの足下を見るとちょっと怖い。

「デートでデパートとか、行った?」
亜美も香織も、今こそ純情を気取っているが、つい半年ほど前までは、互い相当「遊んで」いた方だ。

『あー……、男の人はショッピング好きじゃないからね。途中でソワソワするンだよ。わかるでしょ』
亜美と並んでガラス歩道に浮かび、香織は空を見上げた。

「すーぐ目的地に行きたがる、か。それってあんたも体目当ての時でしょ」
『へへ、そう言われるとねー。ノリのいい思い出はないな。あ、まあサトミくんとか結構楽しんでたな』
サトミくんとは香織の“元彼”の名前だ。

――今のオバケ旦那の、直前の男でしょ。
  生々しい話題になっちゃったな。

こうしてカップル然として、仲良くブラついてる亜美と香織だが。
香織は今も人妻だし、一般的に亜美は“香織サンの不義の愛人”ということになる。
この際死んでるとかはどうでもいい。

「あ、サトミくんね、自分からその名前出すの、わたしどうコメントしたらいいの」
『あたしから出したんだからいいのよ? 今幸せだし』

「あっ、そ……」

――照れること、言うじゃん。

”今“香織の大部分の時間を占拠しているのは間違いなく亜美だ。
旦那とは会うどころか、連絡してるのか心配になるくらいだ。

『亜美とこうしてる今、幸せだよー』
透けたまま寄り添ってくる香織。

こと愛情に関して、この幽霊娘が、あたしはこうなの、と自分を語るときは、ほぼノーフィルターだ。
正直モノともいうが、感情ダダ漏れだ。亜美は身をもって知っている。これからも知ることになるんだろうな。

「それなら、良いん、だけどね」
そもそも香織から一方的に別れを告げたと聞いている。

『そそ、悪いことしちゃったな、サトミちゃんには』
「いつもの感じだったのね」
事情は良く知らないけど、愛情の存続に不安とか、ろくでもない理由と確信していたので、亜美はそれ以上聞かなかった。

『――うん、バッカだったなあ、今はそんなことないんだけどね。人は死んでも成長します』

――どうだか。本日の幽霊ジョークか?

傍の彼女の透けて手ごたえのない腰に、手を回す様にして歩いてみた。

『風が全然ないね、冬晴れっていうのかな、気持ちいい天気』

香織はまた空を見上げた。
テストだろうか、ドローンが青空に点々と飛んでいた。

ショッピングモールのガラス張り天井を透かして見える、良く晴れた空の青が眩しい。
屋内外に飛ぶ多数のドローンが集中制御され、ビームを飛ばし、吹き抜けの空間に立体映像を映し出すイベントショーだ。

「結構すごい技術だよねー」
亜美は霊体の香織と共に一階のスペースで見物することにした。

『ちょっとだけスモーク、炊いてるのね。スクリーン代わりだねえ。ワクワクだね』
香織はロボやらゲーム好きなので、VRやARやMRや裸眼立体視の様な技術も大好きだ。
自分自身のオバケボディもARなんじゃないか、と得意気に言っていた。

「みなさま、本日はご来場ありがとうございます。Sグループ提供、カホコイルージョンスタジオプレゼンツ、幻想ホロビジョン・ショウをお楽しみください……」

司会の穏やかな音声が流れ、建物内の照明が抑えめにされた。
昼間なのでガラス天井からの彩光で暗さは感じない。

館内にドローンが舞い、白く明滅するのが見える。
屋外の宙空にはさらに数百体がビームを発射して映像を映し出すそうだ。

クラシック音楽と共にキシ、キシとドローンの羽音がほんの僅か聞き取れる。
突如として館内一杯に巨大な球体のビジョンが出現した。

黄白色で、見ればあばたの様な跡が大小に――
月だ。
吹き抜けフロアの空間が丸い月に満たされた。

ほおー、という歓声が客から漏れる。
「お――、キレイ」
亜美も例外に漏れず大きく丸く口を開けて感嘆した。

『うん、うん⭐︎』
香織は腕組みして何か得意気な表情だ。
技術好きオタクの悪癖で、先進技術に人が感心すると、自分の手柄の如くドヤ顔をすることがある。

――売れ始めたバンドのステージ見ながら「お前も立派になったな」感で佇むヤツ、いるよなあ。

亜美は恋人のそんな邪気に満ちた態度に苦笑しながら、美麗な月の映像を眺めた。

「まずこれは、昨年の九月の満月を再現した映像です! 皆既月食。月が地球の影に隠れる現象で――完全に隠れてしまうとき、赤々しく見えるので『ブラッド・ムーン』と呼ばれます……」

球体映像の月が上部から――徐々に暗く影の染みに侵食されていく。
月が目玉とするなら、目蓋を徐々に閉じるように――睨むように。

ふたりとも気づいた。

『あー、コレ……あたしが死んだ日の月だね、まさに』
腕組みをやめて、だらんと腕を垂らして見上げた。

この禍々しい満月の日を選んで、香織はこの月を眺め、夫と交わりながら望んで刺され死んだ。
愛し合うカップルを死なせ霊体にするという魔術の儀式だった。カルトめ。

邪教のインチキ儀式の筈が、信じ難いことに効果は実存で、香織とその夫は潑剌たる幽霊となり、好き勝手に死後の人生を謳歌している。

例えば、親友の女をガールズラブの煉獄へ転向させたり。

「……香織」
亜美は言葉を選ぼうとした。消沈しているのではないか。
香織の表情を盗み見る。

ぎょっとした。

『へへ……』
霊体の女は薄ら笑いを浮かべていた。
目を糸のように細くし、唇を舐め、︶ な口をしていた。
落ち沈むどころか、淫猥な笑みと感じた。
自分の死に様を反芻して愉しんでいる。

――そうだ、こういう女だった。香織は。

死生愛を拗らせたあげく、喜び勇んで心中儀式を成就させた(つまり死んでしまった)異常者であったことを忘れていた。
そんな悪癖持ちを愛している亜美も、ヒトとして驚愕の未体験ゾーンに突入している、とも言える。

瞳に赤い月を映し、艶笑を浮かべる霊体の彼女。

――オバケになっても、色情からは逃れられないんだね、香織。
  逃れる必要も無いのか、気持ちイイし。
  嫌いじゃないよ、むしろ素直で好き。
  受け止めるのは、わたしがいるし、旦那もいるだろうし。

空間に満ちる赫い蝕は幻想的だ。英語のルナティックが狂気なのは何でだろうか。
太陽光の反射が月光だ。月は地球の卑小な衛星でしかない。
月に怪しい効果があるのか、それとも元々、太陽がワルいものなのか?

「――さあ、いよいよ太陽と、地球と、月が一直線に並んだ状態です、地球の影が満月を覆う、う、ウッ、た為タ……タタタタタバタタタタヴァヴァ……」

涼やかなナレーションが途切れ、不気味なリピート、不愉快なハウリングかノイズに変わった。
観客がどよめく。

――PAトラブルかな?

バンドマンの亜美は音響システムのとっ散らかりを想像した。

赤黒い球体映像も粒子が乱れる。ビームで描かれた画素、空間の描写領域が欠ける。
映像の欠けは「スマホの画面割れ」のような連続した破断線に発展し、球体が輪切りとなる箇所が現れた。

美しい月蝕のアニメーションは途切れ、カラーパターンに出てくる「赤です!」という単色となった。

『……んん? 不具合?』
自らのエロティックな末期の回想に浸っていた香織も我にかえる。

「……ヴァ―― ――ヒュウウウウーウウウウウーウウー」
会場スピーカーの雑音が消え、次に不穏な風切り音が流れ始めた。
「ウーウウウウウー」
止む様子はない。
会場にもざわめきが広まる。

「香織、これ外の音拾ってるのかね?」

『――風、だ・わ』
香織は数秒前の淫蕩な表情とはうって変わって真剣、いや虚な様子で目を見開いていた。

ウウウウヒュウウウウウガンガンガンガッ

立体映像が消えた。

亜美の横に霊体で佇んでいた香織の気配が変わる。
照明が薄いが、透過する体を、生身へと変化させたようだ。

「亜美、座れ!」
乱暴な生声で、口調すら変わって香織は亜美の肩を引っ掴み床へ押した。
「あ、はい」
香織の命令調に素直に従い、亜美は押されるままぺたりと床に尻をついた。

「膝抱えて身縮めて目つむって!」
香織の実体化した身体が、亜美に覆い被さるのを感じた。
肩甲骨のあたりを抱えられ、香織の体幹中央で亜美の頭部をカバーしている。

「あまりうまく話せなくなるから――
『頭の中で喋るね』
と、途中で念話に切り替え発話する香織。

――わかった。緊急?

『事故が起こる。ガラスとかいろいろ降ってくる。
今気づいたので演算が間に合わないの。
亜美には傷ひとつつけないわ、じっとだけしてて』

――事故で何か落ちてくる、わたしの上に生身の香織が被さってる。
  ということは……。
  おい!

ウゥウウウウウウガンガンガンガッガッ
ガッガッ

目を瞑っている亜美は知覚できないが、連続した衝撃音は、制御を失ったドローン群が、天井ガラスに集中して落下衝突する音であり、喪失の原因は予測不能の気象現象だった。

局所竜巻がショッピングモール直上に発生していた。

ガッガッ  ビシッ

『亜美、移動は間に合わない。生身になるのが一番、慣れてて早い。大丈夫だから!』

――自分を盾にわたしを守るなんて、勘弁してよ!

『大丈夫よ、あたし死んでるし』
『なるべく周りの被害も少なくする』

ビッ

亜美の耳にはジッパーの大きめな開閉音に似た音が、一度きり聞こえただけに思えた。
それは実際には、竜巻が吹き上げる恐るべき吸引力と、ドローン群が極小のハンマーとして連続して激突する、相反する力によって、設計限界を超えた強化ガラスが数メートルにわたって破断した音だった。

『えぇーと、AT……いやAB、ABCマント……違う』
亜美をしっかと抱き守る、香織の内的発語が伝わってくる。
どうも緊急時にしては“何かのネーミング”を考えているような……。

しかしこの時、事態はとうに破局点を超え、破断は広がり、鋭い細片と、今ガラスを打ち砕いたドローンだったモノが静かに天面から落下を開始したところであった。

亜美に、香織の胸と腹が膨らみ、思い切り息を吸い込むのが伝わった。
「――AVフィールド!」
叫ぶ香織。生声だ。

――ハア? なん?

亜美は意味がわからなかったが、周囲の空気がアンプMaxのスピーカーの如く律動するのが感じられた。

ボコ、ボコッという鈍い音が頭上で聞こえる。
被さっている香織の身体がカク、ガクと動く。

『うー、うう! い、痛あああい! グウウウ』
テレパシーの声と共に、カハ、と香織の実体の口から息が漏れる。

頭頂にピッと何かかかった。
「えっ? 香織?」
亜美は目を開き顎を上げた。

赤が見えた。血の赤だった。
目前には香織の二の腕があり、何か棘状のものが刺さり出血していた。
今、頭にかかったのは香織が少量に吐いた血であり、亜美の額にも垂れてきていた。

周囲でシャリシャリと小さく高い音が聞こえる、時折ガチャ、ガン、という鈍い音も混ざっていた。
僅か周囲に人の呻き声が聞こえる。

香織が予告した通り、周囲は大量の物体の落下に晒され、その致命的な雨から、香織は肉体をもって亜美を庇ったのだ。

『うー、ううぅ、痛い、死んだ時なんかよりよっぽどイタイよお』
念話で痛がる香織。時折ゲッと血を吐いているので声も出せないのだろう。

「かおりかおり! や、やめてよぉ!」
やめてくれとしか言えない。

『い、いやあ、大丈夫、一度オバケになればリセット……痛えぇ』
亜美の頭をかき抱き、守るというより痛みに耐えるためしがみついているかのようだった。

香織のつぶやきと心象が亜美の脳に流れ込んでくる――。

おかあさん、留守番できたよ! プリンは食べちゃった。
階段から落ちたら痛かった。
自転車でドリフトしたら、膝擦りむいた。
夏まつりのスーパーボール掬い、楽しかったねえ。
お隣のおねいちゃん、結婚して引っ越すんだって。
お前、俺より目立ってるんじゃねえよ。

『平気よ。亜美、第一波はもう終わり。あーもう、痛い!』

可愛いからって。違うよそんなつもりないのに。
センパイ! ほらマフラー編んであげたよ。
重いってなんですか信じられない。なにそれ。
抱かれてるときが一番安心します。わたしもよ。
そもそもお前、遊んでたんだろ。違うわよバーカ。
亜美、唐揚げ食べて帰ろうよ。
なんか後腐れないけどエッチのうまい男がいるっていうんだよ。
試しにわたしとしてみる?
肉体の構成は確率的なもので、生者はその確信があるため生者といえる。

「……かおり! 大丈夫て! あんた走馬灯見えてるじゃねえか!」

亜美が初めて観た走馬灯は、他人の、恋人の、いとしい死者のそれだった。


実体化した生身で、恋人を守った香織は力尽きぐったりと、亜美を押し潰すように身を預け、喘鳴も微かに長く、ゼロゼロと喉に血が昇っていることを想像させる苦しいものだった。
オンオフ出来るというが、実体とした生身が死にかけているのではないか。

『――んー、ホント、だい、じょーぶ、だから。亜美』
テレパシーで何とか亜美に語りかける香織。

「もおー、声も出せないじゃない!」

『痛いだけだよ、もともと死んでるしさ』

――今日何回めの幽霊ジョークだよ!

『えはは、で、痛いし“次”がある、あたし体消して――ちょっと亜美ン中入るよ』
「え何」
亜美の頭上から重みが消えた。香織の身体の荷重だったものだ。

同時に、バリ、カラン、カキ、と大小の機械部品やガラスらしい血濡れた光る細片が、亜美の膝や周囲に落ち散らばる。
もしや亜美を庇い香織が受けた瓦礫か?

香織の姿は全く消えていた。
刹那、状況を知ろうと亜美は頭を巡らせた。

吹き抜けに満たされていたスモークは無くなり、館内は停電し薄明るい。
びうびうと風音がし、頭上のガラス天井に、蜘蛛の巣状の放射を描く亀裂と、中央にやはり蜘蛛を連想する多角形の穴が空いていた。

フロアでは客が悲鳴をあげ、落下物に晒された天井直下、亜美の座り込んだ観覧スペースから逃れようと人流が発生していた。

亜美の近辺で何人か負傷したのか呻き声を上げている。
しかし大きな出血などは見当たらず、瓦礫に晒された面積も、亜美を中心に限られたエリアのようだった。

香織が一番負傷していたのではないか。

――何か変なこと叫んでいたけど。

『AVフィールドやったからね。即興だけど、落ちてくる痛いのをあたしらの周りに集中させたの。
『All-Vacuum Field。バキュームは“V“だからね頭文字!』

香織の声が亜美の中から聞こえる。
先程の死にかけ? からは想像できない元気な声だ。

コレは今までなかった。亜美の身体感覚には全く違和感はない。
香織の発話が自分の胸の奥から発せられていると感じる。

――香織、何してんの? わたしの中??

『あーうん、生身オフにして一旦リソース節約で亜美の中に重なっただけ。気にしないで』

――気にするよ! 大丈夫なの? 血とか。

『今度またせつめーするけど、あたしは亜美や旦那が認識している限り、絶対に“死なない”――というかまあ、毀損されないってこと。さっきのはんー、考証的には一時パーツが傷ついただけ。再現しやすいから快感も痛みもあるいつもの生身ボディってわけ』

亜美の中で早口で説明する香織。

『で、亜美には――二次被害を一緒に止めてほしい。あと数十秒で残りのドローンが館内にいくつか落ちてくるの。やっつけようぜ?』

――わかった。どうすればいいの。

『あー、そこらに良い棒、あるかしら?』

――何だそれ! もう! 良い棒って……通学路や山道のお供かよ。

亜美は文句を念じて香織に伝えながら周囲を改めて見回した。

『降ってくる壊れたドローン共を叩き落としたいんだよ、なんか良い棒ネ』
亜美の内部に入っている香織の早口が頭に響く。

『推計五十から百体、天井の穴から屋内へ落下して――その三分の一だね、やっつけないといけないのは』

――棒、棒……ないよ! 綱はってた、ポールくらいしか!

『デカすぎるよ、両手持ちメイスだねそれじゃ』
天井から風音がする。

時間ないんじゃないのか。亜美は焦った。
周囲は軽傷とはいえ、何人か倒れていた。

『そうだ亜美、あなたのじゃらっとしたベルト! それ外して』

――いいけど、緊急だからやるけど、棒の代わりってことは?

『ムチとして使って。目に入ったドローンに向けて降って。補助はする』

(うわー)

亜美は自分のジーンズから、鋲が打たれた黒革に、ゴツめのバックルがついたベルトを抜き取り、構えた。周りも居るから――躊躇してられない。

視界に動力を失って落下してくるドローンが数個、目に入る。

『気合いと共に振るのよー』

「――えいっ!」

黒いベルトはしなり、ドローンのひとつに命中した。
数個のドローンがまとまってフロアに落ちる。

――当たった、けど明らかに当たってないのも落ちたぞ?

『当たり判定をデカくしたのよ』

――わたし要らないんじゃないの!

『いるいる。イメージとして必要。あと気合は“でぇい! でぇ!”て感じね。怪傑Zバット、一緒に見たでしょう?』

「もおお! でい、でぇい!」

怪我人を増やしたく無い一心でベルトを振るう亜美。
少しジーンズがずり下がってきた様に感じたが、気にしていられない。

幾度かベルトを振るいドローンに命中(軌道が明らかに香織に操作されている)させ、叩き落とした。落ちた先には人は居ない。

『いいね! 亜美、あなたこういうの、向いてるんじゃ――右見て』

「ん?」

逃げ遅れて座り込んでいたのだろう、ロングスカートの女性がスマホを構えていた。

その頭上にドローンの残骸が落下していくのが見える。

亜美は駆け出し、躓いた。
足が、もつれたのだ。
ベルトを失った腰回りが頼りなかったのかもと、刹那に反省した。

赤いカーディガンを着た、同年代の女性だろう、崩落事故の前にへたり込むも、スマホを構えたまま、胸の前から離していなかった。
その彼女の頭上へ、動作を停止した黒いドローンが落ちて行く。

躓いた亜美は、ベルトを振るうにも間に合わず、身体もあと数歩、届かない。

『……助ける?』

危機を教えた香織の声は、低く不機嫌そうだった。

――そうだよ!

胸の内の会話だ。そりゃあ、そうだ。
危なそうなら助けたい。

亜美の視界が切り替わる。
コケそうになり、床を見ていた筈が、唐突に誰かの背中がの赤が見えた。

赤いカーディガン。
ドローンが落ちてくる彼女の背中だ!
例の、ネコちゃんを助けた時の、香織が施した短距離テレポートだろう。
亜美の身体を数歩先に移してくれたのだ。

『息止めて!』
香織の声。

背中をドン、と叩かれる重い衝撃。

「ぐっ」
恐らく落下ドローンが亜美の背中に命中したのだ。

遅れて痛みがやってきた。
左肩甲骨の背骨よりの鈍痛、範囲が狭く小さなハンマーで叩かれたことを想像したが、骨の硬いところに当たったのだろう、ギターの切れた弦数本を束ねて突き回されるような短く鋭い痛みの拍動が、すぐに強く流れてきた。

十数センチのドローンでも――高所からの位置エネルギーというやつだ。
痛い。痛い。残骸が脇に落ちたのが見えた。刺さってはいないと思う。痛いな。

香織はこれを、もっと致命的なものまで受けたのだ。

「え、あ?」
亜美が庇った女性の驚いた声。

「……どうも、ケガ、無いですね」
亜美は肺から空気と言葉を絞り出した。

「あ、ありがとう……ございます」

――カシャ。
守られた女性のスマホからシャッター音。

亜美は、勢いで押したのだろうと自分を納得させた。
痛みで余計なことを考える余裕がない。

『助けちゃったね』
またも機嫌の悪い香織の声が、胸の中から、亜美の頭へ響く。

――そりゃあ。乗り掛かった船だよ。

テレポートのお礼を念じて伝え、香織の不意な悪感情の理由に思い当たった。
不遜にも、だ。

――香織さ、わたしが痛い思いしたから怒ってるの?

『そうだよ、危なかったよ』

香織自身は「オバケだから痛くても怪我してもいい」のに、亜美が痛いのは嫌だった、ということだ。
他人を見捨てることを亜美が良しとしない(守れたのに、と悔やむだろう)ことを見越したものの、亜美の身体を、他人の為の盾に使ったことも嫌なのだろう。

――香織ひとりだけなら、そのまま見てた?

『優先順位だよ。あたしは亜美が大事』

亜美は複雑な思いがしたが、口論する場合でもなかった。
天井を見る。落下物の兆候は無い。

――被害は、終わりそう?

『うん』

「じゃ、これで」
女性に短く声をかける。

行こうよ、と念じて亜美は痛みをこらえてフロア出口へ向かおうとした。
ジーンズをずり上げる。
目立たないように――。

ムチとかテレポートとか、どうしよう。
監視カメラとか、あるよね。

亜美が懸念を思うと、香織が答えた。

『屋内カメラの記録はマスキングをかけたよ。不本意ながら、亜美の顔が見えないように』

「へえ、モザイク?」

『This Manにね』

香織がイメージを脳内に伝えてきた。
「あ、これネットミームのハゲオヤジじゃん!」
人混みに紛れかけていたのもあり声が出る。

一時ネットで有名だった「多くの人の夢に、共通の中年男が登場する」というヤツの不気味な顔だった。
『これなら表に出せないでしょ』

「そうだけど……なんか悪意を感じるね」
もうちょいカッコいい何かに……だと晒されちゃうのか。

「香織、ありがとね」
『帰ろか?』

自分の背中の痛みもさることながら、気になった。
「じゃあさ、ちょいホテル寄っていこうよ」
と、まだ胸中に留まって居る香織を誘った。

亜美と香織の住むT駅周辺には、飲食店街の片隅にビジネスユースのホテルと、ファッションホテル、いわゆるラブホが一軒ずつある。

このふたりで利用するのは初めてだが、亜美も香織も何回か利用はしている。
結構良い部屋が空いていたので張り込んで、夕方過ぎまでのフリータイムを活用する。

結構どころか、かなり遊んでいた部類カテゴリのふたり。
亜美自身は……一端のミュージシャンならこれくらいは、と思っていたが。
生前の香織に異性を紹介したり、ツルんでいる時点でお察しかもしれない。

ピッタリとしっくりと、くっついていられるパートナーが欲しい。

香織は常々、相手の愛情も、自己の愛情も、衝動にも、根拠にも、持続にも信頼を持てなかった。
彼女の死性愛タナトス萌えの癖も、そこいらから来ているのかも知れない。

亜美はどうだろうか。亜美自身のテーマはあっただろうか?

死に戻ってきた香織が――
『あたしのこと、愛してるんでしょ?』
と心身ともに詰めてきて。

なるほど「そう」なんだな。
「そう」で構わないし、と今思っている。

――開示かな。
亜美はふとそんな言葉が浮かんだ。

ホテルには、亜美が1人でチェックインしたように見える。
どうでも構わないが。

『ここはねえ、もともとあたしの地元だからね。縁が深くてスタッフさんにも姿が見えるかも。ま、部屋着いたら姿見せるよ』

負傷で力の元リソースを枯渇させたという香織は、亜美の身体の中に重なっていた。
すぐに誘ったのも香織のケガが気になったからだ。

平気と言うけど、恋人があれだけ傷ついて心配しないわけがない。

「やー、亜美、出たよう」
カードキーを差し込んで電源を通し、部屋の灯りを付けると香織が姿を現した。

汚れも無い白ワンピース姿で、何の負傷も無いように見える。
姿の濃さから言って、実体化して生身になっているようだ。

――ま、霊体じゃ触れないし。そういうことも、するんだし。

「お疲れ、香織。さっきはありがとうね」
「あったりまえだから、気にすんなー」

「気にするよ、痛かったじゃん、身体、死にかけてたでしょ」
「死んでるけど、あたしは死なないって言ったでしょ」

「もう、あんな無茶しないでね」
香織はジト目で亜美を振り返った。

「亜美だけ、守れば良い?」
「…………」
「――ゴメン、意地悪だった」

亜美は丸くて大きなバスタブにお湯を入れ始めた。
さっさと脱いで裸になってしまう。
そんな気分だった。

「――ちょっと、打ち身になってる」
亜美の背中に掌があてられる。
今度は申し訳なさそうな、しおれた口調だ。

「こんなの、傷じゃないよ――香織も、脱いで。カラダ見せて」
セクシュアルな意味以外があることを察して、香織はオーバーアクションに肩を竦めた。
バスタブに身を躍らせ、まだ浅い湯船から飛沫が上がる。

「ほら」
実際の服を着てこなかったので、ヴィジョンだったワンピースが消え、肌を露わにした香織が在った。

亜美も湯船に入り、正面から軽く、腰に手を回してハグした。
「オバケだからってさ、もう。血も、出てたよ。後ろ向いてよ」
「はーい、優しくしてね」

香織は少々おどけて背を見せた。
照明は明るく、つややかでゆるやかな、女性らしいラインの肢体。
可愛いという表現が似合う、丸いお尻が許せない彼女。

傷も見えないが、この背骨のこつこつと浮き出た処が、ぬめりを帯びた肌が、背中が、亜美を庇いガラスや瓦礫を浴びて、死にかけたのだ。

亜美は愛撫より検分するように、香織の背中に両手を這わせた。
ぎゅ、ぎゅ、と要所で力を入れ弾力を確認し、裂け目でもありはしないか、と目を凝らした。

「やーもう、マッサージでもないんでしょ、ホント大丈夫だって」
「そうなんでしょうけど」

――死ぬより痛いって、言ってたじゃないか。

そう言うと、香織はクルッとこちらを向き、バスタブの浅い部分に腰をかけ、悪い表情をした。露悪的という印象だ。

「……だってさあ、あたし、《《死》》《《ん》》《《だ》》《《時》》《《は》》、《《気》》《《持》》《《ち》》《《良》》《《か》》《《っ》》《《た》》もの」
ニヤニヤ笑う香織。

この娘はこれが冗談では無いからタチが悪い。
香織の夫(現在もだ!)と、望んで心中した魔術の儀式のことを言っているのだ。
その「儀式」で本当に死んだことで、幽霊になった香織。

「だけど、ガラスとか、ああゆうケガは、普通に痛かったって?」
「うん。マジ痛かったのは本当」

それは感謝してる。身体で守ってくれるなんて感謝してる。

――愛してる。

「でもさ、なんかさあ、うまく言えないんだけどさあ、香織」
「なんだいクタクタと」

「こっち来て、わたしの腰の上、乗っかって」
「? いいけど」
香織は促されるまま素直に、胡座を組んでいる亜美に跨るように移乗した。

対面座位の様な体勢だ。
亜美は給湯の蛇口を閉めた。
丁度、お臍の辺りまでのまだ浅い水位。

香織の両腋から手を入れ「高い高い」の要領で腰を浮かせる。
「なあに、亜美?」
「知ってるんだからな」

亜美は考えている要求とは関連なく、目の前にあった臍の穴にキスした。
「やん」
嬌声を上げる香織。

「――香織さ、さっきわたしを庇って死にかけてたでしょ、走馬灯まで見えて」
「だからもう平気だって――」

「なんか、わたしのことは『亜美唐揚げ食べよう』とかしょーもなく思い出してたよね」
「あー、それはその、あははは」

「それはともかくさ、香織、あんたあの時、失禁してたでしょ」
「!」
身体がそれだけ負傷したなら、不思議なことでない。
亜美も感謝こそすれ、忌避するわけがない。

「――そうだったと、思うよ」
香織も意図を計り兼ねるようだった。

「それで、少しだけ、意地悪したくなったの」
臍の穴に舌をこじ入れてちろりと舐め上げてから、亜美は言った。

「香織さ、いま、このままオシッコしてみて」
「え」

意外だったのか、香織は暫く迷うような表情で唇を噛み、亜美の肩に手を乗せた。
「亜美のお腹にかかるよ?」
紅潮した顔で挑むように言う。

「いいよ」

肌を重ねた回数は多いけれど、不可抗力以外のこんな行為は、未だふたりでシたことはない。
「恥ずかしいよう」
困らせたかったんだ。

――勝手に死んじゃって、今日も、勝手に香織ばかり傷ついて痛くて。

「恥ずかしく、させたいの。ほら、出してよ」

「あー……ズルいよ、亜美、亜美」

根負けして放尿した香織は、もう幾度か亜美の名を呼び身を震わせた。

ささやかな達成感を得た亜美は、香織の隅々まで丁寧に、優しく愛した。



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