14. Naoki|読む人の運命を加速させる恋愛小説
「友利花さん?」
「はい?」
「どう思った?」
「え?何がですか?」
「ハハハッ」
ボクは笑う。
「あ、ごめんなさい。なんかボーッとしちゃって」
「大丈夫だよ」
「ほんと、ごめんなさい」
「大丈夫」
ボクは確かめるように、もう一度言う。
ボクはこの前読んだ東野圭吾の『変身』の感想を友利花さんに聞こうとしていた。友利花さんも昔、読んだ事があるらしい。
冬から春にかけて、変わったことが3つある。
一つ目はボクが小説にすっかりハマってしまったこと。友利花さんにオススメされた小説を読み始めてもうこれで6冊目だ。
二つ目はボクが日記を書き始めたこと。小説を読んでいたらボクも何かを書きたくなってきた。だからとりあえず日記を始めた。まだ、友利花さんにこの話はしていない。
三つ目。ボクと友利花さんは食事以外でもデートに行くようになった。映画館や水族館など(仕事終わりの夜に行くことが多い)。
コロナが落ち着いてきたからか、一時期のひどく疲れている様子が友利花さんからは見られなくなっていた。ボクとデートしてくれる回数も多くなった。
今日は、友利花さんとお花見に来てる。ピクニックも兼ねて。
と言っても時期が早すぎたのか満開からは程遠く、お花見をしている人もボクたちの他にはほとんどいない。
ただボクは、どうしてもここに一緒に来たかった。友利花さんとお昼からデートできる機会はそう多くないから。
「これ、美味しいね」
「そうですか?よかったです」友利花さんは嬉しそうに笑う。
友利花さんが作ったサンドイッチは、柔らかく、優しい。友利花さんの雰囲気そのまま。
ボクはボーッと、満開に向けて陽の光をまっすぐ受け取る桜の蕾を見つめる。
友利花さんは、「春は苦手」だと言う。「なんだか騒がしいから」と。
「クシュンッ」
「大丈夫?」
「大丈夫です、すみません」
「花粉症?」
「違います」友利花さんはキッパリと答える。
「そうなの?」
「はい、違います。病は気からです」
「え?」
「あ、いや」
「ハハッ」またボクは笑う。「花粉症も『病は気から』なの?」
「どう、なんでしょう」友利花さんも少し困ったように笑う。
「これ」そう言ってボクは自分のリュックの中を探る。「使って」
「大丈夫です、私もティッシュ持ってるので」
「いいからいいから」
「あ、じゃあ、ありがとうございます」
「いいえ」
ボクは友利花さんの笑顔を見届けて、また桜に目を向ける。
「来れたね」
桜に目を向けたままボクは呟く。
「来れたね、新宿御苑」
「そうですね」
友利花さんの声が心地良く耳に届いてくる。
「あ、直樹さん」
「ん?」
「コーヒー、飲みますか?」
「え?あるの?」
「ありますよ」
「飲みたいな」
「ちょっと待ってくださいね」
友利花さんは大きめのボストンバックから水筒を取り出す。
「まだ冷えるからホットにしてきました」
「いいね、ありがとう」
友利花さんが水筒の蓋をボクに手渡し、ゆっくりと注ぐ。
ブラックコーヒーの色が、あの夜の記憶へとボクを誘う。
あの夜、新宿御苑に向かって歩いたあの夜———
新宿御苑は既に閉まっていた。
ボクたちは手を繋いだまま、固く閉じられた入り口をしばらく見つめていた。
周りにはボクたちの他に誰もいなかった。
「閉まっちゃってるね」ボクは言った。
「そう、ですね」
「帰ろうか」
冷えた夜、友利花さんと重なる手のひらだけが、熱を帯びていた気がする。
ボクがふと、友利花さんの方を向くと———友利花さんはなぜか、泣いていた。
友利花さんはあの夜、泣いていたんだ。
右手で感じるコーヒーの熱が、ボクの意識を今の場所へと戻していく。
ボクはゆっくりと口につける。
「あれ、美味しい・・・」
「あれ?」
「あ、いや・・・。すごく美味しくてビックリしちゃって・・・」
ブラックコーヒーは実は少し苦手だ。けどこれはすごい飲みやすい。
「よかったです」友利花さんはまた嬉しそうに笑う。
少し冷えた両手を温めるようにして、友利花さんが淹れたコーヒーをまた口に移していく。コクのある味わいがサラサラと、滑らかに口の中で広がっていく。
あの時、友利花さんはなぜ、泣いていたんだろう。
「直樹さん、ちょっと、痛いです」
友利花さんの声で、ボクはあの時我に帰った。
友利花さんの涙を見たら、もうどうしていいのかわからなくて、でもどうにかしたくて、気づいたら友利花さんのことを抱きしめてしまっていた。
しかも思いっきり。
「直樹さん?」
「え?」
「あ、いや、なんか今、すごい『しまった〜』みたいな顔してたから」
「え?ほんと?」ボクは焦って言う。「なんでもないよ。コーヒーすごく美味しかった」
ボクは水筒の蓋を友利花さんに手渡す。
「よかったです」
友利花さんは受け取り、「私も飲もーっと」と言ってコーヒーを注ぐ。
友利花さんのこうした行動一つひとつが、ボクを嬉しくさせる。
あの夜、ボクの胸元からそっと離れた友利花さんはボクの方を見て、こう言った。
「———ありがとうございます」
「え!?」
ボクは驚く。
記憶の中の友利花さんと、今隣にいる友利花さんが、全く同じことを口にしたから。
「コーヒー美味しいって言ってくれて、ありがとうございます」
「あ、ううん、こちらこそ、ありがとう」
ボクは笑顔でそう答え、ゆっくりと地面に背中を預け、シートの上で仰向けになる。
空。
雲一つない、空。
あの日、友利花さんは、どうして泣いていたんだろう。
【あらすじと初回話】
