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11. Naoki|読む人の運命を加速させる恋愛小説

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「ご注文はお連れ様がいらしてからにされますか?」
白と黒で彩られた少しタイトな制服を身に付けた女性店員がボクに尋ねる。年代は恐らく40代だろうか。
「はい、そうします」
「かしこまりました」笑顔でそう言って立ち去った店員の後ろ姿を、ボクは特に意味もなく見つめていた。

今日は友利花さんとデート。初めてのディナーだ。
友利花さんは最近仕事が忙しいみたいで休日は家でゆっくりしていることが多いらしい(確かに最近の友利花さんはひどく疲れている様子だ)。
土日休みのボクと友利花さんの休みはほとんど被らない。唯一合うのが友利花さんが土日夜勤の時。夜勤だと友利花さんは夕方出勤だから、そうした日はたまに一緒にランチに行く。
今日は友利花さんは珍しく早番で(早番の日は夕方に仕事が終わるらしい)、だから一緒にディナーに行くことになった。

初めての、ディナー。
ボクはオシャレな店とか特に知らないからインターネットで調べた。
「デート ディナー 雰囲気が良い」とか、「デート ディナー 個室」とか。
ディナーは嫌がるだろうか。誘った時、ボクはそれが不安だった。
友利花さんから「ゆっくりお酒飲むのもいいですよね。あんまり飲めないですけど(笑)」と返信が来た。
ボクはそれだけで嬉しかった。友利花さんがボクに気を許してくれている感じがして。

ボクは都内の創作フレンチ料理(と言うらしい。ネットにそう書いてあった)のお店を予約した。ビル37階にある、夜景も見える素敵なお店だ。
今、店内を見渡すと、ほんの少し暗めの照明でそれなりに良いムードだと思う。ボクの他には落ち着いた服装をオシャレに着こなした若めのカップルが1組、夫婦と思われる50〜60代ぐらいの男女が二組、小学校高学年ぐらいの女の子が一緒に座る家族連れ3人が1組見える。
想定していた予算よりかなりオーバーしたけど、独身男性34歳のお財布はそれなりに潤っている(自分で言うのもあれだけど)。
振り返ると仕事中心の20代だったし、それは30代になってからもあまり変わらない。
20代はとにかく仕事を覚えるためにたくさん働いた。帰宅すると日付を跨いでいる時も度々あった。残業時間がどうだとか気にせず働いていたので預金口座には自分でも驚くほどのお金が貯まっていた。
ボクはちゃんと家計簿をつける。無駄遣いがあまり好きじゃないから。出費は1円単位で細かくつける。一方で自分がどれくらいお金を持っているのかはあまり気にしない。そんなふうに生活していたら結構な額が貯まっていた。残業代のおかげだ。
2年前に管理職になった。管理職になると残業代が出なくなる。周りの同期からは「ドンマイ」と嫌味たらしく声をかけられたりもしたけど、ボクはそれを軽く笑って流した。
残業代が出ないことは特に気にならなかった。それよりもボクは部下を持てることが嬉しかった。
新人の時、先輩たちがボクに仕事を教えてくれた。彼らは皆、仕事のスタイルのようなものを確立していて、当時のボクにはすごく遠い存在のように思えた。
「ボクがあんな風になれるとは到底思えない」
そんな考えに打ちのめされて会社に行くのが辛い時期もあったけど、でも、なれた。あの時の先輩たちのように。いやまだまだそんなレベルではないかもしれないけど、少なくともボクは今、9名の部下たちを率いている。
部下一人ひとりが自分に合った仕事のスタイルを見出せるよう手助けする。それがボクの方針。これはボクが、ある先輩にそう指導されて嬉しかった経験からきている。自分のことを尊重してもらえている気がして。

お店を友利花さんに伝えると「なんだかちょっと緊張しますね」と返信が来た。これをポジティブに捉えていいのか、ネガティブに捉えるべきなのか、ボクにはわからなかった。なんて返信して安心させるべきなのかも。
あれ、あの時なんて返信したっけ。
スマホでLINEを開くと友利花さんから連絡が入っていた。
「直樹さん、ごめんなさい!少し遅れちゃいそうです。仕事が長引いちゃって」
ボクは慌ててこちらに向かう友利花さんを想像した。なんだか少し、微笑ましくなった。
「全然問題ないよ。ゆっくり気をつけて来てね」とボクは返信した。

友利花さんはボク以外の男性と、会っているのだろうか。
あの電話がずっと、引っかかっている。

最近友利花さんはどこか元気がない気もする。友利花さんによると仕事が忙しくてひどく疲れているらしいけど。
どうやったらボクは、友利花さんを癒してあげられるのだろう。電話はいつもボクが話してばかり・・・
もっと友利花さんの話を聞いてあげればいいのかもしれない。
でも、どこまで聞いていいのか、わからない。
あまり深く聞きすぎても、迷惑な気が———

あ・・・
ボクは口元にあった親指を急いで離す。
またやってる。
ボクはつい、考えながら親指の爪を噛む癖がある。人前では滅多にしないけど。
一度だけ、前付き合っていた彼女の前でやってしまったことがある。
あれは「直樹の気持ちがわからない。ちゃんと教えて」と言われて、なんて言うべきかを考えていた時だった。
ボクはその人のことがちゃんと好きだった。その気持ちをできる限りわかりやすく伝えたものの、その人には伝わらなかったみたいで(伝わったけどもうその人はボクのことが好きじゃなかったのかもしれない)、別れることになった。
「別れよう」と言われ、ボクはただ「わかった。そうしよう」と言った。
そんなことをぼーっと思い出しながら店内の入り口に目を向けると、友利花さんが見えた。

———なんか、違う。

友利花さんはいつもはカジュアルめな服装だけど(でもそれは、なんて言うのだろう、品のあるカジュアルさだ)、今日は、違う。すごく大人な女性だ。
薄いパープル色のマフラーと、黒のロングコート。髪にはいつもと違って少しだけカールがかかっている。
どこか、優雅な雰囲気。
そんな友利花さんの仕草一つひとつを全て見逃すまいと、店員にコートを預ける彼女にじっと目を向けてみる。
少しだけ薄暗い店内で、友利花さんだけどこかスローモーションな気がした。
コートを脱ぐと、黒のロングドレス。
友利花さんって、こんなに———
ボクは焦って手元に目を向ける。
ボクは今、すごく緊張しているかもしれない。初めて友利花さんに会った時はほとんど緊張しなかったのに。
水の入ったグラス。触れた時のひんやりとした冷たさ。カランと鳴る氷。
透き通った水と、ガラス。
その透明さの先に、刺繍の入った白いテーブルクロスが見える。

ボクは———
ボクは友利花さんが、好きだ。

ボクは友利花さんが好きだ。好きなんだ。
それが今、明確にわかってしまった。
どうしよう。
この気持ちに、もう逃げ場なんてない気がする。

「直樹さん、ごめんなさい。お待たせしました」
友利花さんはこちらに足早に近づき、言った。
「ううん、大丈夫だよ。ボクもさっき来たばかりだから」
ボクは友利花さんに向かって笑顔でそう答えた。
今ボクは、どんな顔をしているのだろう。
ちゃんと笑えているのだろうか。
ボクは意味もなく、手元のグラスに目を向ける。
「もう何か、頼みました?」
友利花さんは席につき、ボクに聞く。
「あ、ううん、まだだよ。飲み物頼もうか」
そう言ってボクはメニューを広げた。
ボクが友利花さんに恋をしたという事実が、空気という物質を通じて伝わっている気がする。
今までとどこか、空気の密度が違う。
この違いを生み出しているのは、ボクだ。落ち着け、落ち着け・・・
かき消すようにボクはいつもの調子で声を出す。
「ボクはビールにしようかなあ。友利花さんはどうする?」
「うーん、なんだか名前だけ見てもよくわからない飲み物が多いですね」
友利花さんは少し笑いながらそう言った。
「そうだよね」ボクは空気の重さを友利花さんに合わせようとする。少し、軽めのトーンに。
友利花さんはしばらく悩んだ後、「シャンディガフにしようかな」と呟いた。
「食事はどうしよっか」
ボクはメニューをパラパラめくり、目を通す。
なぜか、コースメニューのページで手が止まった。
「コース、頼んじゃおっか」
「コースですか?」
「うん」
普段のボクは、コースなんて頼まない。
でもなぜか今日は、頼みたくなった。密度を変えた空気が、ボクにそうさせたのかもしれない。
友利花さんが遠慮しているのがわかる。そして何に遠慮しているのかも。
「今日はご馳走させて。お祝い」ボクはそう言った。
「お祝い?なんのですか?」
「うーん・・・」
「直樹さん、今考えてますよね?」友利花さんはクスクスと笑う。
「いや、大丈夫!ちゃんと思いついてるよ」
「ほら、思いついたって」友利花さんはどこか楽しそうだ。
「あ、ほら、出会って一ヶ月記念」ボクは友利花さんに視線を向けて言った。
友利花さんは記憶を辿るように視線を少し上に向ける。
「もうとっくのとうに1ヶ月過ぎてません?」
ボクも同じように視線を上げて記憶を遡る。確かに。
「じゃあ、初のディナーデート記念!」
「デート・・・」と友利花さんがポツリと呟く。
ボクはなぜか、しまったと思った。
「まあとにかくご馳走させてよ」
「・・・いいんですか?」
友利花さんは本気で遠慮して聞く。社交辞令とかではなく。
「うん、もちろん」
「・・・本当に?」
「大丈夫だって。ご馳走させてよ」ボクは少し笑いながら答える。
「じゃあ、すみません・・・あ、いや、ありがとうございます」
友利花さんは申し訳なさそうにそう答えた。それでも「すみません」の後の「ありがとうございます」は嬉しそうに聞こえた。

ボクたちは二人とも真ん中の価格のコース料理を頼んだ。
しばらくすると黒い腰巻きエプロンを付けた短髪の男性店員が飲み物を持ってきた。季節の割にはなんだか肌が焼けているなとボクは思った。

「乾杯」
ボクがそう言うと友利花さんも控えめに「乾杯」と言った。
お互いが伸ばしたグラスは、———テーブルのサイズが思ったよりも大きくて———ギリギリのところで触れ合わなかった。互いのグラスが、「あっ」と少しばかりの驚きと配慮を交えて、宙に浮いた。
今ここで、この店内で、わざわざ腰を上げるのもおかしい。友利花さんもきっとそう思っている。だから二人のグラスは、元々触れ合うつもりがなかったような素振りで、お互いの口元へと引き戻された。

何を話そう。
ボクは今まで友利花さんとどんな話をしていただろう。
なぜか、出てこない。言葉が。声が。

「仕事、どう?」ボクが尋ねる。
「仕事ですか?」友利花さんは少しキョトンとした様子。「そうですね。忙しいけど、少しは落ち着いてきました」
「そっか」
「はい」

やっぱり空気の密度がどこか違う。
友利花さんの最近の仕事の様子は知っている。この前の電話で聞いたから。
ここ数ヶ月増え続けていたコロナ第何波か(もう何波目だったかいちいち思い出せない)の感染者数はつい先週ピークを打った。そうニュースで報道していた。そうした報道と友利花さんの忙しさはやっぱり相関があるんだなと、そう思ったことまで記憶している。
沈黙が続けば続くほど、空気の密度が濃くなっていく。

「こちら前菜になります」
沈黙に耐えきれなくなったボクたちに助け舟を出すかのように、先ほどの男性店員がやってきた。
「季節のお野菜を使ったバーニャカウダになります」
そう言って、ボクたちの前にそっと料理を置いた。
「わぁ、美味しそう」
いつになく明るい声で友利花さんが言った。心の声が透けて聞こえてきたようだった。
「美味しそうだね」
ボクは嬉しそうに料理を見つめる友利花さんの表情を、見つめていた。
「あの、写真、撮ってもいいですか?」
「え?ああ、もちろん。ボクも撮ろうかな」
ボクは友利花さんより先にそそくさとジャケットからスマホを取り出す。
前回のランチデート(それをデートと呼ぶなら)では綺麗に彩られたランチプレートを真っ先にスマホで撮っていたのはボクの方だった。その様子を見て友利花さんもスマホを取り出した。
今日は、料理の彩りを楽しむ余裕すらない。

しばらくの間、ボクたちは黙々と料理に集中した。空腹を満たしたいのか、密度の濃い空気を追い払いたいのか。
ただ、無言で食べれば食べるほど、空気は更に濃くなっていっている気もした。

「最近ちょっと、疲れてる?」ボクは遠慮気味に友利花さんに聞いた。
「あ、はい、仕事が忙しくて」
「大変だね」
「すみません、なんか、電話でも元気なくて」
「あ、ううん、大丈夫だよ。大丈夫なんだけど・・・」
友利花さんがボクの言葉の続きを待つ。
「あ、いや、その、ボクは大丈夫だから。友利花さんと電話できて、嬉しいし」
「そうですか。ありがとうございます」
「うん」

お皿にスプーンが当たる音。
それだけが、聞こえてくる。
世界の音がそれだけになってしまったみたいに。

「あのさ」
「はい?」
友利花さんが顔を上げてボクを見る。
「いや、あの・・・」
ボクはなんで、あのさ、と言ったのだろう。
友利花さんはまっすぐこちらを見つめてボクの言葉を待っている。
「友利花さんはさ、」
ボクはまだ、自分が何を言いたいのか、わからない。自分でもわかっていない。話し始めてしまった言葉を、なんとか最後まで紡ごうとしている。終点はわからないままに。
「友利花さんは、」
ボクの声は喉の辺りでつっかえる。
———息を止めるようにして、ボクはそれを飛び越える。
「友利花さんは、好きな人とか、いるの?」
と発した途端、ボクは自分の言葉に驚き、「あ、ごめん」と付け足した。

友利花さんは一瞬驚いた表情を見せたような気がした。
それから何事もなかったかのように、シャンディガフの入ったグラスに手を伸ばし、一口飲んだ。ゆっくりと。何かを考え、思うように。
そしてゆっくりとした動作でグラスを置き、一息ついて、言った。
「好きな人、ですか?」
ボクが最後に付け足した言葉は、ボクの質問を帳消しにはしていなかった。「いや、ごめん」と改めて言おうとした。いや、そう言ったはずなのに、なぜかその言葉は音を持たなかった。

テーブルを沈黙が支配する。
その沈黙が、店内の上品な音、優雅な賑やかさを際立たせる。
明らかにボクたちのテーブルだけ、空気の密度が違う。

先ほどの男性店員が次の料理を持ってやってくる。
濃い空気が後ろに退く。場をわきまえるように。
ただその急な切り替わりが、むしろ男性店員に何かを伝えている気がした。
男性店員は持ってきた料理について簡単に説明した。
ボクにはそれがうまく聞こえない。
ボクの目の前には、全体の大きさの割には真ん中の窪みがやたらと小さいお皿に、細長い何かが3本ほど置かれている。白っぽいソースと共に。

男性店員は消え、ボクは次の空気を待つ。
ボクたちは黙ったまま、動かない。空気は先ほどの続きを聞きたがっているようだった。
もうボクには、この空気を切り替える方法がわからない。ボクはただただ、黙っていた。
友利花さんの腕から首にかけてが、ボクの視界の中心にあった。

「い、ます」

友利花さんは言った。手元を見ながら。
不思議とボクは驚かなかった。どこかでこの答えを、予期していたかのように。
ただ、ボクにはわからなかった。友利花さんの、奥から絞り出すような答え方。それが何を意味するのか。
好きな人がボクじゃないから言いづらいのか。好きな人がボクだから言いづらいのか。なぜかどちらも、違う気がした。
「直樹さんは?」
先ほどと打って変わって、友利花さんの声はスラッと滑り出た。

ボクは———

「いるよ」
「え?」
「今さっき」
「今さっき?」
「今さっき、好きになったんだ」

ボクの声がこう述べた途端、ボクの心臓は急速に激しく高鳴り始めた。まるで心臓が遅れてボクの声を聞き、起きた事態に焦って対処を始めたかのように。
心臓の動きに応じてボクは何かを考え始める。
ボクは何を考えているのだろう?
視界がぐわんと大きく揺れ動いている。
ボクの視界、音、全てが、同時に後ろに下がっていく。世界が、拡張していく。
そんな様子を驚くほど冷静に見つめている自分もどこかにいる。まるで映画の世界に迷い込んだかのよう。頬の辺りに熱がこもっている。でもその熱は、ボクの熱ではなく「ボク」という登場人物が持った熱だ。

ボクが何かを認識できる余白を持ち始めた時、その時初めて———ボクは友利花さんに出会った。
目の前の、友利花さんに、この瞬間初めて、出会ったんだ。
美しく艶のある髪。きめ細かくしっとりと輝く白い肌。少しだけ伏目がちなつぶらで大きな瞳。その下で控えめに呼吸する小さな鼻と、ふっくらとした赤い唇。その奥からこちらに向かって放たれる風。
友利花さんという風。暖かくて澄んだ香りがする春の風。
そのひとつひとつを全て同時に捉えながら、ボクは思った。

———友利花さんに、触れたい。

その言葉に反応したボクの意識が、急速に世界を現実に戻していく。
ボクは何を言ってるんだ。
「あ、ごめん」
ボクは正気を取り戻し焦ってそう言った。
「冷めちゃうね。食べよう!」
明るいトーンで言って、テーブルに置かれたフォークとナイフを手に取った。
「そうですね」
小さな声でそう言った友利花さんも手を動かした。
カチン、カチン、と皿が奏でる小さな音だけが耳に残った。

その後は、いつも通りだった。
二人で食事とお酒を楽しみながら(ただ友利花さんは二杯目からはソフトドリンクを頼んだ)、時間は穏やかに流れていった。
お互い笑顔で会話が続いた。濃く感じられた空気の密度も気づいたら元に戻っていた。
何かの詰まりがとれたかのように、ボクはいつものように何でも話した。
仕事のこと。趣味のこと。日々の生活のこと。たまに送られてくるボクの甥っ子(つまり姉の子どもだ)のこと。
友利花さんもいつも通りだった。
「うんうん」とか「そうなんですね」とか、すごく楽しそうにボクの話に耳を傾けてくれた。
甥っ子の話になった時だけ「私の甥っ子も負けてないですよ」とそそくさとスマホを取り出し、動画を再生しボクに手渡した。
少し負けず嫌いに見えた友利花さんの様子がボクはどこか可笑しくて、笑いながら友利花さんのスマホを受け取った。友利花さんが自分の私物をボクに手渡したのはこれが初めてだなと思いながら。
動画の中で友利花さんの甥っ子は「ゆーりーちゃん!」と何度も叫びながら踊っていた。その動画は何だか可笑しくて、でももちろん可愛くて。
「ホントだ、可愛いね」
ボクは友利花さんを見て言った。
「可愛いですよね」
嬉しそうに、そして少し誇らしそうに言う友利花さんの声を聞きながら、ボクは友利花さんのスマホに目線を戻す。

その時———

友利花さんのスマホがある通知を受け取った。
ボクは瞬時に「あ、通知」と言ってスマホを友利花さんに返した。
「あ、すみません」と言いながら友利花さんはスマホを受け取る。

受け取った時の友利花さんの表情が、全てを物語っていた。

ボクは、見ちゃいけないものを見た。見ない方がいいものを見た。
ほんの一瞬、たった一瞬だったにも関わらず、その通知画面はボクの脳のスクリーンに克明と写し出されていた。

『コウタさんからのメッセージ』

どこかハート型にも見えるアプリアイコンと共に、そう書かれていた。
それはまるでボクが過去何度も見つめ続けたのではないかと思うほど、古くて重たい記憶の場面のように、ボクの脳にその姿を焼き付けた。

友利花さんはまるで友人からのLINEを確認するかのように、淡々とした様子でしばらくスマホを見つめた後、画面を消してテーブルに置いた。
友利花さんがそうしている間、ボクは自分に誓った。ボクには何も見えていなかったことにしよう、と。
ボクは何も見ていない。どうしてそう誓ったのかはわからない。なぜかそうしないといけない気がした。

友利花さんが顔を上げる。
「大丈夫?」
ボクは先ほどと変わらぬトーンで聞いた。
「はい、大丈夫です」
友利花さんは笑顔でそう答えた。
何事もなかったかのように。

男性店員が席に近づき、「食後のお飲み物はいかがしますか?」とボクに向かって聞いた。
「友利花さん、飲み物何にする?」ボクは友利花さんに聞く。
「あ、じゃあホットコーヒーをお願いします」と友利花さんは店員に向かって言った。
「かしこまりました」と店員は答えボクに視線を向けたので、「ボクも同じもので」と答えた。
男性店員は笑顔のまま、席を離れた。

ボクはただ何となく、右の方、遠目の窓から覗く夜景の方へと、視線を向けた。
東京の夜。
澄んだ暗さに無数の光。
友利花さんも今、ボクと同じ景色を見ている。今ここ、この瞬間、ボクと同じ世界の中で。
何だか異様に寂しくなった。

「直樹さん」
「ん?」ボクは視線を友利花さんへと戻す。
「ちょっと、お手洗い行ってきてもいいですか?すみません」
「もちろん大丈夫だよ」とボクは笑顔で答えた。「お手洗いはお店の外みたい」
「わかりました。ありがとうございます」
そう言いながら友利花さんはゆっくりと膝の上のナフキンを綺麗に畳んでテーブルの上に起き、椅子を引いて立ち上がった。

ほんの一瞬、間があった気がする。
でもきっと、それはボクの気のせいだろう。
その一瞬の後、テーブルに置かれたスマホを持って、友利花さんは席を離れた。

友利花さんが、離れていく。

ボクは先ほどまで友利花さんのスマホが置かれていた場所を、ただ、見つめていた。
そこにある永遠に続きそうな白い空白を、ただ———。

>>次回話


【あらすじと初回話】


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