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6. Yurika|読む人の運命を加速させる恋愛小説

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朝。
連休初日の朝は、すごく開放的だ。
私はスマホの画面を付けて、アプリを開く。
「おはようございます」
そう送って私は、洗面所に向かう。スマホを持って。

歯ブラシに歯磨き粉を付けて口に入れると、通知が鳴る。
私はスマホを開く。
「おはよう。今日はお休み?」
「はい、今日はお休みです。仲の良い同期とカフェに行ってきます」
私はそう送って、歯を磨く。

鏡の中の私と目が合う。
何か、言いたげな顔。

またすぐに通知が鳴る。私は歯を磨きながらスマホを確認する。
「休みってことはじゃあ今日は友利花さんとたくさんやりとりできるんだ。嬉しい」

嬉しい———。

「嬉しいんですか?」
私は少し茶化すようにして返信する。
顔を上げると、鏡の中の私はさっきよりも口角が上がっている。

「友利花、最近なんか楽しそうだよね」とこの前沙織に言われた。
「そう?」と私は答えた。
自分の声が、いつもより明るいことにはもう気づいていた。

私はうがいをして、髪をとかしながらヘアーアイロンをコンセントに差す。
また、通知が鳴る。
「嬉しいよ。友利花さん、いつも忙しそうだから」
鏡の向こうの私が微笑み、私は恥ずかしくなる。
「でも仕事の休憩中はいつも返信してますし、仕事終わった後もすぐにメッセージしてるじゃないですか」
ヘアーアイロンが温まるまでの間、私は顔を洗う。

クローゼットに向かい服を選ぶと、また通知が鳴る。
「そうだけど友利花さんが仕事だとやっぱりあんまりやりとりできないから。だから友利花さんが休みだと、嬉しい」

なんでこの人は、こんなに素直なんだろう。

「でも同期とカフェ行ってる時はそんなに返信できないかもですよ」
そう私は送り、選んだ服に着替える。
洗面所に戻り部屋着を洗濯かごに入れて、鏡の前に立つ。

確かに私、表情少し変わったかも。鏡の自分を見て、思う。

「恋の力?」
沙織はどこか面白がるように聞いた。
「どうだろう?」と私は答えた。

どうだろう?恋?

また通知が鳴る。私は、マッチングアプリを開く。
「友利花さんからの返信、ずっと待ってるから、大丈夫」

なんで?
なんでこんなに、胸がギュッとするんだろう。

「恋の力?」
沙織の言葉を思い出し、なぜか少し、切なくなる。

「洸太さん、いっつも私の返信、待ってますよね」

なんで、なんでこんなに、楽しいんだろう。
私は化粧をしながら、胸にある感覚を確かめる。
楽しさと、切なさ。嬉しさと、罪悪感。
はぁ・・・
また通知が鳴る。沙織からのLINE。
「ごめん、寝坊した!15分ぐらい遅れそう」
沙織がバタバタと支度をしている姿が目に浮かんで、私は、安心する。
今日は沙織も休みだったから二人でカフェに行くことになった。
私はスタンプで沙織に返信する。「全然気にしないで」という意味を込めて。

直樹さんからもLINEが来ていた。
いつ、返信しよう。

またスマホが鳴り、私はアプリを開く。
「うん、友利花さんのこと、いっつも待ってるよ」

なんでこの人はこんなに、まっすぐなんだろう。
まっすぐすぎる。本当に。
まっすぐすぎて、たまになんて返していいのかわからなくなる。そのまっすぐな思いに、まっすぐ答えたら、いけない気がする。
「洸太さんは友利花ちゃんがお気に入りですか?(笑)」私はふざけて自分を「友利花ちゃん」と呼んで、返信する。どこか、誤魔化すようにして。そうしないと、ダメ。

鏡の中の私に、化粧が塗られていく。肌艶すらいい気がする。

「恋の力?」

洸太さんとはもうずっと、やりとりしている。あの日、マッチングアプリで返信してから、本当にずっと。
ずっとと言うのは、一日中ってこと。朝の「おはよう」から夜の「おやすみ」まで。仕事に行く時は私が「行ってきます」と言って、洸太さんが「行ってらっしゃい」と言う。休憩に入ると私は真っ先に「今、休憩です」と送り、すぐに「お疲れ様」と返信が来る。仕事が終わったらすぐに「仕事終わりました」と送り、「お疲れ様」とまた返信が来る。夜、たくさん話した後、最後「おやすみ」と言い合って眠る。私が夜勤で時間がずれても、洸太さんとはずっとつながっている。

私と洸太さんは、つながっている———。

なんだろう、これ。なんでこんなに、つながっているんだろう。やりとりの量じゃない。どこか、感覚的な、つながり。どうしようもなく、つながっている。

洸太さんはリモート勤務で働き方がかなり自由らしく、四六時中、返信をくれる。本当にいつ働いているの?って思うぐらい。でもそれが、嬉しい自分もいる(私とこんなにずっとやりとりしてて、大丈夫なのかなと少し不安にもなるけど。色んな意味で)。

「だけど連絡はちゃんとして。最近仕事終わりの連絡もくれないじゃん」
浮気される前、彼から言われた言葉。
「仕事で返せない時もあるかもしれないけど・・・」
直樹さんに張った予防線。
でも、洸太さんには———

私の意識がヘアーアイロンに向かう最中、なんとなく、洸太さんからの返信を予感する。
ほら、やっぱり。通知が来た。
なんで、わかるんだろう。
「お気に入り、かあ。なんかそれだと軽い感じがする。友利花さんはもっと、深い存在かな」

私は、洸太さんにとって、深い存在。

洸太さんの紡ぐ言葉は、まっすぐ私に迫ってくる。すごく深いところに、重なってくる。
自然と、応えたくなってしまう。

「他の女の人にも同じこと言ってるんですかー?」
私はまた茶化して送信する。

マッチングアプリで唯一、返信したいと思った男性。
いや、返信してしまっていた。気づいたら。
なんで、返信したんだろう?読書という共通の趣味があったから?

私はヘアーアイロンを手に取り、優しく髪に当てる。傷まないように。
また通知。
「ううん、友利花さんだけだよ。こんなにずっとつながっていたいって思うのは、友利花さんだけ」
「ふーん、怪しいですねー」と私は返信する。ふざけた顔の絵文字と一緒に。

私は立ち上がって、クローゼットに向かい、コートを着る。
鏡の中の私がまっすぐ私を見つめてくる。
確かに、何かが変わった。洸太さんに出会ってから、私の中で。

直樹さんからのLINEを開く。
「仕事、行ってきます!」というテキストと、なんだか元気そうなスタンプ。
私は「頑張ってください」と返す。

私は玄関に向かう。
しばらく、洸太さんには返信できない。
洸太さんは、寂しがるだろうか———胸がギュッとする。なんでこんなに。洸太さんの寂しさが、届いてくるみたい。なんで、こんなに。

私は玄関を出て、階段を降り、沙織を待つ。私と沙織、二人とも住んでいるアパートの前で。
洸太さんから返信が来てる。
「そりゃあ信じられないか。そうだよね、ごめん」
洸太さんは感情を隠さない。
いや、隠せないのだと思う。文面から、そうした全てが滲み出てしまう。
仕事が終わってメッセージを送ると洸太さんからはすごく嬉しそうな返信が来る。話が盛り上がってくると洸太さんはすごく楽しそうで(こういう時、洸太さんのメッセージはどんどん長文になっていく)、こうして私が距離を置くと洸太さんはひどく寂しがる。
そうした洸太さんの感情が、なぜか私の心にダイレクトに届いてきてしまう。洸太さんの心が動くと私もなぜか高揚し、洸太さんが悲しむと私は自分の胸に吸い込まれてしまうのではないかと思うぐらい、苦しくなる。
でも、仕方ない。
洸太さんが詰めてくる距離を、全て受け入れるわけにはいかないから。

「そんな謝らないでくださいよ(笑)これからカフェに行くのでしばらく返信できないかもです」
私はスマホをコートのポケットにしまい、そのままかじかんだ手を温める。マスクの下で、暖かな吐息が跳ね返り、少しずつ口元が湿っていく。

私と沙織の部屋は同じ2階。そこからドアの音がする。
カツカツとヒールの音をたてながら足早に歩く沙織の横顔が見えた。
沙織はアパートの正面出口を出て、「ごめーん!」と言いながら道を渡ってくる。
「ぜんぜん大丈夫だよ」いつもの沙織に安心しながら私はそう答えた。
沙織と出かけるのは、久しぶり。
「じゃあ、行こっか」
「うん」
私は沙織について行くようにして駅に向かう。

本題は、カフェに着いてから。

そんな約束はしてないけど、そうだとわかる。
私は今日、沙織に色んなことを話すのだろう。沙織に誘われたその日から、そうなることはわかっていた。
沙織には何でも話せる。楽しいことも、悲しいことも、愚痴も、女子特有の深い深い恋愛話も。
でも・・・
でも今日は、沙織と出会ってから初めて、話せない話がある。
私は自分の心に一本の線を引く。沙織に話していいこと。沙織に話さない方がいいこと。私はバラバラになっているパズルのピースを、分けていく。
直樹さんと、洸太さん。

駅に着き、改札に向かう。
「こっち」
方向音痴の私を沙織は導く。迷うことなくつかつかと駅のホームへと向かっていく。私は沙織といると、沙織の後ろ姿を見ることが多い。

「見て見て。これ、可愛くない?」
電車に乗り、沙織がそう言いながらフォンダンショコラの画像を見せてくる。これから行くカフェのインスタに掲載されている画像。
「ホントだ。美味しそう」
「美味しそうだよね」
「可愛くない?」と聞かれ「美味しそう」と答えるそんな自分に少しばかり違和感を感じながらも、沙織なら、大丈夫。どんな違和感もスッと自分の居場所を見つけて、落ち着いてしまう。この感じが、私は好きだ。今こうして目の前にいるのが沙織でよかったなとじんわり思う。

到着後、電車を降り、駅を出てカフェに向かう。
途中、道が思ったより狭く、私たちは横並びだった整列を自然と縦へと変える。
沙織が前を歩く。黒のロングコート。
その小さい背中から頼り甲斐のようなものを感じる。真っ直ぐに伸びた背筋。迷いなく運ばれる足取り。沙織は私の方を振り返ることはない。私がすぐ後ろについて歩いていることを、振り返らずとも沙織はわかっている。

「あ、ここ」と沙織が止まった。
到着したカフェの外観はピンクを基調とした控えめな色で、街に溶け込みながらも程よく自らの個性を表現している。大きな窓から見える店内は、柔らかなオレンジ蛍光色に、所々で顔を覗かせる外国風の食器や装飾が成熟した彩りを加えていた。
「わぁ素敵」と私は言った。口に出したのか、心の中で言ったのか、わからなかった。
沙織はただ楽しそうに店内を見つめていた。

店内はまだ昼前にも関わらず既に混み合っていた。私たちは15分ほど並び、若い女性店員に席へと案内された。窓際のテーブル席。
「ご飯食べる?」
メニューを見ながら沙織が聞いた。
今はなぜか、食べたいと思わない。朝食も食べてないのに。
「甘いものだけにしとこうかな」
「じゃあ、私もそうしよー」と沙織は嬉しそうに言った。まるで幸運を喜ぶ少女のように。
私たちは同じフォンダンショコラと、沙織はホットカフェモカ、私はホットコーヒーを頼んだ。

「さて・・・」
沙織がそう言ったような気がした。
場の流れのようなものがほんの少し変わり、私に始まりを予感させる。
「直樹さんとは、どうなの?」
やっぱり。
私はグルッと心の中を回り、答えの在処を探そうとする。気をつけながら。
「うーん、毎日LINEもしてるし、できる時は電話もしてるよ」
答えながら私は、返信しないで洸太さん寂しがってないかなって、考える。考えてしまう。
沙織はどこか腑に落ちない様子で、「どうなの?」と聞いた。
どうなの?
私はもう一周、グルッと心の中を回る。沙織に話してもいいものだけ、うまく掬うように。
「直樹さんはホント優しいよね」
私の声は妙に乾いて響いた。沙織も、気づいてるかな。
「電話ではどんな話するの?」
「うーん・・・」
答えを見つけようとしていると、フォンダンショコラを持った店員が目に入り、私は話すのをやめた。
「こちらフォンダンショコラになります」
先ほどの女性店員がそう言い、お皿を丁寧に机の上に置く。まず沙織の前へ、そして次に私の前。
「お飲み物もすぐにお待ちしますね」
そう言って店員は席を離れた。

空気を変えた沙織はスマホを取り出し、フォンダンショコラの写真を撮り始める。
私も同じように写真を撮る。
写真を撮りながら、私はもう何周か自分の心の中をグルッと回る。

ホットコーヒーとホットカフェモカを持った女性店員が戻ってくる。
澱みのない声、丁寧な動き、自然な笑顔。
この店員さん、なんかいいな、と訳もなく私は思った。たぶん、ストレスなく一緒に働けるタイプ。

フォンダンショコラを口にした沙織が「美味しっ!」と言う。
「ホントだね」
そう答えた私は、でも沙織ほど、その味わいを堪能できていない気がした。

沙織が先ほどの空気に戻っていく。
「で、どうなの?直樹さん」
「直樹さんには、返せる時に返してる感じかなあ」
直樹さん、には———
まるで他にもう一人いるような言い方。でも沙織は、特に気にしている様子もない。
私は続ける。
「電話も基本向こうが話している感じかなぁ。仕事の話とか、趣味の話とか、あとはたまに過去の恋愛の話とか」
沙織は「過去の恋愛」という単語に少し反応しているようだった。
「直樹さん、2年近く彼女いないんだって」沙織の反応に応えるよう、私は話を少しだけ深める。
「へー、そうなんだ。友利花はどんな話するの?」
私はまた、答えを探す。どの話が、いいのだろう。
「直樹さんが前の彼女とどれくらいしてたのか、聞いちゃった」私は声を軽くして言った。
「そうなの?」沙織は私にトーンを合わせる。
「うん、なんかそんなに性欲は強くなさそうだった」

このまえ電話で、私はそんなことを直樹さんに聞いた。何気なく。
直樹さんは前付き合っていた彼女と、どのくらいの頻度でしていたのか。
直樹さんの答えは「うーん、まあ会えばするけど。でもしなくても平気っちゃ平気だったかなぁ」という答えだった。
「友利花さんは?」という直樹さんの質問に「うーん、直樹さんと同じ感じです」と私は小さな嘘をついた。

「友利花さんはひとりでしたりはしないの?」

洸太さんの言葉を、思い出してしまった。
この前洸太さんにこんなことを聞かれた。どうしてあんな話になったんだっけ。
私と洸太さんは、本当に何でも話す。「聞かれたら何でも答えますよ」と私は洸太さんに伝えた。なぜか、洸太さんなら何でも話していいかなって思えてしまう。
洸太さんは本当になんでも聞いてくる。私の恋愛については、特に。
何かのタイミングで、「私は体の相性も大切だと思ってます」と洸太さんに話した。
なんであんなこと言ったんだろう?
別になんの意図もなかった。なんとなくそう言った。事実だったから。
「友利花さん、そういうタイプなんだ」
「意外ですか?」
「うん、ちょっと意外かも。でも、いい意外だね。確かに体の相性も大切だよね」
いい意外———。
私は何かを聞こうとして、やめた。
「洸太さんもそう思いますか?」
「うん、そう思うよ。でも彼氏いない時にどうしてもしたくなっちゃったらどうするの?」
「どうするって?」
「いや、そういう相手がいたりするのかなって」
「いないですよ!私、そういうの、どうしてもできないんですよね」
「そっか。それはなんか、友利花さんぽい」
「そうですか?」
「うん、すごく、友利花さんっぽい」
洸太さんはどこか、安心しているようにも思えた。
この人は私とそうなりたいとか、そういうことは考えてないのかな。
そんな取るに足らないことを思いながら返信を打とうとしていたら、洸太さんは続け様にこう送ってきた。
「友利花さんはひとりでしたりはしないの?」

———ひとりでしたりはしないの?

思い出すだけで、なんだか熱くなってくる。
どういう気持ちで洸太さんはそんなこと聞いてきたんだろう。
ひとりでする女性がいるのも知っている。私の友人でもいる。でも私は、しない。考えたこともない。
「ひとりではしないですね。したこともないです」
私は本当のことを答えた。
洸太さんからはすぐ返信が来た。
「そっかぁ。ひとりでする女性、素敵だと思うけどなぁ」

沙織が何かを話している。私も何かを答えている。
私の意識が、記憶の中の洸太さんからカフェの中へと徐々に戻ってくる。

「次、直樹さんといつ会うの?」
「来週ご飯行くことになってるよ」
「そっか」
沙織はそう言った。その言い方から、これ以上直樹さんについては聞かれない気がした。
「そういえば友利花、最近のシフトやばくない?」
「うーん、確かにやばいかも」
私はここ最近の自分のシフトを思い出しながら答えた。
つい先日、2人連続で先輩がコロナに感染した。師長は私に「シフト増やすの、きついよね?」と聞いてきた。
正直、きつかった。
でも私は「大丈夫ですよ」と答えた。きついのは、師長も同じ。
「この前10連勤とかなかった?」
「うん、あった」私は答える。
「でも大丈夫」と付け足して。

「友利花さんは何と戦ってるの?」
ある時洸太さんは私に聞いた。
「戦ってる?」
「うん。友利花さんは何かと戦ってる」
「なんだろ?」私にはよく意味がわからなかった。
「うーん、『理想の自分』と戦ってるのかなぁ」
洸太さんはよく、私の中の何かを深く深く探るようにして会話を続ける(私はこれが嫌いじゃない)。
「どうだろう。私あんまり理想とかないですよ(笑)」
嘘じゃない。理想の自分とか、あんまりよくわからない。

「弱音を吐ける人は、ちゃんといる?」

私の視界が少しだけ、揺れた。
「同期とは仲いいし、大丈夫だと思いますよ」
「友利花さんはよく、『大丈夫』って言うよね」
「そうですか?」
「うん。まるで自分に言い聞かせているみたい」
洸太さんの言葉は、深く、浸透してくる。何か私の深いところに、触れてくる。
「僕で良かったら、何でも聞くからね」
「はい、ありがとうございます」
深いところに触れて、そして、あったかい。不思議な、感覚。

沙織がお手洗いに立った。
それを見届けて私はスマホを開く。
LINEよりも先にマッチングアプリ。
こうした自分にはもちろん気づいてる。でも深く考えないようにしている。今は、考えない方がいい。

洸太さんからメッセージが来ていた。
「カフェ、楽しんできてね。返信待ってる」
洸太さんが、待ってくれている。それだけで、なんでこんなに安心するんだろう。
「ここのフォンダンショコラ、すごく美味しいです」
私はさっき撮った画像と一緒に送信する。洸太さんは私の様子を画像で送るとすごく喜ぶ。

私はなんとなく洸太さんのプロフィール画面を開く。
3回ほどスクロールして、少しだけ、戻る。
指が、その場所を、完全に覚えている。
もう何度も見たから。

『既婚者です』

変えられない事実がこうしてまた私に、突きつけられる。
洸太さんは、既婚者だった。

ただ、私がこれを見た時に抱いたのは嫌悪感よりもむしろ好奇心だったと思う(なんで好奇心なんて抱いたんだろう)。
堂々とマッチングアプリのプロフィール欄に『既婚者です』と書く既婚者。よく意味がわからなかった。この人はどういう目的でマッチングアプリをしているんだろう。遊び目的ならわざわざそんなこと書かないはず。隠して遊べばいい。でも洸太さんは、わざわざ『既婚者です』と宣言してアプリをしている。そんな人、普通いない。この人は、どんな人?
私はなぜか、気になってしまった。
洸太さんとのやりとりが始まってから、私はそんな自分の好奇心を少しだけ恨んだ。

洸太さんから返信が来る。
「フォンダンショコラ美味しそうだね。僕も友利花さんと一緒に行きたい」
洸太さんは少し前から私に会いたがってる。何度か誘われたし、こうして会いたい様子も見せてくる。
でも私は・・・
「行けたらいいですねー」
私はまた茶化した絵文字をつけて送る。

洸太さんに、会う。洸太さんに・・・会う。

視界の隅から席に戻った沙織が見えて、私はスマホの画面を消す。
あれ、今、私、どんな顔してただろう。
気持ちと表情を整えて顔を上げる。
「直樹さん?」
「ううん」私は答えた。曖昧に。
「ふーん」少し怪訝そうな顔の沙織。「マッチングアプリはまだやってるの?」
「そうだね、少しだけ」
「誰かいい人いた?」
「うーん、どうだろう。そんないないかな。なんか70代のおじいちゃんに絡まれたり」私は冗談混じりに話す。
「そのおじいちゃん、元気すぎでしょ」沙織は笑って言った。

「あり得ない!!ホントあり得ない!!あの人なら友利花を幸せにしてくれると思ったのに!!!」
私の代わりに泣いた沙織。
「私以上に私のことを真剣に考えてくれる大切な友達です」
そう直樹さんに紹介した沙織。

沙織には、話せない。
なんか、怖い。洸太さんについて、沙織に話すのが。

「ちょっと私もお手洗い行ってくる」
私はそう言い席を立ち、お手洗いに向かう。
店内の音が消えていく。
こうしてまた、私は洸太さんへと引っ張られる。

「どうして洸太さんは既婚者なのにマッチングアプリなんかしているんですか?どうして私とこうしてやりとりしているんですか?」
この前、洸太さんにそう聞いた。何かをはっきりさせたいとかではなく、でもとにかく聞いてみた。
洸太さんには珍しく、返信が来なかった。
それからしばらくして、「ごめん、よくわからない。いつもそのことを考えるんだけど、どうして自分は既婚者なのにアプリなんて始めたんだろう、どうしてこうして友利花さんと毎日ずっとやりとりしてるんだろうって考えるんだけど、自分でもよくわからなくて。ごめん」と返信が来た。
洸太さんは自分を責めているようだった。
そして私も自分を責めた。洸太さんを傷つけたかもしれない。そんな気がして。
「変なこと聞いてごめんなさい」
「ううん、僕の方こそ、なんかごめん。本当にわからなくて」
「大丈夫です」
「でも、友利花さんとは、ずっとつながっていたい」
———ずっと、つながっていたい。それは、どういう意味?「それはどういう意味ですか?」
「わからないけど、すごく安心する。友利花さんとこうしてやりとりしてるのが、心地いい。どうしようもなく」
私も、同じ。「そうなんですね」
「友利花さんの迷惑になってないならいいんだけど」
迷惑なんかじゃない。むしろ———「迷惑じゃないですよ」
「よかった。今ひとつだけ、わかったかも」
「何がですか?」
「友利花さんとこうしてやりとりしてる理由」
「なんですか?」
「僕には友利花さんが、必要なんだと思う」

鏡の前で、メイクを直す。
胸が、苦しい。
スマホが鳴って、洸太さんからのメッセージを知らせる。
「やっぱり会ってくれないのか。友利花さんは誰かと、デート行ったりしてるの?」
洸太さんは?洸太さんは私以外の女の人ともこうしてメッセージしたり、デートしたりしてるんじゃないの?

私はお手洗いを出て、席に戻る。沙織の後ろ姿を見据えながら。
席に着く時、ふと沙織のスマホ画面が目に入る。
インスタ。ウェディングドレス。
私が座ると沙織はスマホの画面を消してテーブルに置いた。
沙織はフォンダンショコラを食べ終えていた。私はまだ半分近く残している。これは全部、食べられそうにない。
「最近彼氏とどうなの?」私は聞いた。
「順調だよ」
「結構会ってる?」
「というかほぼウチにいるね」
「そうなんだ」
「仕事終わって彼が家にいると、なんか落ち着くよね、やっぱり」
仕事終わりに彼がウチにいた時、私はどれくらい落ち着けてたかな。そんなことを考えながら、私は目の前のホットコーヒーを口に運ぶ。
「来月、また地元に帰らないと」沙織は言った。
「そうなの?」
「うん、友達の結婚式。この前も結婚式で帰ったばかりなんだけどね」
また私は、ホットコーヒーを口元に運ぶ。これから聞こうとしている質問が沙織を不快にさせないかを少し考えるために。
「沙織は、今の彼氏と結婚するの?」
沙織はほんの少しだけ間を空けて、答えた。「してもいいかなあとは思うよ。子供は欲しいし」
「そうだよね」
私はまたカップを口に運ぶ。

結婚。
このワードが出ると、ほんの少し空気が重たくなるのはなんでだろう。
私の気のせい?

「でもさ、よくわかんないよね」沙織は言う。
「何が?」
「結婚」
「そうなの?」
「うん」
「それは今の彼氏がちょっと違うかなって思うの?」
「いやそうじゃないよ。一緒にいたら落ち着くし、好きだし。けど、ああ自分も結婚するのかぁ、結婚するんだろうなぁって感じ」
「何それ?」
私は条件反射で少し笑いながら聞いた。けど、どこかわかる。沙織の言っていること。
「友達もどんどん結婚していくし、結婚いいなぁとも確かに思うし、今こうして友利花がしてきたみたいに『彼氏と将来どうなの?結婚するんでしょ?』ってみんな聞いてくるし、まぁ結婚するんだろうなぁって」
「ごめん」
何に謝っているのかわからない。けどそうすべきだと思って私は謝った。
「なんで謝るのよ」沙織は私の謝罪を優しくいなして、続ける。「結婚するんだろうなぁ、いつかするんだろうなぁ、って感じ、とにかく。それがなんか、わかんないなぁって」
「そうなんだ」
私はまた、ホットコーヒーを口に運ぶ。

浮気した彼は、私の親に会いたがった。
「今度友利花の地元に一緒に行く時、お父さんとお母さんに挨拶したい」
彼の言葉の意味をしばらく考えてから、聞いた。
「それは、どういう挨拶?」
「いやほら、将来のことだってあるから」

将来のこと。
彼がそんな風に考えているとは思わなかった。
私は「そうだね、今度行こうか」とだけ答えた。
このままいけば、私はこの人とたぶん、結婚する。それはよくわかっていた。
けど同時に、よくわかんないとも思った。何がわかんないのかはわかんない。けどわかんないということだけはわかる。
彼には「わかんない」なんて言えなかった。「何がわかんないの?」と聞かれても困るし、別に結婚したくないわけでもなかった。
でも、私の中の何かが、置いてけぼりだった。

「あ、ごめん、ちょっと電話出ていい?」沙織が聞く。
「うん、いいよ」
私の返事を聞き終わるのと同時に「ありがとう」と言いながら沙織はスマホを耳にあてる。
電話は沙織の彼氏からだ。声のトーンと話し方でわかる。
「いいよ。何時に来る?」
きっと彼氏が泊まりに来るのだろう。
羨ましい。
彼氏がいることが、じゃない。
明日の仕事のこと、部屋のこと、そうしたことを何も考えずに当たり前に彼氏を泊まらせられる沙織の余裕が、羨ましい。

「ごめんね」
電話を終えた沙織が言う。少しだけ、表情が柔らかくなった気がする。
「ううん、大丈夫」
私はそう言い、最後の一口を飲み干すためにコーヒーカップを口に運ぶ。
この後の予定は特に決めていない。けど沙織がそうしたいのかなと思って、私は「そろそろ行こっか」と言った。
「うん」
沙織は伝票を手に取って席を立つ。

端数は沙織が払う形で私たちは会計を済ませ店を出た。
外は明るい。今日は雨予報だったのに。
「本屋寄って帰ろうかな」
私は言った。なんとなく、まだ家には帰りたくなかった。
「どこの本屋?」
「新宿かな」
「そう。私は家帰る。彼氏来るから。こっちの方が歩きやすそう」
沙織はそう言って、行きとは違う道へと進んだ。

沙織の横で歩く私の視界は上下に揺れる。
「男って誰でも浮気するのかなぁ」
私は呟いた。独り言のように。
「人によるでしょ」
沙織は短くキッパリと言った。彼氏との電話を終えた直後の沙織とは全く違う声音。
「そうだよね」
「直樹さんはそういう人じゃないよ」
「私を見る目が優しかったんだもんね」私は笑いながら言った。
「そうそう、ちゃんとチェックしたから」沙織も笑いながら答えた。
「そうだよね」
今私が頭の中で思い浮かべている人が、直樹さんではないと言ったら、沙織はなんて言うだろう。しかもそれが既婚者だなんて言ったら。
「そうだよね」
私は意味もなく、同じ言葉をもう一度呟いた。

「じゃあね」
沙織は軽く手を上げ、電車の中へと入っていった。そして他の乗客の流れに合わせるように、沙織は見えなくなった。
買いたい本があるわけじゃない。この前買った湊かなえの本がまだ全然進んでない。寝る前に読もうとするのだけど疲れ過ぎててすぐに寝てしまう。それに最近は洸太さんとずっとメッセージしているから。

「江國香織の『東京タワー』って小説、知ってる?高校時代すごいハマってた」
洸太さんとのやりとりを、思い出す。
「知らないです。どんな本ですか?」
「不倫小説なんだけど世界観がすごく好きなんだよね。しっとりと雨が、降っている感じ」

しっとりと雨が、降っている感じ。

洸太さんの言葉こそ、しっとりと雨が、降っている感じだ。
私はそれで、濡れていく。
このままだと私、どうなっちゃうんだろう。

「まぁ、いっか」
私はボソッと呟いた。誰にも聞こえないぐらい小さな声で。
電車が来た。
走る電車の窓にうっすら映る私は、明滅しながら何かを待っているようだった。

>>次回話


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