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19. Naoki|読む人の運命を加速させる恋愛小説

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部長がボクのことをチラッと見る。
「部長、すみません。今日は定時で帰ってもよろしいでしょうか?」
ボクは今日、出勤してすぐにそう聞いた。
今月は四半期末、そして今週は月末最終週。この3ヶ月で一番忙しい1週間。
そんな中、ボクは部長にそう願い出た。
部長は少しばかり驚いた顔をした。ボクがこんなことをお願いするのは初めてだからだ。けど部長は何かを悟ったような顔をして、「おお、いいよ」と言ってくれた。

今夜、ボクは友利花さんに、告白する。

今日は一日中ソワソワしているかもしれない。
部下たちもきっと気づいている。
でももう、仕方ない。隠しようがないし、隠す気すらもうない。

朝、部長に願い出たボクはそのままコピー機に向かい、傍にある裏紙を手に取った。それから自分のデスクに戻り、裏紙を置く。
ボクはまるで、これから崇高な絵画を描く芸術家か何かのような面持ちで、腕を組んだ(そんな自分がどこか可笑しかった)。
裏紙にやるべきタスクを洗い出していく。どの時間帯に行うのが最も効率的か。どういう順番で取り組めば滞りがないか。ボク一人のタスクだけじゃなく、チーム全体のタスクについても。

業務開始早々、ボクはチームのみんなを呼んで打ち合わせをした。
「みんなが効率良く動けるようタスクを整理してみた。みんな、どう思う?」
みんなの意見を聞き若干の修正を加えた後、ボクはこう言った。
「それと申し訳ないけど、ボクは今日残業できない。こんな忙しい日に本当に申し訳ないんだけど。だからみんなでいつも以上に協力し合って、効率的に仕事を進めてもらえるとすごい助かる」
いつもとは違う雰囲気に部下たちも少し驚いている様子だった。
でもこうした変化はみんなにとっても好ましかったに違いない。なぜならボクも含めたチーム全体の仕事の仕方そのものが見直されたからだ。こんなこと、初めてだった。
「あれ、どうなりました?」「もう終わってます!」「ありがとうございます」「これ、やっておきますね!」
そんな声がチーム全体を行き交っていた。
タスクが滞りなくスムーズに消化されていく。誰一人、欠かすことはできない。それを全員が自覚しているようだった。こうした一体感はボクだけじゃなく、チーム全員の気分をも静かに高揚させていた。
部下たちも、どこかで今夜のことを知っていて、ボクのことを密かに応援してくれている。そんな気すらした。

なぜ、あんな大胆な提案ができたんだろう。

今朝起きたら、友利花さんからLINEが来ていた。
「おはようございます。今日の夜、どこで会いますか?」
ボクにはなぜか、迷いがなかった。

「よかったら、ウチに来ない?」

既読がついてから、しばらく返信がなかった。
友利花さんはきっと何かを、考えている。
ボクはそのまま返信を待った。
友利花さんから、返信がくる、きっと。
そんな気がしたから。

「いいんですか?」

嬉しかった。すごく、嬉しかった。ボクは一人、ガッツポーズをした。
「もちろん!ご飯はボクが作るからウチで一緒に食べよう。もし友利花さんがそれでもいいなら」
すぐに既読が付いて返信が来た。
「ありがとうございます。私も何か手伝いますね」

今夜はきっと、うまくいく。

ボクは今朝、急いで家中を掃除した。
ほぼ毎日掃除機はかけているし、お手洗いや水回りも常に清潔にしてある。特に目立った汚れはなかったけど、それでもボクは掃除をした。
ベッドにファブリーズもかけた。
ふわふわと膨らんだ布団に手をあて、あの夜の———手を繋ぎ、つい強く抱きしめてしまったあの夜の———友利花さんの体温を思い出していた。
そういうことになっても、おかしくない。
もちろんこんなこと、初めてだ。今夜告白するにしてもまだ付き合っていない女性を自宅に招き、そうなるかもしれないと思ってボクはベッドを整えている。
こんなボクが、いたなんて。
ベッド下に収納されたカラーボックスの引き出しをそっと引き出す。
夏物の服がしまわれたその手前にコンドームの箱が置かれている。中身を開けると4個ほどまだ入っていた。前の彼女と付き合っていた時(だから恐らく2年近く前に)買ったものだ。ボクはそのコンドームの箱を閉め、カラーボックスの奥の方、目の届かないところにしまった。
今日の帰り、新しいのを買おう。
どうしてもそうしたいわけじゃない。友利花さんがそれを望まないなら、無理強いなんてしない。絶対に。
でももしそうなったら嬉しくないわけない。
それは相手が、友利花さんだから。

あと、30分。
退勤時間になったら真っ先にオフィスを出て、ボクは自宅に向かう。スーパーとドラックストアに寄って。

「一つだけ、直樹さんに、聞きたいことがあるんです」
あの日、友利花さんは電話の向こうでこう言った。
「うん」
「付き合った彼女に、男性の友人がいたら、どう思いますか?」
「え?」
「その」
質問の意味がいまいちわからなかった。「それは、どういう友人?」
「うーん」友利花さんは何かを考え込んでいる。
「例えば二人で飲み行ったり?」
「そう、ですね。例えばそういう友人」
「うーん」友利花さんにそういう友人がいるのだろうか。「二人きりかあ。それはやっぱり不安だなあ」
でも、友利花さんはそういう人じゃない。一晩だけの関係とか、そういうことはしない。それは、わかる。信頼できる。だったら年上男性として、それぐらい許してあげてもいいのかもしれない。
「でも、その人がどうしても友利花さんにとって大切な友人なら、仕方ないって思うかもしれない。ただ理想を言えば、その人をボクにも紹介して欲しいって思うかな。そしたらボクも安心できるから」
「紹介・・・」友利花さんは何かを想像しているようにそう言い、「そうですよね」と付け足した。

ボクはオフィスの時計を見上げる。あと、20分。
「先輩、時計見過ぎですよ」
隣の後輩が少し笑いながらボクに声をかける。
「ああ、ごめんごめん」
ボクは視線をパソコンに戻す。
もう、やることはない。今から新しいタスクを始めたところで中途半端に終わってしまう。もう後は帰るだけだ。
「何か、あるんすね」後輩はニヤニヤして言った。
「うるさい」ボクは少しばかりおどけてそう答えた。

あの時。電話が切れる間際。
なぜあの時、ボクは踏み込んだんだろう。いや、踏み込めたんだろう。いつものボクなら間違いなくあんなこと聞かない。
友利花さんが———いや、友利花さんを通して何かが———ボクを変えようとしているのかもしれない。
「あ、友利花さん!ボクからも一つだけ、聞いていい?」
「はい」
友利花さんは少し、強張っている気がした。何かから身を守るように。
「友利花さんは、アプリとか、やってるの?」
「アプリ、ですか?」
「あ、うん。その、ただのアプリじゃなく、なんていうか」
「ああ」
友利花さんは何かに勘づいたようだった。
新宿御苑へと歩いたあの夜、友利花さんのスマホに表示された通知画面と『コウタさん』の文字。
あの時ボクは、何も聞かなかった。聞く必要もないと思っていた。友利花さんが言いたくないのなら。
友利花さんはボクと付き合っている訳でもない。だったらマッチングアプリぐらいやっていても別に不思議じゃない。
でもこのまま、聞かずに閉じ込めておくことはできなかった。それじゃあボクは、何も変わらない。
「マッチングアプリのことですか?」
「あ、うん」
「やってたけど、やめました」
「そうなんだ」
「なんか変な人ばかりで、私には合わないなあって」
「コウタさん」
「え!?」
やっぱり、何かある。
「コウタさん、っていうのは、誰なの?」
友利花さんは、何も言わない。
「ごめん、こんなこと、聞いて」聞くんじゃなかった。でもボクは、もう逃げたくない。
「洸太さんは・・・」
そう言って、友利花さんは、黙り込む。
「好き、なの?」
「いえ!違います」
「そうなんだ」
「今も、連絡、とってるの?」
「はい・・・」
そっか。
ボクは胸に刺さった棘を、丁寧に、抜く。
そして一呼吸置いて、言った。
「その人のことは、忘れてほしい。他の誰のことも、そのコウタさんという人のことも、友利花さんが気にならないくらい、ボク、頑張るから。友利花さんがもっともっと好きになってくれるよう、頑張るから」
強気のボクと、弱気なボクが、争う。
「もしボクが、友利花さんと付き合えたら、だけど」
しばらくの沈黙の後、「はい」と、友利花さんは感情を伴わない声でただ、そう言った。

「もう、帰ったらいいじゃないですか」
隣の後輩がまた声をかけてくる。
「いやでも、まだ」
「部長も他のメンバーも外出か打ち合わせでいないんですから」
「でも」
定時で帰ることにすら、後ろめたさがあるのに。
「先輩が少し早く帰ったところで俺もチクったりしないっすよ。明日出勤した時、適当に定時退社で打刻すればいいじゃないですか」
「いやでも———」
「先輩」
後輩が真っ直ぐ、ボクを見つめる。

———。
何かを、その後輩から何かを、受け取った気がした。

自分の表情が変わるのがわかる。
立ち上がりながらノートPCを閉じた。
「頑張ってくださいね」
後輩は自分のパソコンに視線を戻し、独り言のようにそう言った。驚いたな。
「ありがとう」

今夜はきっと、うまくいく。

デスクに置かれたパソコンを少しだけ見つめ、そのまま席を離れる。パソコンを持って帰らないのは、初めてだ。
出口に向かう。
こんなに多くの人が残るオフィスに向かって挨拶するのも初めてだ。
「お先に失礼します!」
思ったよりも大きな声が出た。
「お疲れさまです」という声がチラホラと聞こえる。後輩はこちらを見て軽く会釈していた。

エレベーターのボタンを押す。

ぼくは今夜、告白する。
友利花さんに、全てをぶつける。
ありのままの、ぼくを。

威勢良く息を吐き出し、ふと右を向く。
窓の向こうには夜景が見える。

———東京。

あれ?
この光景、この状況、どこかで———
その時ボクの胸の辺りを、微かな煙のようなものが横切ったような気がした。

>>次回話


【あらすじと初回話】


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