サッカーをしてると、賢くなる説
あまり根拠のない決めつけもしたくはないのだけれど、サッカーをしている人は頭の回転が早いのではないかと思う。
昨日のこと、メガネ屋の仕事終わりに記事を書くため、自宅から少し離れたところにある運動公園に行った。
家だと記事が書けないわけでもなく、家族に発信がバレると“やましい”とかでもないのだけれど、記事を書くには外の空気を吸いながらの方が捗る。
ここは遊具や野球場やサッカーコートだけでなく、陸上競技場やテニスコートもある。この町でスポーツをするなら誰もが1度は訪れるのかもしれない。
夜の8時も近づいてきた頃だというのに、公園内にはジョギングをしている人や、犬の散歩をしながらこれまたジョギングをしている人がいる。
公園内だと走らなければならないルールでもあるのだろうか。走りたくて走っているのか、もしくは何かに走らされているのか。
僕はそんな体育会系な場所に、記事を書くという文系な行為をしに来ている。
腰を下ろしたベンチから正面を見ると、サッカーコートがあった。中では小学生や中学生だろうか、子どもたちが入れ混じってサッカーをしている。
夜の8時ということ、そしておそらくは小中学生であろう子どもたちが入れ混じっていることから、学校の部活動ではなく地域のサッカークラブ的なことかと推察する。
子どもとはいえ、サッカーのゲーム中の選手たちは互いに怒号を散らしていた。
「追え!負けんな!」
「内側使えって!」
「おーーーい!!」
「なんでそこなん!?違うよ!」
「前に回せって!」
まだ背も低い子どもたちの口からその言葉が出ているということに、僕は驚く。
プロの試合というものを僕は直に見たことがないのだけれど、プロの試合でもこうやって怒号が飛び交っているのだろうか。
お互いに応援し合うというよりは責め合うような、そんな空気に僕はどこか暗い気持ちになってしまった。
けれど眺めていると、そうやって怒号を散らしている選手は常に全体を見ていることに気付いた。
サッカーコート全体の動きと、ボールの位置と、ボールを持っている選手、それらを絶えず確認しながら、試合運びとボール運びに指示を出す。
怒号を散らすということは、理想の動きと実際の動きとの差にイラだっているのかもしれない。
言われた側も決して落ち込んだりはしていない。言われたことには多少の反発は見せながらも、結局はボールをゴールに入れるために走り続けている。
そういえば学生時代、サッカー部に入っていた人は気が強く、そして頭の回転が早い人が多かった記憶がある。
決して悪い意味ではないのだけれど、思ったことは口に出すし、態度にも表している人が多かった。
その人たちとも卒業してから大人になりしばらくはSNSで繋がっていたけれど、早いうちに出世していたり、独立して自分のお店を出したりもしていた。
決して根拠はないのだけれど、サッカーをしていると全体を見たり目的のための行動とか計算とか、要するに頭の回転が早くなるのかもしれない。
その可能性を考えると、子どものうちからサッカーをするのも悪くはない気がしてきた。
ただやっぱり、怒号は人によっては僕のようにストレスになりそうだけれど。
いいなと思ったら応援しよう!
路上にチップもらう用のシルクハットを置いてパントマイムするの、実はやってみたかったんです