あの頃、実は独りじゃなかった
一番しんどかった頃の話を書こうと思っても書けないのは、しんどいからというよりは記憶がないからなんだと、最近気がついた。
あの頃のことは、正直書きたくても思い出せない。
本当にやばかった時の断片的な背景、景色が朧げに出てくるだけ。
そして、それでも生き抜いた事実だけ。
一番しんどかったのは大学生の時だった。
パニック障害を発症し、大学に電車で通えなくなった。それでも時間をずらしたり何度も途中下車しながら通った。
途中から適応障害になり、自ら命を投げ出そうという衝動が抑えられなくなった。何度も何度も、周りが必死に止めてくれた。
大学のベンチで何度も過呼吸になった。
途中で3ヶ月、精神科に入院した。
それでも4年で卒業した。
私が書けるのはここまで。
その事実だけ。
その時の周りの反応なんて全然覚えてない。
もしかしたらドン引きされていたかもしれない。
でもそうではなかったかもしれないことが最近わかった。
あの頃の同期や後輩とはいまだに交流を持っている。
たまに遊びに出かけたり、ご飯に行ったりゲームしたり。
先日、ふと同期や後輩に言われた。
「あなたほっといたら死んじゃいそうだから、年に一回は会って安心したい」
「何がなんでもこれからも遊びに連れ出すからね」
「最近はどう?大丈夫?」
「前より元気になったね」
はっとした。
それは決して、一時の感情じゃない。
あの頃からずっとその思いを抱えながら見守ってくれていたんだろう。
あの時、『ほっといたら死にそう』と本気で思われていたんだろう。
あの時、『1人にしちゃいけない』と思っていたんだろう。
あの時、『大丈夫かな』と心配していたんだろう。
私は数年越しに、あの頃の周りの人たちの言葉を、想いを、初めて受け取ることができたような気がする。
過呼吸で苦しんでいた頃。
闇しか見えていなかった頃。
誰になんと言われようと生きることを諦めたくてもがいていた頃。
見えていなかった。
見る余裕もなかった。
その周りで、静かに心配してくれていたこと。
離れてもおかしくなかったのに、そばで見守ってくれていたこと。
私は1人じゃなかった。
独りじゃ、なかったんだ。
これまでは気づく余裕もなかった。
あの頃の抜け落ちた記憶の中で、私は温かい周りの想いで命を繋げてもらっていたんだ。
生きるだけで精一杯で、気がつくのに何年もかかってしまった。
これまでずっと見守られてきたことに。ようやく気づけた。
これは大学時代の、一番しんどかった頃の回顧録ではない。数年越しにあの頃の優しい気持ちを受け取ることができた、私の今の話だ。
今月も来月も、そんな仲間との予定が詰まっている。
卒業しても会ってくれることって、本当は当たり前じゃない。
私のしんどい時を見ていた、あの頃の仲間たち。
離れないで今もいてくれている仲間たち。
当たり前じゃない恵を感じて。
あの時ほっといたら死にそうだった先輩は、今日も生きている。
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