介護は娼婦のようなスピードで
今日はね、いとこのおじさんのところに行ってきたんだけどね。
「パソコンの調子がおかしいから見にきてくれぇ〜」
おじさんはパーキンソン病で要介護3。おばさんとふたりでマンション暮らし、老老介護でね。
どこへでかけるの?
出かける時はどこへ行くか、
ひと声かけてから出かけてね。
マンション、玄関のドアの裏側、A4用紙・Wordで作られたであろう。
おばさん作・徘徊撲滅キャンペーンの啓蒙チラシが目に飛び込んできてね。よく見るイラストのフリー素材のおばあちゃんが、強烈なキャッチコピーの下でニッコリ笑っていたよ。
介護ってね、工夫なのよ。
とくに認知症介護は工夫とアイデアが大事。
話少し変わるようで変わらないけれども、
ぼくね。丹野智文さんと一緒に飲んだことあってね。いろいろな縁がつながって、隣で一緒にお酒を飲ませてもらったのよ。
丹野さんは若年性認知症の方でね、1974年生まれ。38歳のときに若年性アルツハイマー型認知症と診断されたって。いま年いくつだ?ピッタリ50?
もともとバリバリのトップセールスマンだったらしくて、たしかに仕事デキる人の雰囲気がプンプンしてて、お酒も強かったなぁ。
今は若年性認知症当事者として、日々の暮らしや工夫について全国を講演して回ってるみたい。やっぱり仕事できる人や。
びっくりしたのがね、講演の地までひとりで移動してるってこと。付き添いの人いなくてね、スマホを頼りに講演先まで自力で来てたのよ。
スケジュールは全部アラームにしてるって言ってた。「お薬の時間ですよ〜」みたいにして。
でも家に帰ると「妻と子供の顔が思い出せない時がある」っておっしゃってて。
一番印象に残っている言葉がね、
「失敗したことやミスを指摘されたこと、怒られたことがずっと頭の中に残っていてね、うまく行ったことはほとんど覚えてないんだよ。はっはっはっ!」
と豪快に笑って、
そして豪快に日本酒を飲んでいたよ。
明るくてユーモアのある人だったけれど、ぼくがお会いした時点で顔面に麻痺がで始めたって言っていて「あと何年生きられるかわからんからね」と呟いてもいた。
小説は丹野さんの実話をもとに書かれていて「オレンジランプ」って、映画化もされているよ。
人間ってさ、そもそもネガティブな感情のほうが強く記憶に残るって言うじゃない。だからね、とくに認知症のある人にはたくさん成功体験させて、自信をつけさせてあげてほしいって。
丹野さんはそう言ってた。
当事者が言ってるんだから、それはもう疑いようのない真実でしょう。
そして認知症を自覚したもの同士、当事者で話す機会を作ってあげてほしいとも言ってた。当事者にしかわからない苦悩があるって。そりゃそうだよね。って思って、胸がギューっとなったけども。
介護者が当事者そっちのけで勝手に話し合って介護の方針を決めていることを、とても悲しく思っているって言ってた。
事実は覚えられなくて忘れたとしても、感情が覚えているんだって。そのときのことを。

さて、話はおじさんのことに戻るんだけど、
どこへでかけるの?
出かける時はどこへ行くか、
ひと声かけてから出かけてね。
ドアに貼られたキャッチコピーは、
成功体験の背中を押す工夫なのか、
それとも成功を奪う殺し文句なのか。
おばさんを責めるつもりは毛頭ない。おばさんの苦労は知っているし、なんならおじさん、徘徊で警察にお世話になって命拾いしてるし。
介護って、一筋縄ではいかないのよ。
みんなで助け合っていきまっしょい。
ちなみにおじさんのパソコンの要件は、
コンパクトカメラで撮った写真をパソコンに取り込みたいってことだった。SDカードリーダーを繋いで速攻で終わった。
でもおばさんは、
「もう、取り込んでもまた使えなくなるんだから。あ!もうパソコン古くて使えないわ、捨てた方いいよね。お父さん、もうパソコン捨てよう!そのほうがいいわ。ね!そうでしょ。」
って、ぼくに訴えかけてきた。いつものことだけど。
「まぁ、まだギリギリ使えるから。おばさん、おじさんができないところだけ手伝ってあげてね」といって、30分。コトを終えた娼婦のようなスピードでぼくはマンションを後にしたよ。
長居するとさ「そううえばさぁ、これもさぁ」みたいになって、盆と正月に親戚みんなが集まって帰れなくなるあの感じ、帰るタイミングを失うからね。
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介護は大変。介護職はキツイ。そんなネガティブなイメージを覆したいと思っています。介護職は人間的成長ができるクリエイティブで素晴らしい仕事です。家族介護者の方も支援していけるように、この活動を応援してください!よろしくお願いいたします。