見出し画像

短歌のカルチャースクールに通っていますSeason2-③

毎月、ふたつの短歌教室に通っています。

そのうちのひとつ、「心の花」所属の藤島秀憲先生の講座がありました。

講座は、先生がチョイスした歌人の歌を紹介してくださる秀歌鑑賞のコーナーと、受講生の歌の披露・講評のコーナーから成ります。

今月の秀歌鑑賞では、「しびれる助詞」というテーマで、先生が痺れる~と思った助詞の使い方をしている歌がいくつか取り上げられました。

たとえば、こういうの。

人住まぬいくさのあとの崩れ家の杏の花の咲きてけるかな

正岡子規『竹乃里歌』

「の」が5回も出てくる。
散文ではとてもありえない文章で、短歌だからこそ成り立つ形。

君こひし寝てもさめてもくろ髪を梳きても筆の柄をながめても

与謝野晶子『青海波』

こっちは、「も」が4回。
与謝野晶子が「寝ても覚めても」なんていう現代ではありきたりな表現で恋を詠ったのは少し意外だけれど、ここまで直球で「恋し」と言えるのは、やはり羨ましい。


2キロ入りのあきたこまちをカゴに入れこれがおまえの重さかと思う

俵万智『プーさんの鼻』

俵万智さん妊娠中の歌。
「重さかと思う」の「か」が効いている。
「重さと思う」とすれば7音で定型におさまるけれど、「か」をいれたことで、詠嘆の気持ちが強く出た。

先生は、
助詞は永遠の課題で、助詞に迷い続けることが短歌をつくるということ
とおっしゃった。
本当に。
助詞を抜いて定型の文字数に収めるか、定型をはみ出しても助詞を省略せずに入れるか…など、悩まない歌は無いくらい、助詞ってクセモノ。

そして、藤島先生の講座では1人3首提出して講評してもらえます。
私が今回提出した歌はこちら。

全身で「ゐ」を表してゆったりと胸ふくらます鳩をみて待つ

五階から乗ってきた人のごみぶくろ貫いている魚類の背骨

すぐ会える人を思い出すことはない五月の雨の長い帰りみち

一首目については、「待つ」がうまい、との評をいただきました。
ただ「鳩をみている」だけでは物語にならない。
鳩だけでなく、作者も胸を膨らませて何かを待っている感じが伝わる、とのことでした。


5月末〆の角川短歌賞に応募して、
6月12日〆の塩尻短歌にもギリギリ出せて。
ちょっと一息、だけど、そろそろ歌会始のことも考えなくては。
お題は「旅」。
一文字で、なんてわくわくする題だろう。


本文とは関係ないのですが、WWFの会報誌の表紙が可愛すぎて、
ひとりで抱えきれない気持ちをここに置かせていただきます
ウォンバット photo by 岩合光昭さん


短歌が好きな方、好きになりそうな方へ、追伸。
私が、これからも短歌を頑張ろう、と思えた大切な体験「歌会始に入選したこと」の記事も良ければ読んでみてください。


いいなと思ったら応援しよう!

hanauta チップがいただけるような書き手になれたら、次なるステップのため「枕詞辞典」か「うたことば辞典」を購入したいと思っています

この記事が参加している募集