『百年の短歌』刊行記念講座「短歌一千三百年の底力とその歩み」を受講した感想など
三枝昻之先生の短歌入門書『百年の短歌』が重版決定したそうです。
書の帯には俵万智さんや穂村弘さんのコメントがあり、プロの歌人からも評判が高いそう。
そんな『百年の短歌』刊行を記念した三枝先生の講座に出席してきましたので、ご本というより講座の感想をメインに備忘録したいと思います。
講座の冒頭で、三枝先生が選者をされている日経新聞短歌より、一つの歌が紹介された。
「クルーズ船もとより我は無縁なれど地球号には乗り合ひてをり」
作倉羊子さんという方の投稿歌。
これは、2020年3月28日の日経に掲載された歌なので、実際に作者が投稿したのは2月末頃。
その頃はまだ、未知のウイルスの脅威は“クルーズ船の中だけのこと”と思われていた。
そう考えると、地球規模での心配をしたこの歌は結果的に予言の歌となったと言える。
三枝先生は、その予言性はさておいて、これも「くらしの歌」の一つと紹介された。
その時どきの情報に反応して詠まれた、くらしの歌は時代の証人になる。
だから、くらしの歌は大事。
短歌は大きくわけると「ハレの歌」と「ケの歌」の二分。
ハレ(おおやけ)とケ(日常)。
壮大で情感たっぷり雅な「ハレの歌」ばかりが短歌ではないよ、ということを最初に印象づけてくださった。
講義は、三枝先生が好きな歌や、『百年の短歌』で取り上げられている歌をいくつかピックアップして読みときながら進んでいった。
聞いていて、「なんかいいなぁ」と思ったのが、三枝先生が他の歌人について、その人となりや個人的な付き合いのお話をしてくださること。
例えば、雨宮雅子さんの遺品となった蔵書を、三枝先生が館長をされている山梨県立文学館に引き取った話。
斎藤史さんは、お父さんが二・二六事件に関わったとして禁固刑になったことに納得しておらず、天皇への不信感をにじませるような歌を詠むなど世間を遠ざける姿勢だったが、時を経て歌会始の召人に招かれ、天皇からのお招きだという説得があってようやく引き受けた、という話。
島田修三さんは、少年時代に奥さんと出会ったので、その奥さんが亡くなったときの歌も「妻と自分」ではなく「少女と少年」の表現で書かれていることや、彼と同年代の高野公彦、永田和宏、小池光さん、みな奥様に先立た入れているというお話。
川田順さんは、60代になって友人の谷崎潤一郎にもいさめられるような恋をしたけれど、結局その恋を叶えて小田原で結婚生活をし、すでに亡くなっていた前妻のお墓は京都で墓じまいしたという話…など
歌人の人となりを教えてもらえて初めて「ちゃんと読める」歌も多く、勉強になりました。
また、高野先生もおっしゃっていたけれど、三枝先生も、「どういう時に歌ができるのか」と訊かれると「締切があるとき」だそう。
わ~、一緒です笑
「偶然目に入ったものを歌にできるようになると楽」とのアドバイス。
締切前など、短歌をつくるモードに入っていると感度が高くなり、偶然目に入ったものでたくさん作れるということだろう。
最後に、私が好きな三枝先生の短歌をひとつ
あかるさの雪ながれよりひとりとてなし終の敵、終なる味方
三枝昻之
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チップがいただけるような書き手になれたら、次なるステップのため「枕詞辞典」か「うたことば辞典」を購入したいと思っています