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🏰02.屋敷が終わった日

屋敷の朝は、いつも通りだった。

磨き上げられた床と、美しく整えられた庭園。
呼べばすぐ来る執事。
だけど、何かがいつもと違う。

「今日はなんだか静かですわね」

違和感は小さい。けれど、執事の足音が止まっているし、いつものようなメイドたちの声もない。

廊下の先で、父と母が低い声で話しているのが聞こえた。普段は決して聞こえない、張りつめた声。

カレンはドアを開けようとして、手を止めた。
──お嬢様たるもの、立ち聞きなどしてはいけない。

それが、この家の礼儀だったから。

だが、普段とあまりに違う空気に違和感を感じ、扉に耳をそっと近付けた。

すぐには、意味のある言葉は聞こえてこなかった。

かすれた声。短く途切れる会話。
何かを押し殺すような沈黙。

断片だけが、壁越しに滲んでくる。

「……凍結……」
「……売却は避けられない……」
「使用人は全員、今日中に──」

言葉が、そこで途切れた。

カレンは、その場で固まった。

今、何を言われたのか。
頭の中でうまく繋がらない。

『売却』。
その一語だけが、遅れて浮かび上がる。

この屋敷が……売られる?
本当に?

意味は分かるはずなのに、
現実として受け取れない。

指先の感覚だけが、先に冷えていく。
しばらく、そこから動けなかった。



昼になっても、違和感は消えなかった。
メイドたちは頭を下げ、誰も目を合わせようとしない。

「どういうことですの?」

いくら聞いても誰も答えない。

やがて父が、節目がちに告げた。

「カレン。屋敷は手放す」

「……冗談ですわよね?
そんなこと、あるはずが……!」

母は視線を逸らす。
父は否定せず、まっすぐに答えた。

「カレン。この家は、もう終わりだ」

屋敷の時間が、そこで止まった。



午後には、屋敷はもう別の顔をしていた。

箱が積まれ、額縁が外され、
花瓶が片づけられていく。

あれほど整っていた空間が、急に“物件”の
顔をする。人の出入りが続き、
見慣れた景色が、少しずつ剥がれていく。

気づけば、窓の外の光が傾いていた。

夕方が来て、そのまま何も区切りのないまま、夜になった。

その夜、カレンの荷物は最小限にまとめられた。

ドレスは置いていく。宝石も置いていく。
思い出も……、ほとんど置いていく。

手元に残ったのは、数冊の本と、
小さなトランクひとつ。

玄関でテキパキが唇を噛む。
「お嬢様……」

シレットも、静かに言う。
「また、どこかで」

カレンは顎を上げた。
泣かない。取り乱したりしない。
だってそれが“お嬢様”だから。

「平気ですわ。わたくしを誰だと思って?」

声は、少しだけ震えていた。

門が閉まる音が、やけに大きく響いた。
振り返ったとき、屋敷はもう“家”ではなかった。


──何の前触れもなく始まった、一人暮らし。

知らない街。知らない路地裏。
屋敷なら物置に使われていそうな、小さなアパートの一室。

天井は低くて廊下も短い。
扉を閉めると、妙に音が響く。

呼べば誰かが来る、それが当り前だった世界。
ほんの数時間前までの話だ。

カレンは立ったまま、しばらく動けなかった。

「……」

「わたくし……これからどうすれば……」

独り言だけが、部屋いっぱいに広がった。



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