Stevie Wonder 『Songs in the Key of Life』 〈後編〉 ─ 音楽が「世界」でなくなった時代
記憶の針を落とす Vol.24
音楽が〈見られるもの〉になった日

70年代のスティービー・ワンダーは、音楽が「音だけ」で成立していた時代の頂点だった。だが、その時代は思っていたよりも早く終わる。
前編では、その頂点に至るまでの軌跡を書いた。
この後編では、その音楽がなぜ引き継がれなかったのかを考えてみたい。
映像という「もうひとつの才能」
1981年。MTVの開局。
その瞬間から、ヒットは「聴かれるもの」ではなく、「見られるもの」になっていく。
MTVが突きつけたのは、単なる宣伝手法の変化ではない。アーティストには、音楽とは別の能力がはっきりと求められるようになった。
映像的な身体、即座に意味が伝わるビジュアル、数秒で注意をつかむ強さ。それらは、音楽の深さや完成度と、必ずしも一致しない。
MTV時代の完成形──『スリラー』

この新しい時代を、最も鮮やかに体現した作品が「スリラー」だった。
マイケル・ジャクソンは、MTVというメディアの特性を、誰よりも深く理解していた。
『スリラー』は、単なるヒットアルバムではない。
それは、音楽と映像が一体となった「新しい完成形」だった。
とりわけ「スリラー」のミュージックビデオは、もはやMVという枠を超えていた。
短編映画。ダンス。キャラクター。物語。
MTV時代が求めたものを、すべて備えていた。
この成功は、ポップミュージックの価値基準を決定的に変えた。
音楽は、どれだけ深いか、ではなく、どれだけ強く「見えるか」で語られるようになる。
価値基準が、変わった
時代が求める才能の種類がはっきりと変わった。
70年代、音楽は思想であり、祈りであり、世界だった。
80年代、音楽はキャラクターであり、物語であり、映像になった。
その転換点に、『スリラー』は立っている。私が「スリラー」を初めて見たとき、音楽を聴いている、という感覚ではなかった。
目を離せなかった。
テレビの前で、ただ呆然と見ていたのを覚えている。
これはもう、レコードの延長ではない。まったく別の表現だと思った。
音楽が、「観るもの」に変わってしまった。
その瞬間を、私は確かに体験した。
スティービー・ワンダーという存在
ここでスティービーは、決定的に不利な立場に置かれる。
彼は、生まれてすぐに視力を失った。
MVという形式は、彼にとって不可能ではない。
だがそれは、常に誰かの解釈を通して成立する表現だった。
それは、70年代に彼が手に入れた「表現の主導権」とは、どこか逆向きの構造だった。
アルバムの時代の終わり
MTV以後、,音楽は「一曲単位」で消費されていく。
アルバム全体の流れ、曲順が持つ意味、矛盾や余白。
そうしたものは、映像の強度の前で、徐々に後景へと退いていった。
『Songs in the Key of Life』のような作品が持っていた「世界を丸ごと抱え込む力」は、もはや前提ではなくなった。
それでも、音楽は消えなかった
『Hotter Than July』を聴いたとき、私はまだ、スティービーの音楽の中にいた。だが、その次に出たアルバムを聴いたとき、正直に言えば、少し肩透かしを食らったような気がした。
悪いわけではない。ただ、あの70年代に感じていた、神がかったような集中力や、世界を丸ごと抱え込むような手応えが、そこには見当たらなかった。
ただ、自分とスティービーの音楽とのあいだに、ごくわずかな距離が生まれたような気がした。
時代のルールが変わった。
音楽が、思想や祈りを、時間をかけて受け取ってもらうことを、許されなくなっただけだ。
余熱として残ったもの

前編で書いたように、私が『Hotter Than July』を聴き、仙台の会場でその音を浴びた頃、その時代はすでに終わりかけていた。
それでも、確かに余熱は残っていた。
音楽が、人生のどこかにそっと置かれるものだった時代の温度。
ふと、「旬」という言葉を思い出す。
ミュージシャンにも、旬と呼べる時間は存在するのだろうか。
もしあるとすれば、それは才能の問題なのか、時代との距離の問題なのか。
そんなことを、考えるようになっていた。
才能は、時代と出会わなければ、ただの孤独なのかもしれない。
逆に言えば、その才能が時代の流れと重なり、“旬”に乗ることができたとき、人は初めて広く受け取られる存在になるのではないだろうか。
いま、あらためて針を落とす理由
いま私たちは、好きな曲を好きな順番でいつでも再生できる。
それは便利で、自由で、幸福なことだ。
だが同時に、「音楽が世界だった時間」を、知らないまま生きることにもなる。
音楽は、もう昔の形には戻らない。
→だからこそ、あの時代の“世界”に、いまもう一度触れてみる
けれど、記憶の中で針を落とすことはできる。
それだけで、世界は少し、広くなる。
だから私は、あらためて針を落とす。
一曲ではなく、アルバムとして。
曲順も、空気も、その時代ごと受け取るために。
そうすると、音楽はただの「音」ではなく、もう少し大きなものとしてこちらに戻ってくる気がする。
もしこの話の出発点から辿りたい方は、前編から読んでみてください。
Stevie Wonder『Songs in the Key of Life』(前編)
── Albums ──
この文章で触れたアルバム
Songs in the Key of Life(1976)
Hotter Than July(1980)
Talking Book(1972)
Innervisions(1973)
Fulfillingness' First Finale(1974)
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🎧「記憶の針を落とす」シリーズより
・Sam Cooke『Live at the Harlem Square Club』
・Marvin Gaye『Midnight Love』
・Curtis Mayfield 『New World Order』
✒筆者関連シリーズ
この感覚は、実際の現場で身についたものでもあります。
この文章をここまで読んでくれた人へ。
似た温度を持った記事を、いくつか置いておきます。
答えというより、引っかかりとして残っているものです。
もし、筆者に興味があれば、こちらもご覧ください。
→「記憶の前で ― 入門篇」
前回の記事 : Vol.23 Stevie Wonder 『Songs in the Key of Life』 〈前編〉
次回の記事 : Vol.25 The Band 『The Last Waltz』
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