Stevie Wonder 『Songs in the Key of Life』 〈前編〉─音楽が「世界」だった時代
記憶の針を落とす Vol.23
スティービー・ワンダーと音楽は、まだ自由だった

スティービー・ワンダーを「リアルタイムで聴いていた」と言えるほど、私は彼と同時代を生きていたわけではない。
けれど、時代がひと区切りついた“あと”になって、はじめてリアルに感じたアルバムがある。
それが、『Hotter Than July』 だった。
発売されたのは、私が高校2年生の秋。
70年代の名作ラッシュを経て、満を期して出されたそのアルバムは、当時、レコード店の棚を大きく陣取っていた。
そのジャケットは、どこか明るく、どこか軽やかで、それまで私が抱いていたスティービー・ワンダー像とは少し違って見えた。
もっと難しく、もっと重く、もっと「偉大な存在」だと思っていた。
ところが針を落とすと、そこから流れてきた音楽は、驚くほど風通しがよかった。
レゲエのリズムをまとった「Master Blaster (Jammin’)」。
祝祭的で、身体が自然に揺れる。だが、決して軽薄ではない。
そして、全キャリアを通じても屈指のバラード「Lately」。
祝祭と祈りを、同じアルバムの中で並べてしまう。
——この人は、難しいことを、難しく聴かせない天才なのだ。
そんな当たり前の事実を、私はこのアルバムでようやく実感した。
その「実感」を、私はもう一度、別の形で確かめることになる。
1982年。スティービー・ワンダーの日本ツアーは、私の住んでいた仙台にもやってきた。
私は観に行くことが出来た。
会場の熱気は今でも覚えている。
開演前のざわめき。音が鳴った瞬間、空気が一段変わる感じ。
そして何より、観客全体が同じ方向に身体を揺らしていた。
セットの軸にあったのは、やはり『Hotter Than July』の曲たちだった。
あの風通しの良さが、レコードよりもずっと大きなスケールで鳴っていた。
けれど同時に、「Superstition」や「Higher Ground」、「You Haven't Done Nothin'」、そして「Sir Duke」など、70年代の名作からの選曲が入ると、会場の温度がもう一段上がる。
「この人は、いま現在のヒットだけで立っているのではない」
そんな当たり前のことを、私は“頭”ではなく“体”で理解した。
スティービー・ワンダーはなぜ自由になれたのか
スティービー・ワンダーは、早熟な神童としてキャリアを始めた。
11歳でモータウンと契約し、“リトル・スティービー・ワンダー”としてデビューする。
だが、彼の本当の物語は、その後に始まる。
1971年、21歳。
モータウンとの再契約を機に、スティービーは制作の主導権を完全に自分の手に取り戻す。
この決断は、ポップミュージックの歴史を静かに変えた。
マーヴィン・ゲイが開けた扉
スティービー・ワンダーの70年代は、決して“突然始まった奇跡”ではない。その少し前、ひとりのアーティストがモータウンという巨大なシステムに
真正面から異議を唱えていた。
マーヴィン・ゲイ。
1971年に発表された『What's Going On』 は、ソウルミュージックの意味を根本から変えてしまった作品だ。(この話は、Vol.12で詳しく書いている)
それまでのモータウンは、「会社が曲をつくり、アーティストがそれを歌う場所」だった。
だがマーヴィンは、自ら作り、自ら問い、自らの声で社会と向き合った。
音楽は、踊るためだけのものではない。恋を歌うだけのものでもない。
“世界について考えるための音楽”が、ポップミュージックの中心に置かれてしまった。
この出来事は、業界全体にとって後戻りできない一線だった。
若いスティービーが見ていたもの
その革命を最も真剣に見つめていたひとりが、若きスティービー・ワンダーだった。
マーヴィンが示したのは、単なる社会性ではない。アーティストが、自分の人生と思想を自分の責任で音にする、という、“表現の主導権”そのものだった。
スティービーは悟ったはずだ。
「これは特別な才能の話ではない、権利の話なのだ」と。
1971年、モータウンとの再契約。完全な制作の自由。
スティービー・ワンダーは、マーヴィンが開けた扉を、自分の足でくぐった。
そして、奇跡の3部作へ
その自由が、最初に形になったのが『Music of My Mind』(1972)だった。
シンセサイザーを使い、ひとりで多くの音を重ねていく。
内向的で、実験的で、どこか“考えごとをしている音楽”。
ここでスティービーは、「自分ひとりで、ここまで出来る」ということを、まず確かめている。
だから、このアルバムはまだ、世界に向かって大きく開かれてはいない。
スティービーを“時代の音楽”にしたのは、ここから続く3枚だった。
『Talking Book』 (1972)

実験は、一気にポップへと開かれる。
「Superstition」、「You Are the Sunshine of My Life」
革新と親しみやすさが、奇跡的なバランスで共存していた。
難しいことをやっているのに、それを感じさせない。
スティービー・ワンダーという存在が、多くのリスナーに“届いた”瞬間だった。
『Innervisions』(1973)

つぎのアルバムでは、その視線が、はっきりと社会へ向かう。
都市。ドラッグ。人種。そして、内面の葛藤。
だが、それは糾弾ではない。あくまで、人間の視点からの問いだった。
世界の歪みを歌いながら、同時に、自分自身をも見つめている。
このアルバムでスティービーは、「社会性」と「個人」を分けることなく鳴らしてみせた。
『Fulfillingness' First Finale』 (1974)

3部作の締めくくりとなるこのアルバムでは、その問いが、より静かで、成熟した形で結実する。
外へ向かっていた意識は、再び内側へ。
声は柔らかくなり、音は研ぎ澄まされ、祈りに近い質感を帯びていく。
この時点で、すでに「一生分の仕事」を終えていても不思議ではなかった。
だが、スティービー・ワンダーは、ここで立ち止まらなかった。
それでも、まだ足りなかった

1976年。スティービー・ワンダーは、とんでもない作品を世に送り出す。
『Songs in the Key of Life』 (1976)。
LP2枚組。さらにEP付き。制作期間は、1974年から1976年までの約2年。収録曲は、この2年で書かれた膨大な曲の中から選び抜かれたものだという。
まさにスティービーの創作意欲が頂点に達した瞬間といえる。
その中に詰め込まれていたのは、音楽という形式が許される、ほぼすべてだった。
愛。家族。宗教。政治。怒り。喜び。日常。
それらが、驚くほど自然に、同じ場所に共存している。
『Songs in the Key of Life』は、「最高傑作」という言葉では足りない。
それは、ポピュラーミュージックがまだ“世界そのもの”を抱え込むことを
許されていた時代の記録だ。
→ あの時代がそのまま詰め込まれている一枚
そしてそれは、音楽が、思想であり、生活であり、祈りであり得た最後の瞬間の記録でもあった。
中学生が出会った『キー・オブ・ライフ』
『Songs in the Key of Life』を、私はリアルタイムで聴いている。
——そう言うと、少し格好をつけすぎだろうか。
中学生だった私は、自分でこのアルバムを買うことができなかった。
2枚組。さらにEP付き。当時の小遣いでは、とても手が届かない。
だから私は、友人の家でこのアルバムを聴いた。
何度も。本当に、何度も。
その家の部屋の匂い。絨毯の感触。スピーカーの位置。
音楽だけでなく、その空間ごと、身体に刷り込まれている。
曲順も、構成も、意味も、当時はよく分からないまま、「Sir Duke」や「Isn't She Lovely」のキャッチーな曲がお気に入りだった。
それでも、「これは普通のアルバムじゃない」ということだけは、はっきり伝わってきた。
針を落とすたびに、世界が広がっていく。
楽しげな曲のすぐ後に、深く静かな歌が続く。宗教の匂いと、街のざわめきが、同じ場所に置かれている。
理解ではなく、体感だった。思えば、このアルバムは「所有」するものではなかったのかもしれない。
誰かの家で、誰かと一緒に聴き、少しずつ身体に染み込んでいく。
『Songs in the Key of Life』は、そうやって“人生のどこかに置かれる音楽”だった。
なぜ、あれほど大きく感じたのか
中学生だった私にとって、世界はまだ小さかった。
学校。家。友人。半径数キロの現実。
だがこのアルバムは、その外側に、確かに“別のスケール”があることを
教えてくれた。
音楽は、ただ楽しいだけのものではない。ただ大人のものでもない。
世界全体を引き受けようとする音楽が、確かに存在する。
その事実を、私はこのアルバムで初めて知った。
しかし、私が『Hotter Than July』を聴き、そして仙台の会場でその音を浴びたとき、すでにその時代は静かに終わりつつあった。
音楽が、〈音〉だけで語られていた時代は、そう長くは続かなかった。
だが、その“余熱”は、確かにそこに残っていた。
——だからこそ、あの音楽は、今もこんなにも温かい。
── Listening Guide ──
▶︎ 前編:この文章の中で鳴っていた曲
後編では、その“余熱”が、なぜ時代の中でうまく引き継がれなかったのか。
MTV以後の世界を手がかりに、続きを書いてみたいと思う。
👉後編はこちら
・Stevie Wonder『Songs in the Key of Life』(後編)
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この感覚は、実際の現場で身についたものでもあります。
この文章をここまで読んでくれた人へ。
似た温度を持った記事を、いくつか置いておきます。
答えというより、引っかかりとして残っているものです。
もし、筆者に興味があれば、こちらもご覧ください。
→「記憶の前で ― 入門篇」
前回の記事: 記憶の針を落とす Vol.22 | KGBが恐れたビートルズ
次の記事 : 記憶の針を落とす Vol.24 | Stevie Wonder『Songs in the Key of Life』(後編)
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