Steely Dan『Aja』 ── 都市の音に、まだ見ぬ未来を聴いた日
記憶の針を落とす Vol.16
音の迷宮に針を落とすと、未来の都市がそっと姿を現した。
今にして思えば、私が生まれた頃、世界は “音楽の地殻変動”の中にあった。
もちろん、子供だった私はそんなことを知る由もなく、ただテレビから流れる曲や、街中に漂う音に耳を奪われていただけだった。
中学でビートルズに出会い、人生の向きが一瞬で決まった。
ギターを手にし、コードを覚え、バンドを組み、スタジオで鳴った最初の一音に胸を震わせた。(その頃の話は Vol.2 ・Vol.14 に記した。)
高校に入ると黒人音楽へ傾斜し、街にはシティポップとフュージョンの風が吹いていた。そして、ブルースやソウルを都会的に昇華させたAORという新しいジャンルが形づくられようとしていた。
黒人音楽の熱さと都会の冷えた空気が同居する時代。
私はそのすべてに夢中になっていた。
スティーリー・ダンとの出会いは、その延長線上にあった。
スティーリー・ダンとの最初の邂逅
最初に手にしたのは、1980 年の新作『Gaucho』だった。
当時の私は、彼らがどういうグループなのか、どんな人たちが、どんな場所で、どんな哲学で音を作っているのか、まるで知らなかった。
ただひとつ、はっきり覚えているのは──
その音だけが、他のどれとも似ていなかったことだ。
冷たいのに温かい。乾いているのに湿度を含む。
都会的なのに、どこか人間の影が差す。
その矛盾した空気が、レコードの表面からふわりと立ちのぼってきた。
それは、それまで聴いてきたどの音楽とも違う、不思議な“匂い”だった。

この “匂い” をうまく言葉にできるようになるのは、もっとずっと後のことだ。当時の私はただ、「この音は、まだ知らない世界のどこかにつながっている」そんな気配だけを受けとっていた。
まるで、まだ会ったことのない誰かからの手紙のように。
『Gaucho』から広がる世界

『Gaucho』の淡々とした都会性、完璧に磨き上げられたリズム、何かを笑い飛ばすようなクールさ。
それらは、私がそれまでに聴いたどの音とも一致しなかった。
街灯が濡れたアスファルトに反射し、まだ行ったことのない大きな街を想像させる。深夜のテレビドラマでしか見たことがないような、知らない時間がそこにあった。
その “正体” を知るには、もう一枚のレコードが必要だった。
それが『Aja』だった。
“完璧を嫌う完璧主義” が生んだ都市の風景

スティーリー・ダンの作品を並べて聴くと、『Aja』だけが、明らかに異質に思える。
70年代のロックがラフで荒々しい方向へ向かう中、フェイゲンとベッカーは真逆へ進んだ。それは“一小節の濁りすら許さない”完璧主義。
しかし、このアルバムに漂っているのは「冷たい完璧」ではなく、むしろ、人の呼吸が感じられる場所のかすかな温度だ。
起用したミュージシャンは40人近く。
曲ごとに演奏者を入れ替え、同じ曲を何度も録り直し、微妙な“空気の質”が合うテイクだけを残していった。
フェイゲンとベッカーが求めた音に合わなければ、名うてのスタジオ・ミュージシャンであっても別の奏者に替える。
同じ曲を複数の編成で、何度も録り直し、微妙な“空気の質”が合うテイクだけを残していった。
結果、『Aja』は、ロックでもジャズでもAORでもない、ひとつの精密な風景のようなアルバムになった。
漆黒の背景に、静かに浮かび上がる山口小夜子の佇まい。
鮮烈な赤と白の衿、切り揃えられた黒髪、そして伏せられた視線。
写真家・藤井秀樹が捉えたその横顔は、単なるオリエンタリズムを超えて、どこか浮世離れした「架空の都市の女神」のように見えた。
西洋の洗練された都市生活の真ん中に、ぽつりと投げ込まれた東洋の幻影。
針を落とす前から、ジャケットの「漆黒の余白」そのものが、これから聴く音の奥行きを深く予感させていた。
そして針を落とした瞬間──
自分の中の「音の地図」が静かに書き換えられた。
[まだ見ぬ“都市の音”を、そのまま体験できる一枚]
1曲目 Black Cow
── 見たことのない“深夜の都会”を、音だけで知った
滑らかなベースが流れた瞬間、自分が知らない風景が立ち上がる。
濡れたアスファルトに街灯が滲む情景が、音の中に浮かぶ。
夜中の大通りに浮かぶ車のテールランプ。
行き場をなくしたため息のようなエレピの響き。
英語の歌詞は理解していなかった。
まだ東京もニューヨークも知らない私に、音だけで都会の深夜を見せてくれた。
2曲目 Aja
── 曲ではなく、“空間”に迷い込む体験
タイトル曲「Aja」のイントロが鳴り響いた瞬間、ジャケットに描かれたあの“黒い余白”が、そのまま立体的な音響空間となって部屋いっぱいに広がる。
ただ、ジャケットの山口小夜子が纏う静寂と、幾重にも重なる精密な音の建築の中に、迷い込んでいく感覚だけが確かにあった。
やがて、その静かな緊張感を破るように──
スティーブ・ガッドのドラムが動き出す。
音が直線を描き、カーブし、密林のような路地を駆け抜け、大通りへと広がっていく。 その緻密で圧倒的な音の洪水の渦中で、竹林を渡る風のように突如響き渡るのが、ウェイン・ショーターのサックスだった。
その時の私は、ただその勢いと美しさに身を委ねていた。
この曲で、スティーブ・ガッドが叩いた七分超のドラムは、一発テイクだったという。フェイゲンとベッカーはそのテイクを聴き、何も言わなかった。
沈黙が、採用のサインだった。
4曲目 Peg
── 午後の光が跳ね、のちの“Room 335”へとつながる
イントロが始まった瞬間、部屋の空気がふわりと“午後”に変わる。
透明な光が跳ねるようなサウンド。
英語の意味はわからずとも、心が軽くなる曲だった。
「Peg」を初めて聴いたとき、まず耳に残ったのはギターソロだった。
派手に弾きまくるわけではない。ほんの数小節なのに、音が少しねじれながら上へ抜けていく。その瞬間だけ、整然としていた景色に鮮やかな色が差す。
フェイゲンとベッカーは「Peg」のギターソロをなかなか決められず、7人のギタリストに録音させた。最終的に呼ばれたジェイ・グレイドンが弾いたテイクが採用される。
ラリー・カールトン、ロベン・フォード、ディーン・パークス、スティーヴ・カーン、リー・リトナー……。
超一流のギタリスト達は、フェイゲンとベッカーに「違う」と言われ続けたという、いま思えば贅沢すぎる、無茶苦茶な話だ。
だがその執念が、『Peg』の完璧な光を生み出した。
その話を知ってから聴き直しても、不思議と「苦労して作った音」には聞こえない。むしろ、最初からそこにあった音のように聞こえる。
おそらく、それこそが彼らの求めていた完成形なのだろう。
そして──
この時に採用されなかったテイクをきっかけに、ラリー・カールトンは、名曲“Room 335” を生み出した。
『Peg』の午後の光は、未来のカールトンの名曲へと静かに進化していた。
(この映像ではオーディションに落ちた二人の名ギタリストの『Room 335』の共演が観られます。)
7曲目 Josie
── 都会の夜が静かに街へ戻してくれる
『Josie』が始まると、アルバムの旅はゆっくりと終わりに向かう。
夕方の匂いが少し残った都会の夜。
それを音だけで描いてしまう不思議な感覚。
ギターソロを弾いたのは、ウォルター・ベッカー自身だった。
『Aja』の中で、彼が自らソロを弾いた数少ない曲のひとつだ。
伝記作家ブライアン・スウィートは、その一撃を「real stormer(猛烈な一撃)」と評した。普段は表に出ない男が、最後の曲で、自分の手で音を鳴らした。
しかもイントロは、ラリー・カールトンとディーン・パークスの二人が別々に録音し、どちらが採用されたのか、本人たちさえレコードが出るまで知らなかったという。
「Aja」では一人が沈黙で制し、「Peg」では7人が声を上げ、
「Josie」では、誰も知らないまま結果だけが街に流れた。
『Aja』という巨大な構造物を歩き終わり、『Josie』はそっと街へ戻してくれる。
エピローグ
今も針を落とすたび、『Gaucho』に衝撃を受けた自分が蘇る。
そして『Aja』に出会った日の自分へ静かに戻っていく。
それは音楽というより、未来の自分から、まだ何も知らなかった自分へ届いた手紙だったのかもしれない。
この感覚は、今こうして書いていても、まだどこかうまく言葉に出来ていない気がする。
『Aja』は、まだ見ぬ場所への予感だった。
今も聴くたびに、あの頃の自分が知らなかった光を、少しずつ見せてくれる。
今夜もまた、ゆっくりと針を落とす。
遠い光が、静かにこちらへ向かってくる。
※Aja全曲はこちらから聴けます。記事の続きとしてぜひ
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