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作詞家の魂は2番に宿るらしい

記憶の針を落とす Vol.34


サブスクの時代、2番まで聴かれない曲も多い。


カラオケで「これ歌って」と言われることがある。

歌ったことがない曲でも、1番くらい、サビだけなら、案外歌えたりする。
でも2番以降になると、急に自信がなくなる。
不思議なもので、歌の正体はだいたいそこから始まる。


昔、演歌歌手のマネージャーをしていた頃のことだ。
新曲のレコーディングが終わり、赤坂の中華料理屋で、作詞家のたかたかしさんが、ぽつりと言った。

「作詞家の魂は2番に宿る」

その一言が、なぜか長く残った。

ずっと後になって、その話を友人の作詞家・及川眠子さんにしてみた。

「そうだよ。」

即答だった。
けれど私は、その意味をまだ掴みきれていない。

きょうは、私なりに推察してみたい。


同じ器、違う体温


歌は、同じ旋律が繰り返される。

Aメロ、Bメロ、サビ。
1番、2番、時に3番。

メロディは同じ。つまり器は同じだ。

作詞家は、その同じ器に違う言葉を入れる。
旋律は同じでも、そこに置く言葉ひとつで、コードの響きは変わる。

1番は、世界観を示すための挨拶だ。
まだぎこちなさが残る、最初の名刺交換のようなもの。

2番ではじめて、建前が剥がれる。
説明が終わったあとに、本音が落ちる。
作詞家が自分を晒す覚悟を決めるのは、たいてい2番からだ。


たかたかしさんの「愛のメモリー」



たとえば、松崎しげるさんが歌った「愛のメモリー」。

1番は、

愛の甘いなごりに あなたはまどろむ
天使のようなその微笑みに
時は立ち止まる

「愛のメモリー」作詞:たかたかし

そして、

美しい人生よ かぎりない喜びよ
この胸のときめきをあなたに

「愛のメモリー」作詞:たかたかし

ここにあるのは、理想の愛だ。

天使。
時が立ち止まる。
かぎりない喜び。

言葉は大きく、明るい。愛はまだ概念であり、どこか光の中にある。
しかし、2番に入ると、空気が変わる。

愛は風のささやき あなたは目覚める
子供のような瞳を向けて 指をからめるよ

「愛のメモリー」作詞:たかたかし

抽象的な「天使」は消え、代わりに出てくるのは子供のような瞳。
指をからめる、という動作。
さらに、

美しい人生は 言葉さえ置き忘れ
満ち足りた二人を包むよ

「愛のメモリー」作詞:たかたかし

ここでは「かぎりない喜び」はなく、“言葉を置き忘れる沈黙”と、“二人”という関係がある。

1番は、愛を語る美しい理想の世界。
2番は、ふたりが暮らす現実の世界。

同じ旋律の上で、スケールは小さくなっているが、むしろ密度は濃くなる。
1番で「天使」と崇め、2番で「子供のような瞳」に触れる。

男女の愛の歌として聴けば、もちろんそのまま美しい。
けど、私にはなぜか、男女の歌だけには聞こえなくなる。
これは「母親が我が子に向けた、あまりにも巨大な愛の歌」だったのではないだろうか。

生まれたばかりの我が子という「天使」に、美しい人生をありがとうと感謝する1番。そして2番になると、その子がいつか自分を置いて巣立っていく未来まで、どこかに滲んで見える。

そんなふうに聴くと、ここにあるのは男女の熱情だけではない。
我が子を抱きしめる母親の、愛おしさと切なさ。
私には、そんな祈りにも似たものまで聞こえてくる。

たかたかし氏が2番に忍び込ませた体温とは、男女の熱情などではなく、我が子を抱きしめる母親の「愛おしさと切なさ」が混ざり合った、どこか祈りにも似た執着だったのではないだろうか。


あらためて「愛のメモリー」を聴き直してみる。 1番の光と、2番の密度。それを意識するだけで、歌の景色はまるで違って見えてくる。



及川眠子さんの「残酷な天使のテーゼ」



高橋洋子さんが歌ったカラオケの大定番曲「残酷な天使のテーゼ」の1番Aメロ。

蒼い風がいま 胸のドアを叩いても
私だけをただ見つめて微笑んでるあなた

「残酷な天使のテーゼ」作詞:及川眠子

風、あなた、未来。世界は開いている。

しかし2番Aメロでは、

ずっと眠ってる 私の愛の揺りかご
あなただけが夢の使者に呼ばれる朝がくる

「残酷な天使のテーゼ」作詞:及川眠子

急に、空間が狭くなる。偶然かもしれない。
だけど、2番の方が人間に近い。

さらに決定的なのはBメロだ。
1番では、

だけどいつか気付くでしょう その背中には
遥か未来めざすための 羽根があること

「残酷な天使のテーゼ」作詞:及川眠子

未来へ飛ぶ話だ。

ところが2番では、

もしもふたり逢えたことに 意味があるなら
私はそう 自由を知るためのバイブル

「残酷な天使のテーゼ」作詞:及川眠子

それは問いに変わる。しかも主語は「私」。

未来を語っていた歌が、ふいに「私」の責任へと引き寄せられる。

サビはどちらも「少年よ 神話になれ」だが、そこへ至るまでの感情の層が違う。

1番では、未来へ向かって背中を押す。
ところが2番になると、その声に別の感情が混ざる。

眠っていてほしい。まだ揺りかごの中にいてほしい。
けれど、いつか彼は目覚める。 自分の羽根に気づき、私を置いて未来へ行ってしまう。

それは支配というより、手放すことの痛みだ。
そして、その痛みを受け入れてなお、彼の「バイブル(道標)」になろうとする覚悟である。

ちなみに、及川さんからこんな話も聞いた。
「少年よ 神話になれ」は、もともと「少年よ 凶器になれ」だったという。
レコーディングの段階で、現在の言葉に変えられた。

そう知ってから2番を聴くと、「眠っていてほしい」という言葉の切実さが、少し違って聞こえてくる。

『愛のメモリー』が「いつか去りゆく我が子を抱きしめる祈り」なら、『残酷な天使のテーゼ』は「去りゆく我が子の旅立ちを許す残酷な愛」なのかもしれない。


2番にこめられた本音


2曲ともそうだった。
1番で世界観という名刺を差し出し、2番で剥き出しの本音を落とす。

同じメロディに注がれた、二つの体温。
1番ではまだ言えなかった何かを、作詞家は2番にそっと置いている。
この二曲には、そんな人間臭さが残っていた。

次々と曲がスキップされ、サビだけが切り取られ、倍速で消費されていくサブスクの現代。
気づけばイントロの後、サビまで飛ばしてしまうことがある。

私たちはこの「2番に忍び込ませた作詞家の魂」を、思っている以上に聞き逃しているのかもしれない。

次にスマートフォンで音楽をかけるとき、ほんの少しだけ画面を伏せてみてほしい。

1番が終わり、同じ旋律の上で2番がはじまるとき。
そこで聴こえてくる言葉にこそ、その歌の「本当の顔」があるのかもしれない。


解釈は聴き手のもの


私は作詞家ではない。
だからこれは、一人の聴き手の感想だ。

ただ、レコードに針を落とすたび、私は無意識に2番を待っている。

そこに、少しだけ人間が見える気がするからだ。

この話、次に及川さんに会ったら、あらためて聞いてみたい。
たぶん彼女は、少し笑ってこう言うだろう。

「聞いた人が好きに解釈すればいいのよ。」

同じメロディの中にある、わずかな温度差。
それを受け取るのは、いつも聴き手だ。

あなたにも、1番しか覚えていなかったのに、ある日2番で立ち止まった歌があるだろうか。
もしあるなら、その歌はきっと、まだあなたの中で終わっていない。

だから私は、1番が終わると、少しだけ身を乗り出す。







今回、あらためて聴き直した曲です。
どちらも1番だけで終わらせるには、少しもったいない曲でした。
2番まで聴くと、作詞家の置いた言葉の温度が変わって聞こえてきます。

作詞家が書いた作詞術の解説本。


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浅川幸三 | クリエイティブプロデューサー 共感でも、違和感でも。 何かが残ったなら、それで本望です。 サポートは次の一行のために。