松田聖子を、ただのアイドルだと思っていた。
記憶の針を落とす Vol.39
長い間、松田聖子を、ただのアイドルだと思っていた。
テレビの中で、笑顔で歌う人。
可愛くて、華やかで、時代の真ん中にいた人。
曲の終わりには、きちんと“可愛く”着地する人。
でも、アルバム『Pineapple』を初めてちゃんと聴いて、少し戸惑った。
これは、アイドル歌謡というより、極上のポップスだった。
しかも、歌がうまい。
そのことに今さら気づいた自分が、少し恥ずかしくなった。
不意に流れてきた一枚
この季節になると、大滝詠一の『A LONG VACATION』を聴きたくなる。
「雨のウェンズデイ」が流れているとき、気がつくと“オススメ”に松田聖子が出ていた。
1982年のアルバム『Pineapple』。
それまでの私は、テレビで歌う彼女しか知らなかった。
だから正直、そこまで期待していなかった。
松田聖子は、自分の中ではずっと「テレビの中のアイドル」だった。
けれど、音が流れた瞬間に、その決めつけが少し崩れた。
あれ、こんな音だったのか。
音の輪郭が、思っていたよりずっとはっきりしていた。
メロディは甘いのに、芯がある。
演奏も、ただの伴奏ではなく、ちゃんと前に出てくる。
気になって、少しだけ名前を追ってみると、彼女のまわりには、当時の最前線の作家たちが集まっていた。
松本隆の言葉に、財津和夫や来生たかお、松任谷由実のメロディが重なる。
その音は、テレビで見ていた“アイドル歌謡”の印象より、ずっと作り込まれていた。
大滝詠一を聴いているときにオススメされたのも、納得だった。
「赤いスイートピー」も初めてオリジナルをフルコーラスで聴いた。
サビの高音部分。
少しかすれながらも、芯の通った伸びやかな声。
甘いだけではない。
柔らかいのに、どこか強い。
豪華な作家陣と厚い演奏の中で、彼女の声は埋もれず、浮きもしない。
しかも、まだ20歳だった。
カラオケに行くといつも流れていた
長い間、この曲は誰かのカラオケでしか聴いていなかった。
有名すぎるから、何となく選ばれ、何となく歌われる曲。
歌っている本人も、聴いているこちらも、どこかで気を抜いていた。
その場の空気に紛れて、いつのまにか「つまらない歌」のように感じていた。
でも、それは曲がつまらなかったのではない。
自分が、ちゃんと聴いていなかっただけだった。
オリジナルをフルコーラスで聴くと、まるで違った。
声の置き方。言葉の抜き方。
サビへ向かうときの、ほんの少しの緊張感。
酒場の記憶が、彼女の声に薄いフィルターをかけていたのかもしれない。
思い起こせば、「赤いスイートピー」が出た頃から、バンド仲間の間でも、松田聖子の歌は“音楽”として話題になっていた。
私が、松本隆という名前を意識したのもこの頃だ。
歌謡曲の中に、作詞家の名前を探すようになったのは、たぶんこの頃からだった。
アイドルの形をしたボーカリスト
松田聖子は、間違いなくアイドルだった。
ただし、それだけではなかった。
デビュー当時、彼女には「ぶりっ子」「計算されている」という言葉が向けられた。その一方で、「歌はうまい」とも言われていた。
どちらも嘘ではない。
むしろ、その両方が同時に成立していた。
それこそが、松田聖子の正体だったのかもしれない。
1980年前後、日本の歌謡界はちょうど切り替わる瞬間にあった。
山口百恵が去り、ひとつの時代が終わる。
重さや物語を背負ったスターの時代から、もっと軽やかで、今この瞬間に寄り添うような音へ。
アイドルという形式は、急速に整えられていった。
衣装、振り付け、笑顔、テレビでの見え方。
その型に乗ることで、時代の空気をまとえるようになっていった。
そこに、松田聖子の声が置かれていた。
上質なポップスが、“アイドル”という形で流れていた。
決まった振り付けと、計算された笑顔。
曲の終わりには、きちんと“可愛く”着地する。
けれど、アルバムで聴くと、余計なものが消える。
残るのは、息の混ざり方、言葉の置き方、声がわずかに揺れる瞬間だ。
音だけになると、歌の力がそのまま見えてしまう。
松田聖子とは、単なるアイドルではなかった。
アイドルの形をしたボーカリストだったのかもしれない。
当時の松田聖子を「テレビの中のアイドル」としてしか知らない人ほど、
『Pineapple』は一度、音だけで聴いてみる価値があると思う。
今になって気がついた
そう考えると、自分はずいぶん雑な聴き方をしていた。
「アイドルだから」
「テレビで見ていたから」
「みんなが知っている曲だから」
そういう言葉で、耳を半分閉じていた。
でも、本当はそこに、ちゃんと音楽が鳴っていた。
松田聖子をほとんどリアルタイムで知っていたはずなのに、
今になって、そんなことに気づいてしまった。
知らないうちに、ずいぶん損をしていたのかもしれない。
たぶん、見落としはいつも、知らないものの中ではなく、知っているつもりの中にある。
レコードに針を落とすように、昔の記憶の上にもう一度針を落としてみる。
すると、同じ曲なのに、違う音が鳴ることがある。
この夏は、松田聖子を聴く機会が増えそうだ。
この記憶の先に、いくつかの音楽がある。
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